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想田和弘監督インタビュー「より良く生きるための「観察」のススメ:新作『港町』をめぐって」

雑誌『KOKKO(こっこう)』31号から、想田和弘監督へのインタビュー記事を無料公開します。想田監督の新作『港町(みなとまち)』は4月7日(土)より東京・渋谷シアター・イメージフォーラムにてロードショー、ほか全国順次公開です。

『港町』公式サイト

想田和弘監督 映画『港町』本予告編

『港町』の舞台は、瀬戸内海に面した岡山県の小さな港町・牛窓(うしまど)。
映画は、波止場で漁網を繕いながら一人で漁を続ける「ワイちゃん」という老人を映し出します。穏やかな海に繰り出すワイちゃんの漁、漁協での小さな競り、魚を捌く町の鮮魚店、商品となった魚を買う町民、そのおこぼれに預かる野良猫たちと、次第に増えていく登場人物。暮れゆく港町の情景に観客が感情移入しはじめるころ、ずっとワイちゃんの近くにいて監督夫婦に話しかけていた老女「クミさん」が、カメラに自分の「物語」を語りだして……。
モノクロの画面に映し出される、高齢者と猫ばかりが暮らす日本の港町の夕暮れ。観る人それぞれの遠い記憶や感情に訴えかける、小さな驚きに満ちたドキュメンタリー映画です。
(聞き手・構成 西口想、2018年3月7日収録)


テーマを説明しにくい映画

——僕は想田監督の映画デビュー作『選挙』からのファンで、『精神』以降の作品はすべて劇場で観ています。新作の『港町』もとても面白かったです。友人に勧めているんですが、「どういう映画?」と訊かれると、決して複雑な映画ではないのに魅力を言葉で説明しにくい作品だな、と感じます。

想田 ものすごく説明しにくいですね(笑)。僕自身、「どんな映画?」と訊かれたときの紹介の仕方をまだよく分かっていないです。たとえば、『選挙』であれば、「自民党から立候補した新人候補の選挙の舞台裏」と一言で言えるんですよね。『精神』も、「小さな精神科診療所の患者さんたちの世界を描いた映画」と要約できます。だけど、『港町』は一言で言おうとすると、「僕と妻が牛窓という港町を訪れて、そこで高齢の漁師さんや魚屋さん、野良猫たちと会って、おばあさんから強烈な告白を聞いたりするけれども結局はさよならを言う」といった説明になってしまう。それだけだとどんな映画なのか分からないという……(笑)。逆説的に、映画としてはうまくいっているのかもしれません。言葉にしにくいものを映画にしているという意味では、非常に「映画らしい映画」なのかな、と。でも、宣伝するのは難しいので、それはジレンマです。

——『選挙』だと、日本の選挙制度や選挙運動の禍々しさみたいなものが主題として見えてきます。制度と現実との矛盾などが見えると、テーマ性は言葉にしやすい。けど『港町』は、地方の過疎化や高齢化、漁師さんの後継者不足などが現実の一部としては写されているけど、分かりやすい対比や全体の構図みたいなものが見えにくいですよね。

想田 そうですね。過疎化や高齢化といった問題そのものに焦点を当てているというよりも、それは登場人物たちの背後に透けてみえるものなので、「これこれこういう社会問題を描いた映画」とは言えないわけです。伝統的なドキュメンタリーのあり方からは相当跳躍しているところがあります。ドキュメンタリーはこれまでどこか「社会問題を描いたり告発したりするもの」という、何かを訴えるために作られる「道具」として見られてきた不幸な歴史があります。しかし、僕はドキュメンタリーはもっと豊かだと思っていて、何かのために作られるものではなく、それを観ること自体に意義のあるものだとずっと考えてきました。今回の『港町』は、そういう映画になったなとは思っています。

想田和弘


「よく観る」「よく聴く」ための方法

——『港町』は、『選挙』から続く「観察映画」シリーズの7作目ということですが、想田さんが掲げられている「観察映画」とはどんなものですか?

想田 「観察映画」の「観察」というのは、「第三者としてどこか離れたところから観る」といった意味ではなくて、「よく観る」「よく聴く」という意味です。「よく観る」「よく聴く」ということが、より良く生きる上でも、より良いドキュメンタリーを撮る上でも、鍵となると思うからです。では、どうすれば、作り手も観客も「よく観る」ことができるのか。そう考えて、「観察映画の十戒」※というものを自分自身に課すようになりました。それはなるべく先入観や予定調和を排し、目の前の現実に直に向きあい、映画として描くと同時に、観客にも能動的に映画を観察し、自分なりの解釈をしていただく。そのための方法論です。

※「観察映画の十戒」
1、被写体や題材に関するリサーチは行わない。
2、被写体との撮影内容に関する打ち合わせは、原則行わない。
3、台本は書かない。作品のテーマや落とし所も、撮影前やその最中に設定しない。行き当たりばったりでカメラを回し、予定調和を求めない。
4、機動性を高め臨機応変に状況に即応するため、カメラは原則僕が一人で回し、録音も自分で行う。
5、必要ないかも? と思っても、カメラはなるべく長時間、あらゆる場面で回す。
6、撮影は、「広く浅く」ではなく、「狭く深く」を心がける。「多角的な取材をしている」という幻想を演出するだけのアリバイ的な取材は慎む。
7、編集作業でも、予めテーマを設定しない。
8、ナレーション、説明テロップ、音楽を原則として使わない。それらの装置は、観客による能動的な観察の邪魔をしかねない。また、映像に対する解釈の幅を狭め、一義的で平坦にしてしまう嫌いがある。
9、観客が十分に映像や音を観察できるよう、カットは長めに編集し、余白を残す。その場に居合わせたかのような臨場感や、時間の流れを大切にする。
10、制作費は基本的に自社で出す。カネを出したら口も出したくなるのが人情だから、ヒモ付きの投資は一切受けない。作品の内容に干渉を受けない助成金を受けるのはアリ。

——「観察映画の十戒」には、たとえば、あらかじめテーマ設定や取材対象へのリサーチをしないことなどが掲げられています。

想田 やっぱりテーマを設定してリサーチをしてしまうと、自分の目的に合うことばかりにカメラを向けるようになります。どうしても予定調和になる。編集段階でも、テーマが先にあって編集を始めると、それに合う映像素材ばかりをつまみ食いすることになります。それだと「よく観る」「よく聴く」ことがないがしろにされてしまうわけです。そうではなく、なるべく頭をからっぽにして、よく観て、よく聴いて、その結果出てくるものを素直に映画にする。その順序が大事なんじゃないかなと考えています。だから今回の『港町』も、太古の昔から続いてきた経済の形とその崩壊、失われつつある共同体の形、変貌する人間と自然の関係など、いろいろなテーマが出てきていると思うんですが、でもそういうものが最初に僕の頭の中にあって、そのテーマに合うものにカメラを向けようと思ってワイちゃんやクミさんを「選んだ」わけじゃなくて、まったく順序が逆です。ワイちゃんやクミさんに出会ってしまって、彼らを撮っているうちにそうしたテーマが後から発見される、そんな順番なんです。

——なぜそうしたルールをご自分に課すようになったのでしょうか?

想田 僕は「観察映画」を撮る前はテレビドキュメンタリーをたくさん作っているんですけど、そのときの反省が一番大きいですね。テレビ番組だと、テレビ局に対する提案書の段階から「こういう番組を作りたいです」という「番組の狙い」を設定します。その上であれこれリサーチして、台本を書きます。だからどうしても被写体はテーマや狙いを浮き彫りにするための材料になってしまいます。逆に言うと、テーマからこぼれ落ちるものにはカメラが向かない。もし撮れたとしても編集には入れられない。でも、それってつまらないというか、思ってもみなかった発見がしにくくなります。それにテレビでは作り手がなんでもかんでもナレーションやテロップで説明してしまうので、視聴者は受け身になってしまう。つまりテレビとは真逆のことをやってやろうとして出てきたのが「観察映画の十戒」です。あれを全部逆にするとテレビ番組の作り方になるんですよ。リサーチをするとか、カットは短くするとか……。

——テロップを入れまくるとか。

想田 そうそう。スポンサーあっての番組だから自分では金を出さない、とかね(笑)。


社会の隅々にはびこる「結論ありき」

——僕も前職でバラエティ番組やドキュメンタリー番組を作っていました。テレビ番組は多額の予算と時間を使って取材に行くので、とりわけ海外ロケなどでは「行ったけど狙い通りのものが撮れなかった」ということが非常に怖い。だから、ADの頃には現地で撮るはずのものを可能な限りこっちで用意して持って行かされたこともありました。そんな経験をしていたので、最初に「観察映画」のメソッドを知ったとき「なるほどな」と深く腑に落ちた記憶があります。

想田 実は、そういうことはテレビ番組の制作現場だけではなく、社会の隅々にまではびこっている気がしていて。つまり、先に結論を作ってしまうようなやり方です。それは政治の世界もそうなんですよね。先に「こういう法案を通す」みたいなのがある。本来は、「こういう法律が必要だ」と提案したあとに、いろんな立場の人のヒアリングをして、「でも、こういうふうになってしまうと良くないな」とか、当初の法案に瑕疵(かし)があることを発見するはずなんですよね。瑕疵を見つけたら法案を修正する、あるいは諦めるというプロセスが必要なはずです。でも、実際にはそうはならず、先に「これをやる」というゴールが決まっちゃっていて、もうなりふり構わず、脇目もふらずそこに突っ込んでしまう。

——ここ数年ずっと国会で起こっている状況ですね。

想田 そうです。でもそんなことをやっていると、あまりにも弊害が大きいですよね。「観察映画の十戒」は、ドキュメンタリーを撮る上での指針ではあるのですが、もっと広い意味での人々に対する挑戦状という意味もあります。それはドキュメンタリーに限らず、我々が生きていく上での態度みたいなものとして、問題提起しているところがあります。

西口想


映画を政治の道具にはしない

——想田さんはTwitterなどのSNS上で日本の政治体制や社会の問題に対して鋭く発言され、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』や『熱狂なきファシズム』などの著書も多く出版されています。そうした政治的なオピニオンと「観察映画」という手法は、一見つながりが分かりづらいけど、全体主義的なものに反対するという点で本質的には一体なのではないかと感じます。

想田 そうですね。ただ、Twitterなどで政治的な発言をすることと、映画を撮るということは、やろうとしていることは相当違うとは思います。Twitterではかなり直接的に自分の意見を言うし、そこにはあんまり曖昧なものがないですよね。一方で映画は、自分に見えているよく分からないこの世界を、なるべく整理しすぎず、複雑怪奇なものをそのまま提示するという欲求のもとに作っています。映画を通じて何か政治的なメッセージを伝えようとすることはありません。それは『選挙』ですらそうで、別に自民党の選挙運動をこき下ろしたいとか批判したいといった意図はまったくなかったです。むしろ、自民党の選挙運動ってどうなんだろうという好奇心や疑問しかない。ちょっと困るのは、Twitterなどの僕の発言を見て、「映画も安倍政権や自民党を批判するために作っているんじゃないか」と誤解する人がけっこういることです。それは全然違うんですよ、ということは言いたいです。

——実際に想田作品を観たら分かるはずですが、SNS上での発言だけを見ている人は「そんなに言いたいことがあるんだったら、映画でもそれを言ったらいいじゃない」とつい思ってしまうのかな、と。

想田 そうですね、ときどきそれは言われますね。「次は橋下徹を批判する映画を作ってください」とか(笑)。でも、そういうのにはまったく興味ないですね。

——「映画を使って政治的なメッセージを直接訴えたらプロパガンダになってしまう」という危惧を持っている映画ファンは多いはずです。

想田 プロパガンダの道具になってしまったら、映画がかわいそうですよね。映画って、映画そのものに意義があって、皆で集まって暗闇のなかで一つのスクリーンを何時間か見つめるという、この行為そのものが映画の面白さだし、そこにはきっと人類学的な意義があります。それを政治的な目的のために従属させるのは、残念すぎるというか。政治的なステイトメントを出したいのであれば、もっと適したメディアがある。でも、実際にはメッセージがわかりやすい映画のほうが売れたりするから、複雑な心境です。

——この『KOKKO』の読者には、いまの森友学園の文書改ざん問題が象徴するような、結論ありきで物事を進めようとする様々な圧力と日々向き合っている人が多いです。これから『港町』を観る観客に、監督から何かメッセージがあれば頂けますか。

想田 僕は、自分の映画は「体験記」だと思っています。自分が見聞きしたこと、出会った人たちや猫たち、その体験を映画的なリアリティに再構築して、観客と共有するのがドキュメンタリーだと思っているので、共有したいのは「体験」なんです。その体験から何を考え、感じるかは、一人ひとり違っていいと思うし、100人の観客がいたら100通りの反応の仕方があると思います。ドキュメンタリーっていうと、先ほど申し上げたように「社会問題を告発する」とか「何かについてお勉強する」といったイメージが根強いと思うんですが、そうではなく、もっと肩の力を抜いて楽しんでもらえたらいいなと思っています。


『港町』

監督・製作・撮影・編集:想田和弘
製作:柏木規与子
製作会社:Laboratory X, Inc
配給:東風+gnome
2018年|日本・米国|122分|モノクローム|DCP|英題:Inland Sea
http://minatomachi-film.com/
4月7日(土)よりシアター・イメージフォーラムにてロードショー、ほか全国順次公開

〈想田和弘監督プロフィール〉
そうだ かずひろ 1970年栃木県足利市生まれ。東京大学文学部卒。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒。93年からニューヨーク在住。映画作家。台本やナレーション、BGM等を排した、自ら「観察映画」と呼ぶドキュメンタリーの方法を提唱・実践。監督作品に『選挙』(07年)、『精神』(08年)、『Peace』(10年)、『演劇1』(12年)、『演劇2』(12年)、『選挙2』(13年)、『牡蠣工場』(15年)があり、国際映画祭などでの受賞多数。著書に『精神病とモザイク』(中央法規出版)、『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』(講談社現代新書)、『演劇 VS 映画』(岩波書店)、『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波ブックレット)、『熱狂なきファシズム』(河出書房新社)、『カメラを持て、町へ出よう』(集英社インターナショナル)、『観察する男』(ミシマ社)など。


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