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だれかのストレスは「長めの夏バテ」と呼んであげる位が、ちょうどいい

コロナだオリンピックだ夏休みだお盆だで、いろんな人のチクチクした言葉が飛び交うもので、7〜8月のSNSは今まで以上に休み休みモードです。すみません。

平日は仕事フルスロットルで駆け抜け、夜はぐっすり寝るリズムで成立するものの、連休や週末は何かしらのメディアをオンにできる時間ができるので、注意が必要ですね…
どこからともなくこのチクチクした言葉が現れ、発信するのも諦めたくなるので、マイペーススタイルですがお許しください。
なお、最近の週末は、過去ブログ記事のリライトをしています。

SNSは見なきゃいい、が一番の最適解ですが、とはいえ新しい明るい情報は気になるし、ノイズになる情報はAIで精密にスケーリングできるといいなぁと思うこの頃。

自由に人に会ったり、出かけることができない期間が地続きになって、ストレス過多になっている人が増えているように思うし、かくいう自分も少なからずストレスを抱えていると自覚があります。

ストレスと上手に付き合える人と、そうでない人がいます。
全員が上手なわけではないので、当然中にはストレスと格闘する人もいるわけで、そういった人との付き合い方は慎重になってしまいます。

わたしは「怒りっぽい人・鬱々としている人・人の批判ばかりをする人・偏った考え方で理解に及ばない人とは関わらない」というのを、自分をニュートラルに保つ秘訣として、実践しています。
しかし一方で、最近は「『関わらない』を続けることが自分の世界を狭くする」ことと隣り合わせであるとも注視しています。

「嫌だな」「なんか無理だな」と思うのはその人の全てではなく、一つの側面であることがほとんどです。
具体的な例で言えば、「仕事上ではすごく嫌な上司だけど、一人の人としては尊敬できる部分がある」であったり、「女友達としてはすごく話が合うけど、ママ友だとちょっと考えが違ってしんどい」みたいな。

生きている以上いろんな側面や肩書を持って過ごしています。
もちろん人によっては、いつ何に対してもネガティブになっていくこともあれば、怒りっぽかったり、言い訳がましかったり、自己中心的だったり、人のせいにしたり…という性格の人もいますが、複数の側面(社会の肩書的な)を自分でコントロールしながら過ごすのって、シンプルにストレスと隣あわせなんですよね。

その前提を踏まえて、最近いろんな人と接していて思うのは、「『一時的に』自分が、相手の嫌な一部分を見ているだけ」なケースも多いこと。
とくにコロナのようなどうにも太刀打ちできないものや、辛抱を強いられるような外的な要因が掛け合わさったとき、なにかの糸が切れたみたいに、人が変わってしまうことなんて往々にしてあるよなぁと感じています。

冒頭にあげたSNSの話に戻しますが、やはり「見たいものだけを見る。見たくないものは目に入らないようにする。」それが自分や相手を傷つけない(疲弊させない)ベストだと思うわけです。

いつかどこかのタイミングで、自分も相手もちょうどいい距離感でコミュニケーションができる未来があるとして、その機会を「いま」のタイミングで一生断つのはなんというか、もったいない気がする。
少し極端な話ですが、人付き合いの断ち切りグセがついて、そのうち孤独になる未来もゼロではないわけで。
それこそ自分の世界を狭めてるんじゃないかなって、もう少しやりようあるんじゃないかと。

だから、自分の心をクリーンに保ち、周囲を俯瞰して見渡せる余裕のために、ストレスを最小限に。
自分のためにも、周囲の人のためにも、それが一番なんじゃないかなぁ。なんて思ってました。

相変わらず毎日服ばかり見ていますし、ほしい靴と服のためにボディメイクを継続中です。本当は早くいろんなお店を見て回りたいところですけどね!!8月は秋物が並ぶ、心躍る季節です。

暑さ厳しい日が続きますが、みなさん体調に気をつけてご自愛下さいませ。

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