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"まち" から百貨店が消えた
【百貨店の思い出】
2024年1月14日(日曜)
私の住んでいる島根県松江市の一畑百貨店が営業を終えた。
創業は、1958年(昭和33)10月1日。
私(1950年生)が8歳。小学3年生の時と云うことになる。
自宅には、安来出身の従業員さんが下宿をしていた。
職種は、エレベーターガール(接遇係)
小柄で端正な顔立ちだった事を覚えている。
小学校の授業が終わると、時々 遊びに行っていた。
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そして、東京の大学を出た私は、一畑百貨店に入社する。
採用辞令は、一畑電気鉄道株式会社。
1ヶ月間の一畑グループ全体の研修の後、百貨店ヘ配属された。
初めは、外商部の見習い。
玄関を開けて入る言葉など、外商の課長に付いて訪問販売のノウハウを叩き込まれた。
3ヶ月間の試傭期間が終わった段階で、配属の希望先を聞かれる。
販売促進部を希望した。
当時は、資生堂や伊勢丹の広告を担当していた土屋耕一さんや、西武百貨店の広告を担当していた糸井重里さんらに憧れていた。
運良く、出雲店の販売促進部に異動(転属)を希望している人がいると云う事で、販売促進部に配属される。
配属され、しばらくしてから増床計画が持ち上がった。1982年(昭和57)9月。
同じ年には、第37回国民体育大会(くにびき国体)が開催され、松江の"まち"全体も昇り調子の時代でした。
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この時は、販売促進部宣伝課に配属され、当時としては斬新な広告表現だったと思います。
【オープニングCM / 9月になれば】
オフコース「I LOVEYOU」
時代は、どんな時代だったか?
1980年代後半
株価高騰・地価高騰
1989年(平成元)松江菓子博開催
1993年(平成5)くにびきメッセ開館
1998年(平成10)3月22日に株式会社一畑百貨店(旧法人)が営業していた旧松江店を閉店し、松江駅前に移転する。
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新会社の株式会社松江ターミナルデパートが営業する新たな一畑百貨店松江店を4月1日に開業した。
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【最終日のニュース/TSKプライム】
元社員の男性は「言葉にならない。一緒に働いたメンバーもいて。涙腺が弱くなってきてしまった」と頬をぬぐった。
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【東京商工リサーチ】
【『地域経済を考える』】
【百貨店時代に教わったこと】
▶ 商いの基本
始末:前始末 仕入計画
後始末 在庫管理
算用:計数管理
才覚:商いの才覚
▶ 生活のハレとケ
ハレ:特別な日
ケ:日常の生活
【終わりに】
百貨店には「物」ではなく「夢」を求めて行くと言われていました。
つまり、売り手からは買い手に「文化」を売る。
今の時代は、モノ余りで、支払いもクレジットで買える時代。
接客も、人を介するのが煩わしく感じる。
1つの時代が終わったかな。と云う印象です。
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2024.01.19.