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町屋・看板建築の歴史から「商店街」を見る


【町屋・看板建築】

「町屋」
都市の中心部や宿場町などで、高い密度で人々が住み、商業や手工業などの産業活動が営まれた地域に多く立地していました。

ここの場所では、商業(物販・飲食・宿泊など)や手工業が営まれ「職住併用住宅」が中心ですが、専用住宅である仕舞屋(しもたや)も含まれます。 
 
もともと「町屋(まちや)」と云うのは「職住一体(路面の前は店舗、奥が住まい)の建物」が並んでいる"まち"を云うらしい。

「看板建築」 Billboard architecture
大正時代の商店に流行った建築様式
中小規模クラスの商店によって建設された。
かつての伝統的な町屋に代わる洋風の外観を持った店舗併用の都市型住居のこと。

写真:松江市
かつての繁華街 / 白潟本町にて

【歴史】
看板建築以前の店舗兼住宅には町屋がありました。
切妻屋根の平入2階建で1階上部に軒を大きく前面に張り出した「出桁造」と、それを防火のために土で包んだ「塗屋造」「蔵造」の3種類
塗屋造と蔵造の違いは土の厚さで、柱の表面に5寸(15センチ)以上 土を盛るものを蔵造、それ以下を塗屋造と云います。資料出典:Wikipedia

そもそも「町屋」や「看板建築」のあった商店街は、人々の暮らし(賄い)を満たすために自然発生的に出来たものでした。

味噌や醤油を切らした時には、ご近所の商店の木戸を叩いて買わせてもらう。
このようなご近所付き合いのある商いが生活様式の変化で変わってきます。

一番のポイントは、働く時間と生活時間にケジメをつける。

【商店街】

「商店街」についての明確な定義はありませんが、商業統計では「小売店、飲食店及びサービス業を営む事業所が近接して30店舗以上あるもの」を一つの商店街として定義されています。

かつては、近隣に住む(生活する)人達の賄いのために、魚・野菜・果物などの日常必要な生鮮品を中心に、衣料、リビングなど暮らしに必要な品々が自然発生的に形成されていました。

「職住一体型」から「職住分離型」へ

近年では、車社会(モータリゼーション)の発達により、郊外に計画的に商業集積を創りました。
郊外型ショッピングモールなど。
 
住まいも、かつての「職住一体型」から、住まいと住居を別々の場所に建てる「職住分離型」になりました。

「職住分離型」が始まった段階で、まちの賑わいは、わざわざ仕掛けなくてはいけなくなりました。

【最近の動向】

最近では、かつて賑わっていた中心商店街の衰退から、"まち"の賑わいを取り戻す動きが出ています。

【『商店街の復権』を読む】

『商店街の復権』広井良典 編
ちくま新書 (2024.02.10.)

【私的考察】商店街について

2024.07.09.