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幸せじゃないことはしなくていい【ネクストゴールウィンズ】

いま、フットボールも社会もハイプレスショートカウンターだ。相手のチャンスは芽を出したそばから刈り取り、奪ったら一切の無駄を省いてゴールや利益をゲットする。大きな相手の戦術が“ポゼッション”だった頃はそれもまたエキサイティングだった。でも今ではすでに持っていた者がさらに資金や人材を漁り、一分の隙もない効率的な戦いを目指す。そうしたらもうすでに弱いとされた者はどうしたらいい?マンチェスターシティが卒なく勝ったところでそんなグロいフットボールを見ておれは幸せか…げふんげふん、いやなんでもないです。

世界最弱のナショナルチームを引き受け(るしかなかっ)た監督は、チーム立て直し期間中から運命の試合の前半まで「Pressure!(プレスをかけろ)」と叫ぶ。力のある者から自分にかけられるプレスを、より弱い立場の者に押しつける。運命の試合、0-1でなんとか前半を終えた選手たちは、ハーフタイムに「プレッシャーで身体が動かない」と嘆く。

Pressure. 選手たち。People on streets.
(注1 思い当たる方はあのベースラインを頭の中で鳴らしてみてください)

劇中何度か、運命の試合のハーフタイムにさえ、監督は上手くいかないと「もうやってられるか、辞めてやる!」ってすぐ言い始める。選手たちを、社会を、自分の身に起きた過去の事柄を信じきれない監督。そんなとき、いつも島のサッカー協会の会長は「残念だけどきみがいま幸せじゃないのならそうしたらいい」と言う。劇中会長が何度も言う台詞、「幸せじゃないのか?」

Can't we give ourselves one more chance?
Why can't we give love?

そうか、選手と自分を信じてみようと思った後半。

実のところ、試合後半の顛末は、話として出来過ぎじゃねえ?って思ってしまったんですよ。疑った。映画の最初にタイカ・ワイティティ扮する怪しい神父がこの話は実話だって言ったのにもかかわらずね。そして映画の最後にまた思いっきり怪しい神父が出てきて、現実の試合の映像とともに後日談を語る。ああ、夢みたいなのに事実だった。知らず、信じてなかった。まだまだだなって思い知らされましたね。タイカ・ワイティティやthe Blue Ridge(注2)のドラマーなんかはそういうところ、疑わないんだろうな。

また運命の試合の相手、トンガ代表は、本物のトンガ代表に失礼なくらいマッチョに描かれる。相手はマッチョ、マッチョな社会では「ファファフィネ(第三の性)」の才能は埋もれ、キャプテンにはなれなかったんだろうなと想像すると、それって人類にとってなんて損失なのだろう。そうそう、思えばジョジョ・ラビットにもファファフィネ的なキャプテンが出てきたな。

ジョジョ・ラビットにおける映画史に残る名シーン

人類はもうマッチョな価値観における勝利ではなく「幸せか」を規準にするべきフェイズに入っているんだろうね。

…ってそんなメッセージ強い話とも十分に受け取れる内容なのですが、すっとぼけたギャグをふんだんに盛り込みながら進行するので、全く押しつけがましくなくクスクス笑いながらさらっと観られるのがまたタイカ・ワイティティの作品らしくてよいです。

それから、ジョジョラビットではDavid BowieのHeroes(Helden)が最高でしたが、今作でもところどころBowie味が感じられましたね。上記のUnder Pressureやら、世界の遥か遠く反対側にたどり着いたトム監督とTin Canとかね(必要以上に tin can, tin can って言う)。

主人公を演じるファスベンダー、ついこの間観たザ・キラーやシェイムの彼とはまるで違うファスベンダー、幅広いな〜。


↑注1 言わずと知れたやつ。

↑注2 売出し中以前だけど要注意バンド


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