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【ネタバレあり】「神は見返りを求める」が、好きだ!【考察】

一回見ただけで、どハマりしてしまった映画に出会ってしまった。
愛じゃん。

※本記事は大量のネタバレを含みます。未視聴の方にも一応の配慮はしますが、一応なので、ネ。
※また、本記事で触れられた内容を踏まえながら視聴されるとまた違った見方ができるかもしれません。
※なお、本記事は全て私の考察である。正しいかもしれないし、間違っているかもしれないということを踏まえてお読みください。

あらすじ
合コンで知り合ったイベント会社に所属する田母神さんと、コールセンターで働きながらYouTube活動に勤しむゆりちゃん。
どこか抜けている彼女の力になろうと田母神さんは奔走する。
YouTubeの軌道が乗り始め、知名度が上がっていくにつれてゆりちゃんの田母神さんに対する態度がだんだん変化し始め……。


見終わった瞬間、というか、中盤から涙が止まらなかった。クライマックスには私の感も極まっていた。
もう涙で画面が見えなくなっていた。もう、悲しすぎて。
でも、愛おしくて。これを愛と言わずして何というのか。
まだまだ概念的にも愛とかはしっかり捉えきれていないので愛とか気軽に言いたくないんですけど。

でも、田母神さんの行動は間違いなく愛と憎しみに溢れているものでした。愛憎って言葉があるように、愛おしい気持ちと憎らしい気持ちは表裏一体なのでね。
愛は憎しみに反転しうるっつうのはよく聞くお話ですね。

とにかく、これは明らかに田母神さんの恋と、ゆりちゃんに対する愛の物語だ。
そして、全ての人が感情移入できる物語でもある。

しかし
この映画のレビューや考察を見るうちに、結構偏りがあることに気がついた。
「胸糞」「サイコパス」「闇」「アホ」「最低な奴らの自業自得」「異色恋愛」……。

違うだろと。

ただ単にこの映画を「人間の闇」と一言で切り捨てるには、あまりにももったいない。
それに、全く「異色」ではない。純度の高すぎるがゆえに濁って見える恋愛なのだ。
私はこういう方が、生々しくて、リアリティがあって好きだ。フィクションの恋愛はどうも人間らしさをかき消してしまっているような気がして苦手なのである。

恋愛コンテンツを見なくなってから10年は優に超えているので最近のものがどうなのかは知りませんが。

恋愛は苦手である。まだまだ苦手である。
というかわからん。

だがしかし、この映画が明らかに恋愛映画であった。ヒューマンドラマでもあった。
「ヒメアノ〜ル」みたいな作品かと思ったら、全然違った。これは原作がすごいのですが、それはまた別の話。

マジで面白かった。この魅力を伝えられたらなと思います。
各登場キャラクターに沿って、私の見方・考え方を展開できればいいなぁと思って、書きます。

田母神さん

神のように優しい田母神さん(ムロツヨシさん)

この映画のキーパーソンオブキーパーソン。というか、主人公。

この映画自体、ゆりちゃんと田母神さんのダブル主人公のような構図をとっているような気がするのですが、どちらかというと観客側かみて心情が掴みやすいのは田母神さんの方じゃないかなぁと。
行動も予測不可能、というわけでもなく、ちゃんと筋が通っているんですね。

ゆりちゃんの動画作成を手伝うのも心配だから。
暴露系配信者になったのは裏切られたから。
でもゆりちゃんを許したのはゆりちゃんとの活動が楽しかったから。

とてもシンプルで、単純。田母神さん、めちゃくちゃ ぴゅあぴゅあ なのですよ。
というか、とてつもなく優しい人です。優しすぎる、というか他人を優先しすぎる人ですね。ゆりちゃんに限らず、相手の気持ちに答えたくなっちゃうんでしょう。

初対面のゆりちゃんにも活動をめちゃくちゃお手伝いするし、後輩にお金貸しまくっちゃうし、後輩に馬鹿にされても我慢しちゃうし……。
しかも、田母神さんの序盤の口癖は「あぁ、まぁまぁ……」です。明らかに事勿れ主義。優しいというよりかは、表立った自分がないとも読み取れます。

自分というものを押し殺して、誰かの幸せだったり、笑顔だったり、平穏を優先しちゃうんですよね。

だからこそ、観客からしたらストレートすぎて、「サイコパス」だと評価されてしまうのかもしれないと思います。けれどその行動は田母神さんが「豹変した」からではないと思うんです。根本は全く変わっていない。
依然としてピュアで素直。純粋なんです。
だから見返りを求めているように見えても、本当は何も求めてはいないんです。
自撮り棒フェンシング(良い表現が思いつかなった)でも「まずは……その顔やめろよ」と、誤魔化している。

全然変わっていないんですよ。ずっとずっと優しい田母神さんなのです。

本当に田母神さんのキャラクターは素直で純粋ってところなんです。けど、ちょっと頼りない。
あと、年齢のこともあってちょっとだけ古臭くてダサい。それが可愛いんですけど。

終盤で「ちゃんと自分がないと、どんどん人離れていくぞ」と梅川さんに言ってるのは、自分自身に言い聞かせているようにも聞こえました。これが田母神さんのターニングポイントなんですね! 自分を持ち始めたと!
ゆりちゃんを応援する過程で、自分の中の課題、優しさ以上の何かを見つけているような、そんな感じ。

「これからまたやり直すのに」って言ってたから、今までの悪行を断ち切るというのと、プラス「自分を持つ」というのも隠れているんじゃないかなと思いながら見ていたら涙が止まらなくて……。
感情移入しっぱなしでした。

ちょっと狂っちゃったけれど、でも彼の中にはしっかりと「自分」が現れ始めていて。ただ、神様みたいに誰かの願いに答えるだけじゃなくて、自分のやりたいこともやり始める。
まぁ、もともと人間ですからね。人間であることを自覚したっていう方が正しいかもしれません。

ちなみに、ラストシーンの姿は途中海でドローンの撮影をする際に邪魔になるおじいちゃんが、暗示になってるんじゃないかなぁと妄想したりもしています。
あの時の田母神さんの表情が「これは将来の自分かもしれない」と訴えかけているかのような気がする。そんな目をしていたような気がする。

ゆりちゃん

底辺YouTuberゆりちゃん(岸井ゆきのさん)

登場人物全部クズ! みたいな代表格にされているのが多分、ゆりちゃん。
恩を仇で返す女! とも。

ひょんなきっかけからバズって、有名人になって田母神さんを裏切る、のですが。
思ったんです。

普通の反応じゃね? と。

どうしても叶えたい夢があって、それにもがいたとする。
一緒になって応援してくれている人はいたけれどちょっとセンスがない。ひょんなところからハイセンスで自分の夢とバリバリマッチしている人が現れたら……。

飛びつくやろ、と。

なんか、心当たりがあるような、ないような。私にも夢があるから共感せざるを得ない。
だからと言って、元々一緒にいた人に冷たくあたったり、切り捨てるようなことをして良いというわけでもありませんが。倫理的にね。

ゆりちゃんにとって、田母神さんはセリフの通り「通過点」にすぎなかったんです。なので、将来的には分たれる二人ではありました。
田母神さんも、ゆりちゃんもそれを理解していたのではないでしょうか。ただ悪い事情が重なって、取り返しのつかない方向に進んでいってしまったってだけで。

私はゆりちゃんはごくごく普通な、一般的なキャラクターだなぁって思いながら見ていました。物語論的に言えばゆりちゃんが主人公なんですけど、でも主軸は田母神さんですもんね。ここが映画を面白くさせているのではないでしょうか。

普通、一般的。でも、夢がある。

一人じゃ何もできないけれど、誰かの支えがあれば、輝く。
これ、大多数の人間ではないかなとも思うんです。いや、というか生きとし生けるもの全ての人がうっすらと持っているものだと思うんです。

別に普通とか一般的というのは悪いものではないし、誰しもが普通で一般的だと思います。
ただ、人にはいろんな面があるので、ある面においては違う色を持っているもの。

それが見えやすいか、見えにくいかだけの話であって。

私も「周りと違うな~」って思う時と「周りと一緒だな~」って思う時があります。
面白いって言われれば嬉しいし、「普通」って言われると何だか凹むけれども、でも、それが当たり前だとも思うんです。
誰だってそう。そういう意味では、みんな普通だし、みんな一般的です。

「変わってる」と自分で思えば思い込むほど、どんどん苦しくなっていく。
ゆりちゃんも、「私、何やってもダメなんです。頭悪いし、不器用だし……」と自分で自分を追い詰めてしまっています。そこに田母神さんが「そんなことないよ」と言うのではなく、「じゃあ一緒に頑張ろうよ」と言うのも、また良いですねぇ。

プラスに思い込んでも、マイナスに思い込んでも、どっちゃでもしんどい。
それをゆりちゃんは教えてくれます。

途中、YouTuberで成功し始めて、村上さんの威を借りて「私にはカリスマ性がある!」と感じ始め、田母神さんを切り捨てます。
で、村上に「あんまり勘違いしないほうがいいよ」とズブリと言われてしまうってわけ。

その前後からゆりちゃんもぐらついて、過去を思い出したりして優しい心を思い出していくのですが。

どっちの極端なことは言いなさんなと。ほどほどにしましょうね、みたいな。古代ギリシャ哲学からずっと言われていますね。中庸中庸。

ゆりちゃんはどこにでもいる、普通の女の子。周りに流されやすくて、でも夢がって、そっちに行きたいけど、自分の芯みたいなものがまだまだ弱い、ごく普通の女の子なのである。

だから簡単に欲に溺れちゃうし、目先の利益を優先しちゃう。
泡沫の夢みたいな生き方だけれども、それが悪いってわけではない。誰だってそういう要素を持っているのですから。
「こうならないようにしなくちゃ」と教訓めいたものも、ない。

誰だって有名になりたいしみんなに注目されたいし、夢を叶えたい。
そのために必死に手を伸ばすのだ。
ゆりちゃんは必死だったのだ。
彼女の夢はYouTuberになること。それが未来永劫残るものでない、瞬間のエンターテイメントだとしても、誰かが笑ってくれればそれでよかったのではないでしょうか。

彼女の本音は終盤の自撮り棒フェンシングの時やサイン会の時にぽろぽろ溢れています。
純粋な夢が、誰かのコメントで歪んで、お金と名声で曇って、でも最後にはちゃんと思い出して、初心に戻っていきました。
これからのゆりちゃんがどう進むのか、空想すればするほど、楽しいですね。

梅川さん

梅川さん(若葉竜也さん)。田母神さんの後輩。

典型的な八方美人ですね~!というか、もう現実世界からそのまま抜け出してきたサラリーマンという感じ。
けれど、彼の言葉にどうしても周りも振り回されてしまうんですよね。良い方向にも悪い方向にも。

そういう時って大抵、田母神さんやゆりちゃんの余裕のない時だと思うんです。

自分一人ではどうしようもない時、一人では抱えきれない悩みを持っている時。梅川さんの他人に責任を押し付ける言動に、ちょっとだけ救われているんです。
で、その場にはいない誰かに全部押し付けるから梅川さん自身も救われている、というね。

こういう気の持ちようも、気分転換や心を軽くするためには必要なことですが、乱用厳禁。ですよね。

現状維持が服着て歩いてる感じが、とてもしていて、良い。これもまた普通の代表格ですね。
現状維持は後退、みたいなことをスポーツ界隈ではよく言われるようですが、一般的には現状維持は平穏だったり日常だったりする。
梅川さんはそういう意味では日常を表現するための大切なキャラクターのようにも思えますね。

場面を好転も悪化もさせない、このスタイル、とても印象的でした。

まぁ、波風立たせないので田母神さんからもゆりちゃんからも「嫌い」と言われてしまいますが。これから前に進もうとする人たちにとっては、悪魔の囁きにも聞こえますもんね。

村上さん

村上さん(柳俊太郎さん)。グラフィックデザイナー。

田母神さんの後釜。代打の神様ですね。
このキャラ、個人的にはものすごくコンプレックス抉られて好きなのですが、みなさまどうでしょうか。

確かなセンスもあるし、実力も実績もある。
ありすぎるから、「すげぇ人」としてゆりちゃんから崇められている。

が、しかし。

ニューヨークでいろんなことを学んできて、どうしてゆりちゃんの手伝いをするんだろう? ましてや、どうして底辺YouTuberのデザイナーを……? とも思いました。
YouTuberの仕事を貶しているわけでもなんでもないのですが、いちエンターテイナーの影に隠れているのはどうしてなのだろうか、と……。

そんだけすげぇ人なら、独立してデザイナーとしてでも活躍できるんじや……。もしや、独立するには、実力が足りないということなのでしょうか。
でもそこまで登る力もないから、YouTuberのデザイナーをして偉そうにしている、のでは?

村上さんにもなかなかに深いコンプレックスがありそうですね。
なのでゆりちゃんに対しても田母神さんに対してもとんでもなく高圧的だし、とんでもなく自分の実力を鼻にかけている、のでは。

中途半端に自分に折り合いつけているからこそ、このようなキャラクターになっているのではないでしょうか。
夢も諦めきれていないから、焦りもある。
だから怒鳴るし、八つ当たりする。

わかる。
このままでいいのかな……でももうちょっと上いけるかもな……でも今、心地よいしな……。

みたいな心情。出世したいけど、成長したいけど、いろんなことを考えるといろんなものに阻まれて、停滞。みたいな。
自分の実力も誇れるっちゃ誇れる、でも突出するにはまだまだ足りない。努力しなくちゃいけないけど、ちょいダルい。みたいなそんな感じ。

ゆるい環境、心地いいもん。抜け出さなくちゃと思っていてもちょっと自分に甘くしちゃって前に進めない。ゲームとかしちゃう。
あるあるだと思うんですよ、これ。

行きたい環境には拒まれるけど、今の環境では大歓迎されているならば、そこにい続けたいじゃないですか。行きたい環境は上とか、下とかそういうものではないと思うんですけど。

人間なんで上も下もないとはいえ、その人からしたら華やかな、憧れの環境。行ってみたいけど、自分には足りないものが多すぎる。
そういうジレンマはツレェですよね。ツレェよ。
今の環境でより良いものを作っていけばいいけれど、プライドもあるから、偉そうにしちゃう。

わかっちゃう自分がいる。

これから変わっていく ゆりちゃんをみて、村上さんにも何か心情の変化があるといいなぁと物語の外から考えております。

ハイパーマリオくん

ハイパーマリオくん(下川恭平さん)

明らかなる底辺YouTuber。炎上系、暴露系のYouTuberに憧れてこの世界に入ってきちゃいましたって感じの学生ですね。
「この瞬間に面白いものが撮影できればいいや!」の衝動で動いているのがひしひしと伝わってきます。

「人を喜ばせたい!」よりか「自分が楽しみたい!」が強い、まさに子供のようですね。
子供のような無邪気さ、というよりかは「自分が世界の中心ぞ!」みたいな自己中心的な心情。

昔はみんなそうでしたわね。私もそうでした。
我こそは地軸なり、みたいな万能感が子供の頃にはありました。なんでもできたし、何にでもなれました。

それでだんだん世界の配役とかが見えてきて、「ア、スミマセンデシタ」みたいに小さくなっていく。悪いことじゃない。視野が広まったということです。

マリオくんは純粋な夢を持つ、というよりかはもっと俗っぽい。今が楽しいならいいじゃん!みたいな剥き出しの欲望が溢れて止まらない。それを実行力に移しちゃうんだからすごいもんだ。

視野が狭くって、自分のことしか考えられないから田母神さんを襲っちゃうし、ゆりちゃんにも突撃しちゃう。その結果、しっぺ返しに遭うんですけどね。で、反撃するんですけど。そこがまだまだ彼の幼さを強調している。

そこから彼はやり直していくのでしょう。
ちょっとでも田母神さんやゆりちゃんとの関わりを胸に秘めて、彼は大人になっていく、といいなぁ! そんなに上手い事いくんですかね! でもいけるとも思いたいです。いろんな可能性を持っている人間ですからね。

ゆりちゃんと田母神さんの「嫌い」

中盤から、両者ともお互いのことを「嫌いだ」と言います。
ゆりちゃんは「気持ち悪い」とも。

まぁ、シンプルに考えれば自業自得なのですが。
自分の過去を暴露しだしたからゆりちゃんは田母神さんが「嫌い」
恩を仇で返されたから田母神さんはゆりちゃんが「嫌い」

それだけでしょうか?
お互いに対する初めての感情表現が(今まで幸せな場面が多くあったのにも関わらず)両者「嫌い」というのはもう少し深い理由がある、と思います。

それはズバリ、「お互いがお互いにないものを持ってるから」嫌いなのではないかなと。
田母神さんの「優しさ」がゆりちゃんにはないし、
ゆりちゃんの「熱意」が田母神さんにはなかった。

お互いがお互いを補られる関係だったかもしれないけれど、それは断絶してしまった。
補い合えないなら、あとは傷つけ合うだけ、なのではないでしょうか。
離れていくにはあまりにも近すぎたし、無かったことにするには、色んなことがありすぎた。

映画で流されていない間の時間でたくさんの幸せすぎる思い出があったのでしょう。
消すにはあまりにももったいない時間が過ぎたのでしょう。

それを一言で表現するのが「嫌い」だったんだと思います。
表裏一体ですよね、好きの裏返しなんですからね。

とてつもなく大きな愛情表現なんじゃないでしょうか。
恋人とか友達にはなれないし、戻れないけれど、確かに二人の間には繋がれた何かがあったのです。多分ね。
だから、「ありがとう」なんですね。
二人とも、まだまだこれからなんです。
映画は終わってしまったけれど、物語はまだまだ続きがありそうですよね。

これはまだまだやり直せる人たちの物語

初心を忘れなければ、そして大切な思い出が一つでもあれば、何度でもやり直せる。

そういうメッセージ性が強く込められている物語だなぁと私は解釈しました。
表面的には「胸糞」だとか言われているけれど、もっと奥には違うものがあると思います。
これこそがごくありきたりで、どこにでもある物語で、誰しもが経験しうる普通のストーリーだと思うんです。

こういう物語は、なかな作れない。
創作者的な目線で見るとどうしても、奇想天外なエピソードや、風変わりなキャラクターを入れたくなる。

でも、ここには背伸びをしない等身大のストーリーがあるのだ。

そのままを誰しもに当てはめられる。
誰もが田母神さんになるし、ゆりちゃんになる。村上かもしれないし、梅川さんかもしれない、ハイパーマリオくんかもしれない。誰かの要素をうっすら満遍なく持っているのだ。

全部のキャラクターが、全員に当てはまる。こういう映画ってなかなかない。邦画だと、意外とそうでもないのかな?洋画ばっかり見ちゃうのでね……。

全員に感情移入できるから、全員の気持ちがうっすらと全部何となくわかるのだ。
だからこそ、拒否反応があって見向きもしたくない。
「胸糞だ」「サイコパスだ」と思ってしまうのかもしれない。

いやぁ、私はすごく好きだけどな。
「今日クソ天気いいなぁ」で一日を始めたいと思ったな。

『神は見返りを求める』公式サイト
予告動画予告動画そのに
エンディング曲「サンクチュアリ」
↑聞いた瞬間に泣けるくらいには作品にマッチしています。

素敵な映画をありがとうございました!


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