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7月ヒトカタリ、最高でした

ああ、どこから話せばいいんだろう。
どこから書けば私の想いがうまく伝わるんだろう。

多くのことがありすぎて、経験しすぎて、うまく書けるか自信がない。
そしてこのヒトカタリの始まりがどこなのかすらもわからない。どこから書き始めればよいのかもわからない。

2023年7月1日から2日までの1泊2日。
ヒトカタリは始まり、終わった。
ここが始まり? 
なんだかしっくりこないのだ。ちなみに、終わりもしっくりきていない。

どうしてこんなにもしっくりきていないのか。
運営として参加したことも理由の一つなのだろう。
準備の段階から私の中でヒトカタリはもうすでに始まっていた。

運営が立ち上がった5月頃が、はじまり?


いや、これもしっくりこない!

もっともっと前から、私のヒトカタリは始まっていた気がする。ヒトカタリを知ってから、ずっと始まっているんだ。

これはちょっと安直な気もする。いや、でもここからヒトカタリに出会ったのだし……。

ただ、不思議な感覚なのだが、ヒトカタリはもっともっと前から始まっていたような気もするのだ。
ヒトカタリという言葉を知るずっとずっと前から。
ということは、米沢に来てから?

戻りすぎ?
いや、でも、もっと前なような気もする。米沢に呼ばれたきっかけは竹あかり。
竹あかりに出会った時から? そのきっかけは研究室行事で……。
いやいや、きりがないな。

竹あかりというもの、米沢という場所、ヒトカタリというもの。全部私の中に深く深く残っている。

どれも大好きで、どれもかけがえのないものだ。

本当は始まりなんてものは、ないのかもしれない。
終わりなんてものも、ないのかもしれない。
全部人生の途中にあったもので、区切りなんてものはない。
つまり、始まってないし、終わってもいないのだ。ずっとずっと続いていく。それに気づいた。

今回の記事は、めちゃくちゃ長くなってしまうかも。
どこから書き始めていいものか、わからない。ずっとずっと続いていくものを無理矢理切り取るような感じがして、ダイジェストに書き出すのは違うような気がした。
「どうせなら全部書いてしまおう!」と思ったが最後、長々と、タラタラと書き続けてしまった。
それくらいに今回のヒトカタリは私にとって特別なものとなったのだ。
その前に、ヒトカタリに出発する前の私のふりかえりをちょこっと添えたい。

ちょっとだけ、私の話。

2023年は、いろんなことがあった。竹あかりのワークショップにたくさん参加したり、手伝ったり。いろんなところに行ってみたり、いろんな人と話してみたり。遊んでみたり、勉強してみたり、迷ってみたり。
映画の考察書いてみたり、小説書いたり、詩を書いたり、動画つくってみたり。
焦って落ち込んだり。休学してみたり。人の目を気にしたり、開き直ってみたり。

嬉しいことも、楽しいことも、悲しいことも、辛いことも、たくさんあった。
ありすぎて困るくらい。
言葉にすることが追いつかないくらい、いろんな感情がぐちゃぐちゃになっていた。

自信があったり、なかったり。

めちゃくちゃチャレンジしたい!って思った次の瞬間にはやっぱりやめたくなったり。
ぐらぐらの精神状態のまま、どうしようもない時間が多かった。

「どん底じゃん」って思っていても、それでも大好きな人がいて、大好きな場所もあって、「案外底じゃないかも」とかも思っていた。
底にいても引き上げてくれるのは人だったし、作品だったし、自然だった。
助けられては、文章を書いて、エッセイにして、物語にした。

誰にも言えない悩みがあった。
誰にも言えない苦しみがあった。
苦しくて、辛い。でもどうすればいいのかわからない。
わからなかったから、取り繕って、書きまくって、新しいものを作り続けた。

そんな中、参加したのが3月のヒトカタリ。
とんでもねぇイベントだと思った。とんでもなく楽しかった。
視界の色が増えたような気がして、嬉しくなって、その経験を文章に綴った。

そんなヒトカタリのnoteを、ことちゃんが見つけてくれて「よかったら次のヒトカタリ、運営してみない?」と誘ってくれた。
全く迷わなかった。「私にできることがあるなら!」その一心で飛びついた。
誰かに必要とされたかったのかも。あのキラキラした場所にもう一度行きたいっていう気持ちも強かった。
もしかしたらあの時から「今回の」ヒトカタリのはじまりだったのかもしれない。

運営メンバーは前回ヒトカタリにいた人たち。と、プラスアルファ。
zoom会議の回数を重ねるたびにヒトカタリの輪郭がはっきりしてきた。打ち合わせが毎回楽しみだった。
みんなで考えてつくる要素の一つ一つが、どれも大切で、大事なイベントになっていった。
みんなと一緒に作り上げるヒトカタリは、とにかくとにかく最高でした。

具体的な内容はのんちゃんが素敵なnote記事にしていますのでぜひそちらを。

毎回、ヒトカタリのレポートに助けられながら書いています。
これはこれで、みんなで作り上げている感じがあって、とても好き。書いている時すらもひとりじゃないって思えるんだ。詳細なスケジュールを書いてくれているので、私は感じたことをのびのびと書けるのだ。
おしょうしな(山形県の方言で「ありがとう」の意)

いやはや、感じたことをのびのびと書きすぎるとどこまでも広がっていってしまう。でもまぁ、それも一興。楽しかったあの日々を感じてもらえるようにどこまでも書いていこうと思う。
7/1~2のヒトカタリスケジュールを作ってみました。これに沿って考えていたことを書いていこうかなぁと!

スケジュールまとめ
よく出てくる言葉のまとめ

一番最後に、運営裏話みたいなものをオマケで書いちゃお。

0日目

私の1日目はみんなよりも12時間くらいはやい(他の運営メンバーは24時間くらいはやい)。ちょっと前日まで予定があって、それが終わり次第合流という運びになっていた。
米沢まで大体500キロ。深夜の高速道路をかっ飛ばして米沢へ向かったのだった。

旅のお供は運営メンバーのつぐぽよ。

笑顔がまぶしいんじゃあ

同じく前日まで予定があったもの同士、私の住んでいる場所まで来てもらい、そこから米沢まで私の助手席に座り続けてくれた。
大体7時間くらいの旅をつぐぽよと共に過ごすのだった。

行きの車では、つぐぽよの学校生活の話だったり、ヒトカタリについてだったりを話して過ごす。つぐぽよはヒトカタリの常連で、たくさんの場所でたくさんの活動をしていた。それゆえの濃ゆい話だったり、ちょっと悩んでいることだったりも教えてくれた。

つぐぽよとの話はずっと飽きなくて、つぐぽよの目指しているもの、経験してきたこと、全部刺激的で、新鮮で、面白かった。同じくらい私も話ができていただろうか。
つぐぽよの話しか覚えていない……。それも一興なのかな。

途中でトラックに挟まりかけたり、急カーブの遠心力で横転しそうになったり(ゴメンネ)、なかなかの珍道中となった。
これはこれで楽しかったなぁ。この時点でもうすでにヒトカタリは始まっていた。

つぐぽよと出会ったのは今年の3月。前回のヒトカタリが最初の出会いでした。
5月にも会ったけれど、そこまでガツンと話をしたわけではなかったので、「7時間沈黙だったらどうしよう……」とかいらぬ心配をしていたのは事実。
ただ、それは杞憂にすぎず、ものすごく楽しい時間になったのだった。

前回一人で行った時は何度もサービスエリアに寄って仮眠しなくちゃ事故を起こしそうだったのに、なぜか一回しか寄らなかった。
無理をしていた訳じゃない。むしろ、「寄ります?」と聞かれても頑なに断り続けていていたのは私の方だった。

まだ大丈夫。まだ大丈夫。だってめちゃくちゃ元気なのだから!
そんなハイパー元気マンでいられたのは、聞いてて飽きない、話したくなる時間になったから。つぐぽよとの時間がものすごく楽しかった。

明け方、電線にたむろするカラスの量にドン引きしながら相田ハウスに到着。

到着した三十分前に他のみんなは就寝したそう。くう、惜しかった……。フラフラになりながらキャンピングカーで就寝。初めての車中泊の記憶は朧げで、つぐぽよに起こされて「家で寝れるみたい」と教えてくれて降りたのは覚えている。あとは全部覚えていない。

1日目

目が覚めると、家の中で寝ていた。相田ハウスで目が覚めて、支度をする。

みんなが配慮してくれて、私とつぐぽよの午前のスケジュールは「就寝」のみだった。つぐぽよはなぜか元気で外のお手伝いをしていたようだったが……若い……。

再集合して、ご飯を食べて、最終打ち合わせ。
スケジュールの確認と役割の把握をして、いよいよみんなを迎えに行った。
久しぶりに会う人もたくさんいる。ちょっと、いやかなりドキドキしながら駅に向かうのであった。

「おかえり!」

かつて私が言われたように、私もみんなをお迎えする。久しぶりに会う人、初めて会う人、懐かしくって新鮮で、楽しくって、もうすでにエネルギーをほとんど放出してしまったような気分になった。

受付をして、名札を書いて、みんなが集まるまでしばしご歓談。
みんなの近況を聞いていたらあっという間に時間は過ぎていった。
「元気か〜」「元気だよ〜」
「インスタ見たよ〜」「頑張ってるね〜」
SNSの凄さを感じます。遠く離れていても、すぐ近くにいるのだ。でも、生身で会うのは格別で。やっぱりSNSで何をしているのかは知っているかもしれないけれど、実際に会ってその人の言葉で近況を聞きたいもの。

集合時間になったら、はじまりの挨拶をことちゃんが行う。

最初のプチアイスブレイクが行われる。
緊張度と、エネルギーのチャージ方法を並び方によって見えるようにしてみた。
今の緊張具合と、一人でいる方が元気を回復できる人、大人数でいる方が元気を回復できる人。
端っこに運営二人が立って、めっちゃ緊張している人はこっち、ノリノリで楽しみな人は向こう、まぁまぁな人は真ん中……みたいな感じで今のテンションを目で見える形にした。

案外、緊張している人が少なかったり、一人で元気チャージする人が多かったりと、発見が多かった。こうやってお互いがお互いの状態を言葉にしないで把握することって案外大事かも知れないなぁ。

移動の車内で自己紹介をして、楽しい時間を過ごす。自己紹介テーマも、事前に運営で決めたもの。それに沿って考えながら話すみんな。なかなかに楽しい風景でした。

ちなみに、テーマは「自分を動物に例えるなら?」。私は、「これや!」と思うと一直線なので「イノシシ」。ちなみに運転担当だったけど普通に道を間違えていた。こういうところでも引き返さないのでイノシシ感がありますな~。
一念峰のふもとに到着して、いざ登山! と、その前に……。
のんぞと私による、アイスブレイク!!

躍動感あふれるこの動きッ!

最初のイベント、「一念峰登山」の前に、準備運動と声出しを兼ねたアイスブレイクを。ここで全員の自己紹介を共有する時間を作りました。その方法も、一癖あって。自分の乗っていた車のメンバーの事を、同乗した別の人が紹介する他己紹介をするのだ。

これがまた面白くて。話された内容を完コピしようとする人もいれば、すっかり忘れちゃっている人もいる。さらに自分のオリジナルの言葉を付け足して紹介する人もいて、「こんな風に紹介するのね~!」と感心しながらみんなの紹介を聞いていました。
他己紹介が一周したら、次はアイスブレイク。

これからヒトカタリ!イベントに参加するときは緊張がつきものなのだ。
「ちょっと緊張しているかも…」って人には緊張をほぐすために、
「もうリラックスしているよ!」って人はもっとリラックスするために。
体を動かして、声を出して、近くの人と交流するために考案した「動物の王国with大声」(名前がパワーすぎる)。

のんぞと考えたオリジナルのゲームだ。

米沢の代表的な動物四種類(牛、鯉、鷹、猿)のモノマネをして、揃ったら「アミーゴ!」揃わなかったら「エネミーゴ!」と大声を出す。揃うまで踊り狂うアイスブレイクだ。
揃って座っても、踊り続けるメンバーを見て笑い、揃わないメンバーは永遠に踊り狂って笑う。狂気と言われればそれまで。でも、緊張でちょっとだけ張った空気が一気に緩んでいった。

まさにアイスブレイク。
大成功に終わったアイスブレイクの次は、スリル満点の一念峰に登っていくのだった。

一念峰の登山

これがなかなかにハードでして。己の体力と運動神経の無さを再任した瞬間でもありました。

元登山同好会のつぐぽよを先頭に、元気に登れる人は前の方、ゆっくりのんびりいきたい人は後ろの方、と自分の体と相談しながら場所が決まっていく。険しい道も自分と同じくらいの体力の人たちと一緒なら全然怖くないね!

最初は「小学生でも登れるよ!」とのことだったのだが、なかなか険しい道が連続していて……。普通に負傷した。いや、参加されている小学生ははるか前方でスイスイ登っていた訳だから、私の体力に問題があったみたい。

のんびり登りつつ、いろんな話をしながら、自然と、人と仲を深めていく。
みたことのない景色を誰かと共有するのはなかなかに楽しいものだ。
みんなの辿ったコースを外れてみたり、無理やり岩を登ってみたりと、なかなかにできない体験ができた!

良い笑顔〜!

なにより、かなり運動神経悪めな私でも頂上に登れたのはみんなのおかげってところもあって。
登りづらい岩肌は手を差し伸べてくれて。
滑り落ちそうな急斜面は支えてくれた。
「大丈夫だよ!」「そのまま登って!」励ましてくれる声が、私を勇気づけたのだった。

みんなに支えられて、みんなに勇気づけられて、元気に登頂できたとさ。

すんげぇ斜面も、みんなと一緒なら登れるのよね

こういう時に、「私って一人じゃないんだぁ」って心から思えるのだ。
支えてくれる人がいて、引っ張り上げてくれる人がいて、勇気づけてくれる人がいる。
いつでも誰かはそばにいて、助けてくれて、支えてくれる。そんな単純で当たり前なことを——というか、青春映画で言いそうな爽やかな文言を——私は感じ、知れたのだった。

今までは信用など必要ない、結果こそ全て、実力至上主義、パワー!的な思考に取り憑かれては、
「いや、そんなことなくない?」「てか、私も大したやつじゃなくね?」「てか、信じるって何?」とぐらついて、ぐちゃぐちゃになっていた自分がいた。

なんとなく抜けたような気がしていたけれど、あの時間に、心から「そんなことないじゃん!」って思えたんです。パリーンとうすいガラスのようなものが割れた気分。視界がクリアになった。

だって、私が登れなくても、私ができなくても、周りにはあんまり関係ないわけで。
めちゃくちゃな大金を持っているわけでも、とんでもないカリスマ力があるわけでもない。助けてくれたとしても私は「ありがとう」しか言えないのに、それなのにみんなは助けてくれて支えてくれて。

ただ、助けるっているのは、支えるっていうのは、それだけのこと。
見返りだったり、「この人だから助けた!」なんて意図は実はないのかもしれない。

私だって、誰かを助けたいって思う時とか、手を差し伸べなきゃって思う時、「この人を助けたら後でなんかもらえるかな」とか「ここで助けることにメリットがある!」なんて一ミリも思ってないのだ。
手を伸ばしたいから伸ばす。それだけだ。

てっぺんで「ヒトカタリ」ポーズ!

頂上の景色も清々しくて素敵だったし、心のバリアみたいなものも取り除かれたし、かなり最高でした。

さて、あまりに登山が楽しかったがために、後々の予定が結構圧迫されてしまいました。これも当日にならないとわからないもので。
ただ、運営のものすごい連携プレイで、お風呂も入れて、宿泊先まで向かうことができた。この時も私は道を間違えた(ゴメンネ)。

お風呂から上がったら、次はバーベキュー!

大自然の中で焼くお肉はとてもとても美味い!

買い出ししてくれた野菜やお肉をじゃんじゃか焼いて、舌鼓を打つ。
焼きたての野菜やお肉を外で食べるなんて何年振りだっただろうか……。

自然の風を浴びながら食べるご飯はとんでもなく美味しかった。

外は完全に光が落ちていて、お互いの顔があんまり見えない。
そんな中、お肉をたべながらぽつりぽつりと話すあの「カタリ」も楽しかったなぁ。

思わずぽろっと出てくる悩みも、暗い話も、夜の闇が吸い込んでくれた。簡単に吐き出せるからこそ、自分の素直な気持ちがぽろっと出るのだろう。
自然と本心が出る瞬間。誰かのなんでもない言葉が、スッと心に入ってくるのだ。ぐさっと刺さるのではない。スッと入るの。

この感覚、なんて表現すればいいのだろうか。

明るいところで、それこそ登山中では感じられなかった言葉の受け取り方をしていた気がする。顔が見えないからこそ話せる話もあるのだろう。

ゆったりと進む時間の中、もしかしたらこの時間は無限なのかも? と錯覚してしまう。
でも、食材は有限。バーベキューの後片付けをしたら、いよいよヒトカタリワークが始まった。

ヒトカタリワーク

暖かい光の中で行われるワーク

ヒトカタリワークは「自分の心の声を聞く」ために行われているもの。前回のヒトカタリでは「自分の大切にしているもの・こと」「ヒトカタリに参加した理由」を軸に少人数で話をした。

今回のヒトカタリは、ちょっと違う。

最初に誰かのつくった絵本を読んで、聞いて、見て、瞑想をするのだ。この数日だけじゃない、ずっとずっと昔のことまで。
それから目を開けて、自分の「色」を知るのだ。
自分は何色で、過去の、気になる自分は何色なのか。
二人一組になって、自分の話をする。ぽつぽつとする。
最後に、自分の虹を描いて、ワークの内容は終わり。

このワーク、すごく良かった。
良かったとしか言えないくらいには良かった。

絵本から、自分の人生を振り返る。絵本の内容は、誰かの人生を色で表現しながらだんだん虹が完成してくというもの。具体的なことは一切話されない。

はじまりは真っ白で、生まれた時にはひとつの色が加わる。
ページを捲るたびに、いろんな色が増えていった。
あの瞬間はオレンジで、あの時は緑で、あの時間はオレンジとベージュが混ざっていて……。どんなことがおこったのか一切わからない。

それでも、それを見て、心が強く揺さぶられる感覚があったのだった。

誰かも、私同じように苦しんでいて、同じように楽しんでいて、同じように生きているってわかったから。同じ人間が、すぐそばで生きている。それを実感した。
人の気持ちや人生は100%わからないもの。
仲の良い友人だってこの瞬間何を考えているのかはわからない。誰かの気持ちは言葉にしないと伝わらないものだでもあるし。

ただ、誰かも全力で生きているって。それが知れて、すごく温かい気持ちになれた。迷うこと、苦しむこと、悲しむこと、楽しむこと、喜ぶこと、考えること、全部全部を絵本から感じ取れたのだった。

誰かに自分の人生を話すということ、誰かに私という人を本当の意味で紹介するということ。二人一組になって、語り出した。
このような機会って全然ないように思えるのだ。

現在やっていること、自分のステータス、立場、どこに所属しているのか、現在の紹介はハードルが低くても、過去自分が何をして、どんなことをしていていて、なんてことはちょっと言いづらかったりする。

もっと言えば将来自分にはどんな夢があって、何をしたくて、なんてことはかなり言いづらかったりする。
言えたとしても、ぼやかしたり、肝心なところは言えずにいたりもする。

そんな中、ちょっと言いづらい過去のことを、話せるなんて!
心をパカーと開いて、自分の思いを吐き出す。うまく言葉にできなくても、その間、じっと待ってくれていて。それで、ちゃんと言いたいことが表現できるのだ。それも全部包み込んでくれて。
すごくあったくて、幸せな時間でした。

私のちょっと近い過去にぐらぐらしていたこと、人間関係で悩んでいたこと、将来がものすごく不安なこと、自分のしていることに自信が持てないこと……そんな言葉がぽろぽろと自然と溢れていました。

文章に対する愛情。書くことが大好きなこと。それもある。
でも、大好きだからこその不安もあるのだ。
このままでいいのか。これから私は書くことで何がしたいのか。
明確にしたくないからこそ、悩むのだろう。
書くことは大好き。ただ技術が足りないのも事実。人の評価を気にして、「そんなに馬鹿にするなら書かない」と臍を曲げたりもしたこともある。
でも、好きだから、筆を取ってしまうのだ。
ただ、この活動の先に何が待っているかわからないから、不安にもなる。

文章だけじゃない。

どこに住んで、どこで生活して、誰と暮らすのか。
全然決めてない。いや、決めない選択をとったのは私だ。それなのに不安になるってどういうことやねん。…………ってなっていたのだけれども。

それが普通であり、当たり前なのだ。毎日前を向いて頑張れるならそれはそれで素晴らしい。
でも、それは当たり前ではないのだ。

人間なんだから、機械じゃないんだから、一貫した感情だったり、意思を貫き続けるというのはかなりハードなものなのだ。
そういう不安や弱音は吐かない方がカッコいいとされている。言わない方が強くて頼り甲斐があるとされている。

本当にそうなんだろうか。

弱さがあって、不安があって、そっちの方がよっぽど人間らしいだろう。
そういう弱いところをさらけ出せるからこそ人間で、迷いがあるから生き続けることができるのだろう。
いつも不安がダダ漏れになっているのではなくて、そういう弱さを出してよい「場所」がちょこちょこあれば、とってもいいんじゃないかと。

そういうことを考えていました。

悩みって、弱さって、自分だけで考えたら「こんなこと考えている私って馬鹿みたい!」「私だけがおかしいのかな?」とも思い込んでしまう。
でも、ぽろっと言ってしまえば大したことないし、どこにでもあるようなものなのだ。

「あるあるだよ」と言ってもらえることにどれだけ救われたか。
「わかる〜! わかるよ!!」自分だけが抱え込む必要のない悩みをどれだけ一人で大きくし続けていたのか。それに気がついた。

私が吐き出すだけじゃなくて、それと同じくらい相手の悩みや弱さを聞いた。同じくらい、誰かは迷っていて、悩んでいて、それをなんとか乗り越えていた。

それを聞いて、私はただ頷いて、その話を受け止めた。「私だったらこうするな~」「私はこう思う~」なんて言えなかった。言えるはずもない。

その人の経験や悩みはその人だけのものだ。そこに私は介入していいはずがない。私は私が話を聞いてもらったのと同じように、私も同じように話を聞いた。

話を受け止めるというのは大変な作業だ。
ただ、それでも私がしてもらったのと同じように、その人を受け止めるのは大事な作業でもあった。

そこから広がる話は深くて、興味深くて、その人のことをもっともっと深く知ることができる時間だった。
「また話を聞かせてね」って言ってもらえた。私も同じくらい話を聞きたい。
落ち着いたら、近況報告やまたできた悩みを相談したいなぁ。

一方的に押し付けるのではなくて、お互いに自分の苦しみ、悩み……キラキラしたもの、どろどろしたものを分かち合う。お互いの中にあるものを、言葉によって探し出す。
「こういうことかな」って考えることは大切だ。ただ、それよりも何よりもその人の言葉をそのまま受け止めることの方が重要な気がした。

そこに解釈は必要ないのかもしれない。
ああ、人と語るってこんなにもまっさらな気持ちで、純粋な気持ちでできるんだなぁ。

心理戦だとか、読み合いだとか、会話テクニックだとか、そういう知識みたいなものは一切必要なかった。それがどれだけ小手先なものなのかがわかった気がした。

暖かくて楽しい時間ののち、自分の虹を描いてワークは終了した。

時刻は日付がかわったところ。
ヒトカタリワークの延長はまだまだ続いたのだった。

流石に米沢までの運転の疲れはまだ取れず、登山の疲れはじんわりとやってきていた。
今日は大人しく寝るか……と前回のヒトカタリ(睡眠時間30分)を思い出しながら歯を磨きに行っていた。

……まぁ、寝るわけないですわな。

夜のヒトカタリ

用意された日本酒に釣られて外に出たら最後。外にはテントが二つ張られていた。
就寝用のものと、小さな椅子をセットして外で語り合う用のものが。もう戻れなかった。いや、戻らなかった。

今回の夜のヒトカタリメンツはのんぞ、ジェニファー、いぐっちゃん、しんちゃん。
まさかこんなにも盛り上がるとは思ってもみなかった。実に朝日が昇るまで頬も引き攣って、腹筋がつるまで笑っていた。
おおよそ5時間ほどぶっ通しで話込んだ。昼間には話せない、あんなことやこんなこと。深い話に行ったと思ったら一気に浅瀬に行ったり。

もっと話したいと思っていた人たちだったからこそ、盛り上がった。盛り上がりすぎた(後に聞いたら我々の声は小屋を貫通していたそう。ゴメンネ)。

深いといっても、「恋人にしたいと思う条件とは?」これしか覚えていないけれど。あとはなんでしたっけ?? ここでは言えないことばかりを覚えている。
とにかく、笑いに笑い、話しに話した。

一番のハイライトはしぃぃいいいんである。何が何だかわからないと思う。
でも、しぃぃいいんなのである。

お酒を飲むこと、酔っ払うこと、判断力がかなり低下してなんでもかんでも面白い世界となってしまう。
そのカオスが「しぃぃいいん」なのだ。文字にすると本当に意味がわからない。
でも、この二音で私たちは朝日が出るまで——なんなら次の日一日中——笑い転げていた。あったかい素敵なヒトカタリワークも好きだけれど、シュールとカオスが詰め込まれたテントの中も大好きだ。

この躍動感、好きです

意味のない(あるかもしれないけれど)面白さを共有できる人がいて、私は本当に幸せ者なのかも知れない。
「なんであんなに面白かったんだろうな……」思い返しても不思議だ。でも、そんな面白さでしか摂取できない養分があるのだ(オタク的表現)。

しかも、朝日を見たのち、4時間も寝れたのだ!!前回の八倍!!フゥッ!
午前中はのんびり過ごして、午後に二つワークをする予定だった。朝日で若干ぼんやり明るい部屋に戻って、寝袋に潜り込むのであった。

二日目

おはよう!

朝。まばゆい日の光で起床して、バルコニーでおおきく伸び。夏らしい日差しでばっちり目が覚めた。少なめの睡眠時間のなか、スッキリと起きられたのはなぜなのか……。自然がいっぱいあふれる場所おかげかな?

朝ごはんはみんなで作ったもので、それをいただきながら これからのスケジュールの確認や、準備を進めていく。

手作り味噌汁、絶品でした。

なんだか、大家族の一員になった気分だった。

たくさんの兄ちゃん、弟、姉ちゃん、妹が一気にできた気分で。「自分らしくいなきゃ」とか、「気を使わなきゃ」とか、意識するずっとずっと前に、自分を出せていたし、自然と体が動いていた。

気がついたら、もう「自分らしさ」しかなかったし、そうならば、「誰かのためになにかしなくちゃ!」とか考える必要もなかった。
怠けるとも違う。誰かのために!って思わずとも、誰かのために動けたのだ。

これがコミュニティなのかなぁ、となんとなく思った。
いや、家族って言った方が良いのかな? でも、家族って定義が曖昧なので、やっぱりコミュニティかな。

共通点は、「ヒトカタリに参加している」ということ。年齢も、大学も、興味あることも、住んでいるところもバラバラで、それなのにこんなにも落ちつけて、自分を出せて、誰もが笑顔で、嫌な思いをしていないと。

なかなかできない。なかなかやろうと思って実現するものでもない。
大抵誰かはちょっとモヤついていてたり、気を使ったりするものだ。そういう気遣いがないから(もちろん最低限はあると思うけれど)、本当にヒトカタリってすごいなぁと思うのだ。

1日であっという間に仲良くなって、語り合ったからこそあのあったかい場所が出来上がったのだ。それを朝じんわり実感したなぁ。

出発前にシークレットバディからのお菓子の差し入れをもらって、集合写真をパシャリ。

良い天気!

バディからのお菓子を大事にしまって、次の場所へ移動する。今度は蕎麦屋さん「なでら」に向かって蕎麦打ち体験を行いました。
この時も、多分道を間違えた気がする。もはやもう「着きゃいいか!」のテンションでもあった(ゴメンネ)。

そば打ち体験

この手元
美しすぎる


四人一組になって、粉の状態から、生地にしていく。ちょっとずつ水を混ぜて、生地にして、今度は棒で伸ばしていく。
蕎麦の名人から直々に教えていただく機会は貴重なもので、なによりみんなで一つのものを作り上げる時間が尊くて美しい。
しかも、作った蕎麦はあとでみんなで食べることもできる。お昼ご飯と体験が一体になったワークだった。

蕎麦のための特殊な包丁とまな板。みんなで順番を回しながらちょっとずつ切っていくのも楽しい。

切り終わった蕎麦はお店の方に茹でていただく。それまでは自由時間だ。なでらにはたまたま燕が迷い込んできていて、私たちの頭上で飛び回っていました。
そんなツバメをみながら、各々自由な時間を過ごす。

縁側でお昼寝するのもよし、談笑するのもよし。
のんびりと過ごす時間がまたよくて。お腹も減ってきたけれど、それでもこの時間が無限に続けばいいなと思ったくらいには楽しい時間でした。

ちょっとした会話、ちょっとした遊び、あったかい日差しの差し込む和室。誰がなんと言おうとこれが「夏休みにばあちゃんちに帰省したら親戚がいっぱいいた」状態です。なかったはずの実家がまた一つ増えた。

和やかで、穏やかで、ただただだらっとした時間が過ぎていく。緩やかな時間の中、深まっていく人との繋がりがまた素敵で。
出来上がった蕎麦もまた美味しい!

美味そうがすぎないか?

職人さんのような正確な細さではないけれど、このアンバランスな麺の太さも愛おしい。自分たちでつくったからこそ価値があるのだ。めちゃくちゃ美味しかった。

気がついたら全部ぺろっと食べてしまっていたし、なんなら蕎麦湯も飲んじゃった。おろしたてのわさびがまたつんと鼻の奥を刺激して、食べることの豊かさを感じます。
おいしいご飯と楽しい仲間、あの楽しい時間はいまでも瞼の裏側にこびりついている。

紅花収穫体験

紅花です。

そろそろフィナーレに近づいてきました。最後のワークは紅花の収穫体験です。

二人一組のペアをつくり、紅花を収穫していきます。
この紅花たち、実は3月のヒトカタリで種まきをしたもの。

種まきの手押し車で種を落としたのが、こんなにも大きくなるなんて……と感動。あの時はまだ寒かったのに、今ではガンガンの夏。四ヶ月という時間の流れも感じたのだった。

紅花の説明を受ける。紅花は棘がびっしり生えていて、収穫するタイミングは露で棘が柔らかくなっている早朝が最適とのこと。
時刻は13時過ぎ。棘は元気にピンピンしていた。
一応持ち物には軍手と書かれていたけれど、素手で摘むことにした。ズボラとかではない。ズボラとかではない!!軍手が暑いとかでもない!!断じて!!

手に棘が刺さるたびに痛みよりも「これが育った紅花かぁ」という実感のしたさの方が大きかったのだ。もちろん、痛い。
手はあっという間に傷だらけ。でも、それでいいのだ。素手の方が、ちゃんと「摘んでいる」感覚を味わえるような気がしていた。

紅花は、山形県の名産だ。それに、紅花を加工すると紅もちとよばれる鮮やかな赤色の塊ができて、それで染められる着物やハンカチなどは高級品と呼ばれるそう。

収穫した紅花はみんなで山分けして、今でも家に飾ってある。加工するのは今じゃないと思っているので。いつか自分で紅もち作るぞ~!

収穫するとこんな感じ。鮮やかな黄色は、加工すると真っ赤になるという。

羽ばたきワーク

さて、最後はメッセージを書き込む時間。通称、羽ばたきワーク。

一文字一文字しっかりと書き込んでいきます。

ツバメを模った画用紙は運営メンバーの手作業で作られたものだ。

ヒトカタリのモチーフは「ツバメ」。ツバメは渡り鳥の一種で、北半球の広い距離を飛ぶ鳥だ。子作りや、越冬をするために再び日本に帰ってくる。

ヒトカタリも、それと同じ役割を担っているのだ。たくさんの冒険をして、ふとしたときにヒトカタリに戻ってくる。
ヒトカタリはずっと留まるものではなく、また自分たちの倍所や、行きたいところへと旅立っていく人を迎え、そして送り出すのだ。

旅立つときにツバメを持って、自分もツバメだぞ~!と新しい一歩を踏み出す。そんなみんなの姿を思い浮かべながらメッセージを書き残す。
たった二日間しか一緒にいなかったのに、出るわ出るわ背中を押すメッセージが!

ちょっとしか話せなかったかなぁと思っていた人でも、全然そんなことなかった。一人一人との時間が、その人の名前の書いてあるツバメの前に座れば、思い出すもの。
ちょっとしか話せなかった、なんてことはない。どんどん言葉も溢れてきたのだから。書きすぎないように、ちょっと考えて、本当に残したい言葉だけを書いていく。頭の中で言葉を選んでいく過程はとっても楽しい。
夢中で書いていたらいつの間にか全員分書き終わっていた。

最後はシークレットバディの発表です。一体誰が私のバディだったのか……。

それは……。

こ、こ、ことちゃ~~ん!!

良い笑顔

どうです、この良い笑顔。
あのお菓子も、あのメッセージもことちゃんからだったのか!

シークレットバディの発表は「この人が自分をみていたのか!」と驚くドキドキはものすごいインパクトだ。あの発表の時に、またさらに相手とぐっと距離が近づくみたい。

ちなみに、私がチラチラみていたのは小学生の女の子。
お手紙とお菓子は喜んでくれただろうかと考えるだけで心がほわほわと浮き上がって、楽しい気分になった。これだけ見ていたよってことを(気持ち悪くならない程度に)お手紙に書いて、お菓子を添えて、こっそり渡された時の、あの笑顔。見ていてとても幸せだった。

自分の気持ちが性格に相手に渡ったか、渡っていないかそんなのはどうでもよくって。
自分がどれだけその人のことを見ていて、どれだけそのことを言葉にできたのか、なのだ。それを満足するまで言葉で表現するのが、お手紙の醍醐味でもあるだろう。

相手にその言葉が渡ったら、あとは相手次第。
受け取ったのちは、どうなったのか知る由もない。聞けば教えてくれるかもしれないけれど、その必要は、私にはないかな。

それがシークレットバディからのお手紙というものだと思っているので。
「あなたの素敵なところ、いっぱい知っているよ」ってことが伝えられたら、それで良い。
ちょっと特殊なコミュニケーションが、このワークショップの面白いところなんだと思うのだ。

さて、すべてのプログラムが終了して、解散の時間がやってきました。
関東へ、関西へ、北へ、南へ。みんな旅立っていきます。

帰りはあっさりしていて、みんな爽やかに新幹線に乗り込んだり、車に乗り込んだり。

これが今生の別れになるかもしれない。次に会えるのは数年後かもしれない。
それでいい気もするし、ちょっと寂しい気もする。

ただ、何かしらの縁がこの二日間で結ばれたのは違いない。
だから、いつかどこかでふらっと会える気がするんだ。

後日談

みんなを送り出したのち、運営チームは送迎だったり後片付けだったりがある。
あとなんとその晩にはほたるまつりがあるという。

米沢市小野川町にある小野川町ほたる公園。
ここで野生の三種類(ゲンジ・ヘイケ・ヒメ)の蛍が見られるようだ。日が暮れたら、うっすらとライトアップされた道を歩きながら、蛍が見られる。日が暮れるまでは屋台や舞台を楽しむことができる。

ほたるまつり公式サイト

蛍なんて一度も見たことないからさぁ! 
こりゃ残るしかないだろうと、二つ返事。

残ったのは運営と、月曜に何も予定のない人たち。「ヒトカタリの余韻が抜けない!」と残ってくれた人もいました。
私のお仕事は羽ばたきワークをした部屋の後片付け。忘れ物のチェックも行います。
お供はのんちゃん。

雑誌の表紙みたいだネ……

「ずっと話したいと思ってた!」と言ってくれたのんちゃんはzoomで何回か打ち合わせで顔を合わせただけで、生身ののんちゃんに会うのは今回のヒトカタリが初めてだった。

ヒトカタリ中も、地味ーにすれ違ったりちょこちょこと喋ることはあっても、ふかーーい話はまだまだしていなかったのだ。

一緒にお片付けをして、残った荷物を車に積んでいく。
午後三時。ちょうど蕎麦も消化が終わって、小腹が空いてくる時間だ。日差しもまだまだ厳しい。じりじりと肌が焦げるような太陽の熱に、体は冷たさを求めていた。
すなわち……。
「アイス……いっちゃう?」
アイス、いっちゃったのだ。

片付けが終わったら、小野川温泉に直行する予定だった。ただ、思ったよりも片付けが早く終わったのでちょっとだけ時間が空いたのだ。そりゃあ、やることは一つ。
アイス、いっちゃったのだ。

パチンコ屋に隣接する薬局でアイスを買って、温泉までのんびりと向かう。道中ののんちゃんとの会話は弾みに弾み、めちゃくちゃに楽しい時間になった。
のんちゃんのヒトカタリとの出会いもなかなかドラマチックなものでして……。そんな真面目な話もしたし、馬鹿げた話もした。なかなかに濃密な時間を過ごせた。

ボケたらボケ返す、そのボケにまた被せる。話は永遠に進まなかったし、それでよかった。
「会話で殴り合ってんのよ」
そういうカタリがあってもいいよね。いや、ナグリなのだけれども。
ただ、こんなにも掛け合いができて、オチの見えない会話をするっていうのは、かなり面白かった。

「真面目にならなきゃならない」と肩肘張っていたらこんなにも緩んだ会話はできない。
「ちゃんとしなくちゃ」と考えていたらこんなにもボケを被せたりもしない。

そういう時間が、普段の生活の中で案外ないものだから。
めちゃくちゃに楽しかった。

小野川温泉ほたるまつり

小野川温泉街に到着すると、ちょうど良い時間になっていた。
相田さんが雀踊りをするという前情報を得て、ステージに集合したメンバー一同。

雀踊りというのは仙台で石工たちが飲みの席で即興で踊り出したのが発祥の、伝統的な踊りだ。
相田さんはこの踊りのグループ「米沢すずめ衆 昆龍」の一員で。
最初は「市役所の人って踊ったりするのも仕事なんだなぁ〜たいへんだぁ〜」と呑気に思っていたのだけれども、そういうお仕事ではなかったようだ。

中央でご挨拶しているのが相田さん。

雀踊りは雀みたいな軽やかで、飛び回るような踊り方が特徴で。扇子を使って羽を表現したりと見ていて踊り出したくなるような動きだった。

昔の動画ですが、雀踊りはこんな感じ。

キレキレの動きの相田さん、すごくかっこよかった。
そして踊りの後半、気がついたらメンバー全員呼ばれ、舞台で踊っていた

え?

夢を見ているようだった。
踊っている相田さんをみていたら、その相田さんがこっちに寄ってきた。

ん?

めっちゃ笑顔。

「ほら! 来て!」

一人ひっぱられ、二人ひっぱられ、全員吸い込まれるように舞台へ上がっていた。

初めてみる踊りでも、ノリと勢いとハイテンションで踊り狂った。メンバーの一人が扇子を「なんか、くれたんだよね〜」と持っていたことが伏線だったみたい。
みんな何も知らされていなかったけれど、呼ばれたら「いくしかないよね!」と踊り狂った。

アイスブレイクを思い出すなぁ。
それよりもかなり高度だったけれど。

かなりの運動音痴な私。周りからみたらぎこちなくて変な動きをしていたかも知れない。

でも、その恥ずかしさよりも何よりも、たくさんの人と一緒になって踊ることがこの上なく楽しくて、面白かった。
一つのものをみんなで表現するのってなんて楽しいんだろう。

キラキラの笑顔で、「めっちゃ楽しい!」って気持ちが滲み出ていた。
踊りが終わった後も、余韻が続いていた。

踊って、笑って、そして温泉へ向かう。
ゆったりと浸かる温泉で、昂った神経を落ち着かせていきました。
風呂上がりは、いよいよほたるの鑑賞です。

ほたる

きれいな満月をバックに川沿いを歩く。
こんなにも神秘的な光景は忘れたくても忘れられない。

巨大な月が川を照らし、水の流れによって反射する光がキラキラとまばゆい。反対側を見れば、深い森。

じっと目を凝らしてみれば、ちらっちらっと光る蛍。あの蛍光灯でも豆電球でもない優しく淡い光がそれはそれは美しくて(途中でスリムクラブとすれ違った。でかかった)。

大はしゃぎしていたらのんぞが「さよねぇのハイテンション初めて見たかも知れない……」とちょっとビビっていた。

確かにあの時の私のボルテージは異常だったかもしれない。
だって蛍、初めて見たからッッ!
「みて! 光った! ほら、今! 今! ああ~消えた!」これを100回は言っていた。やかましい成人女性である。
また来年も来たいと思うくらいにはとても良かった。

自然界で、発光する生き物は数少ない。蛍は川が綺麗でないと住むことができない。
かつては日本の多くの場所で見ることができていたけれど、現在蛍を見られる場所はどんどん減っていっている。

この現実を、どう受け止めようか。
美しい蛍と、まんまるの月。最上川の水面。人のはしゃぐ声。
捉え方によっちゃ、昔にタイムスリップしてしまったようにも思えた。
あの瞬間は、一瞬一瞬がとても長かった。
あれが昔なら、私は昔に生きたいなぁ。

さて……

相田ハウスに戻ってご飯を食べて、お酒を飲む。相田さんの家があったからこそ、宿泊費を考えずに気軽に米沢に行けるし、泊まれるのだ。ヒトカタリin米沢をかなり支えてくれていたのは相田さんだ。

めちゃくちゃ忙しいのに、時間を作って、ヒトカタリに参加してくれた、相田さん。
彼がくると、あの場がピカッと輝くのだ。
太陽が雲間から顔を出すように。それで、楽しくなって、自然と笑顔が増えていく。

この笑顔である

エネルギーがみなぎって、なんでもできちゃう気がしてきちゃう。
そんな相田さんを交えて、運営メンバープラスアルファで、ご飯を食べながらまた話す。

「今回のヒトカタリ、どうだった~?」って話から、どんどん深いところへ落とし込まれていく。
ヒトカタリのカタリの部分をメタ的に考えていく。反省会というやつだ。

「みんなは心を開いて話せていただろうか?」「あの時間、場所設定はどうだっただろうか?」「クローズドな場所になりすぎていなかったか?」「ヒトカタリの大事な要素ってどこだろう?」………そこから、今後のヒトカタリの話にも発展していく。

ことちゃんから聞くこれからの「ヒトカタリ」はものすごくワクワクするものだった。
これからのヒトカタリがどんな進化をしていくのか、これから楽しみだ。

ついでに、これからの米沢のスケジュールも聞いて、行けそうな日程をもう押さえました。ちゃっかりと。
来月、再来月も米沢に帰れそうで、さすがの私もニッコリ。
またみんなに会えそうだから、一人でも行けちゃいそうだ。

いつの間にか眠りに落ちて、三日目。さぁ、帰るぞ……。

三日目

と、思うじゃん?

まるで実家のような、いや、もはや実家となった相田ハウスはどうしても出たくなくて、朝はずるずるだらだら。
午前中は布団に転がったり、ちょっと用意して、やっぱりやめて。またごろごろしては、まったりしてを繰り返しました。

気がついたら昼。本当に実家じゃん。
それに姉ちゃんと妹がめちゃくちゃたくさんいるし。帰りたくない〜って私の中の少女がずっと駄々を捏ねていた。
ただ、お腹は減るわけで。ご飯を食べなければならない。
ようやく準備をしながら、ようやく帰路へ……

着くと思うじゃん?

この日は平日。運営メンバーの何人かはが学生もいて。
まぁサボお休みをしている人もいるんですけれども。
のんぞが午後から授業ということだったので、突如「せっかくだし、のんぞの学校行ってみたいな~」とかいうなかなか弾けた思考で「学校送ってくよ」と申し出。

ことちゃんたちとはここでお別れして、「また会おうね!」と笑顔で送り出す。車が遠ざかっていく時はちょっとだけ寂しさが込み上げた。

さて、のんぞを送るべく我々も出発。
同じくイカれたメンバーのちゃちゃと共にのんぞの学校に行くことに。
え?

大講義室にて
右からのんぞ、ちゃちゃ、私

そして授業も受けることに。

え? 

ノリと勢いで生きていると自負しておりますが、まさかこんなところでノリと勢いが発動するなんて……。
ただ、授業自体は面白かったし、米沢のことを学術的な観点から知れたような気もするので、面白かったなぁと。
久しぶりにしっかり授業を受けて学部生に戻った気分でいました。

授業を受けたらさっさと帰宅……。本当に大学生の行動だ。いや、大学生なんだけど。ややこしいな……。

途中にコンビニに寄って、カフェオレを買う。飲みながらのんびりと帰路に着いた。目的地は、相田ハウスの近所。のんぞの車を取りに行くために再び戻るのであった。

行きも帰りも、喋り倒して、普段の発話量を優に超えた。
笑って、爆笑して、たくさんの話をして、たくさんのことを振り返っていた。
話しても話しても、話しても尽きないのだ。
全く尽きないのだ。
こんなにも人とぶっ続けで話すのは何年振りなのだろうか。

のんびり運転していても、終着点は存在していて、着実に距離は縮んていく。
のんぞとはここでお別れだった。もはや家族よりも自分を晒け出した間柄。ここでのお別れは、ちょっとだけ、いや、かなり寂しかった。

でも、また近いうちに会えるような気がしていた。

ちょっとだけ涙が溢れそうになりながら、それでも気持ちよくお別れを言って、関東住みのちゃちゃを送るべく、私の車は米沢を出発したのであった。
夕方の日差しが目に刺さって滲みた。

時刻は夕方。米沢から東京に突入するまでには大体4時間くらい。まぁ、予想はしていた。

「まぁ、せっかくだし」

この魔法の言葉のおかげで、私はずっといろんなものに突き動かされていたみたいだった。

その結果、面白いものを見つけたり、好きだなぁと思える人に出会えたり、最高の仲間ができたり、住みたい場所を見つけたりとラッキーに恵まれていた。

もしかしたら、動かないと得られないものって実はたくさんあるのかもしれませんな。
こうやってラッキーに積み重なった先にいたのが、竹あかりだったし、米沢だったし、のんぞだったし、ヒトカタリだったし、ことちゃんだった(ちゃちゃでもあるし、みうちゃんでもあるし、つぐぽよでも、もえぴでも、のんちゃんでも、どどちでも、ジェニファーでもいぐっちゃんでもしんちゃんでも(ちょっと多すぎるので割愛!!ヒトカタリのメンバー全員!!本当に全員!!!!))。

たくさんの好きな人に出会えて、私はちょっとずつちょっとずつ変わっていっている。

ちょっと変わって、また戻ってを繰り返して、でも絶対に曲げたくないものがあって。
好きなことがあって、曲げたくないものは守って、好きなものはずっと好きで。
情緒は終わっていたけれど、軸はまだまだぶれていなかった。それちょっとずつ変化もしているのだから、私の伸び代はまだまだありそうなのだ。

ドライビング・ヒトカタリ

さて、話は戻って帰路である。
ちゃちゃは前回のヒトカタリで私のシークレットバディだった人で、初めて自分の悩みをぽろぽろとこぼした人でもある。

ちゃちゃはなんだか、初めて会った時から初めてな気がしなくて、勝手に私が安心感を抱いてしまうような、不思議なオーラに溢れている人でした。
こんな人、会ったことがなかった!
ちゃちゃと話すのはあっという間で、気がついたら福島も栃木も通り過ぎ、埼玉をかすめていっていた。

話していたのは、お互いの悩みだったり、恋バナだったり、人間関係だったり、これからの生き方のことだったり。
今まで考えていた人との関わり方のこと。
やっていること。チャレンジしていること。
コミュニティというものに求められるもの。
人が自分をどのように見るのか、ということ。
感情のこと。理性のこと。
ほかにもいっぱい。書ききれないくらい、いっぱい。

ちゃちゃとの話はスッと深いところまで落ちていって、抽象的な言葉でもお互いに言いたいことが言えて、伝えたいことが伝わった。
新しい気づきもいっぱいあったし、知りたいこともたくさん知れた。

「なんかね、気がついたら米沢に行っちゃうの。米沢っていう場所も好きだし、メンバーも好きだからハッピーセットって感じなんだよね。ヒトカタリっていう場所も好き。関東に住んでいる人はたくさんいるけど、近場で別のイベントがあって、その人たちがいても別に行こうとしないと思う。ヒトカタリが米沢でやってるから、ついつい行っちゃうんだよね」

ちゃちゃのお言葉。テーマは「米沢に惹かれちゃう理由」

その気持ち、すごくわかる気がして。
確かに米沢は私からしてもとんでもない距離で。でもついつい行っちゃうのだ。

やっぱり米沢って場所と、その場所で待っている人、集まってくる人がとんでもなく好きで、大好きで、超好きだから自然と「行くかぁ!」と足が向いていくのだ。

迷うとか、ないのだ。だから行けることが確定しているのが嬉しいし、これからもまだまだ通えるんだと思うと、ウキウキしちゃう。
同じ気持ちのちゃちゃがいて、ちょっとだけ見る角度が違うから、また一つのものに対して別の角度から、ふかーーく語ることができたのだ。

私とちゃちゃの共通点は、やっぱり「ヒトカタリに参加している」こと、あとは「米沢が大好き」ってことだろう。
住んでいる場所も、興味のある分野も、やりたいこともちょっとずつ違う。
ちゃちゃの人生に本当は私は関わらなかったのに、米沢とヒトカタリがここまで引き合わせてくれたのだった。

これぞまさしくヒトカタリ。
実に4時間。車に流れたBGMが掻き消えるほどにずっと話し続けた。
気がつくと声がカッサカサになるくらいには、語り明かしたのだ。

自分がこんなにも話せるなんて……とこの三日間で百回以上は思ったことを、ここでも感じた。

ちゃちゃが、私の話をじっくり聞いてくれて、それでいて自分の考えも話してくれるから、できたことなのだろう。
対話を通して、ちゃちゃが見えてくる。一つの事柄に対してもこんなにも違った見方ができるのかと驚いた。
これが、人と語るということであり、一つのことをじっくりと考えるということだった。

ちゃちゃとの別れはあっという間に来て、不安定な天気の中だったけれど、なんとかちゃちゃの最寄り駅までたどり着いた。
本当は私の住んでいるところまで連れて行きたかったよ〜〜〜〜でもそれはギリギリ誘拐だからできなかったよ〜〜〜〜。

楽しい時間の終わりはやはり悲しい。でも、ちゃちゃともまた近いうちに会える気がするんだ。
またその時まで自分のコミュニティで頑張ろうぜって思えた。

さて、ガソリンを入れ直し、何度か袋小路に迷い込んで、行き止まりに入り込んだりしてかなり脂汗をかいたけれど(恐怖の狭路地バックしてことなきを得た)、なんとか帰りの高速道路に乗れた。
深夜ということもあって車はガラ空き。色々と思い返しながら、夜の高速道路を進んでいく。

ここはサカナクションでも流すか? と考えていたけれど、ちょっと考えてからヒトカタリのプレイリストを再生してみた。

ちょっとだけ、ヒトカタリの思い出に浸りたかったのだ。
これまでのことを、一人でじっくり反芻して、「これからこの体験をどう書こうかな」なんてことも考えていた。

ことちゃんが作ってくれたプレイリストは、ヒトカタリのモチーフやテーマが散りばめられている曲が入っている。
SEKAI NO OWARIの「play」とか、Greeeenの「人」とか。歌詞を追いながら曲を聴いていたらなんだか涙が出てきた。

自然とぽろぽろ流れてきて、最後はしゃっくりも出てきた。
車が少なくてよかった。一番左側の車線でのろのろと車を進めたのだった。

ああ、ここで「7月のヒトカタリ」が終わったんだと思ったのだ。みんなと別れ、のんぞと別れ、ちゃちゃと別れ。

自分の家に戻っていくときに私のヒトカタリが終わったんだなぁと思ったら、急に戻りたくなって、でももう戻れないのもわかっていて、喪失感に襲われたのだった。

あの楽しくて輝いていた日は、あの瞬間だけで、もう二度と同じ日を繰り返せないんだと思えば思うほど、悲しくて、でも素敵な思い出ができたのも嬉しくて、正反対の感情が一気に来て、涙が溢れた。

ものすごく充実していて、楽しかったからこそ強烈に私の脳裏に刻み込まれたのだった。
すごくすごく幸せな涙だ。
泣くときは、本当に色々な理由があると思うけれど、悲しさ半分、嬉しさ半分のぐちゃぐちゃの涙は、これまでの経験でないくらいに強くって激しいものだったように思う。

ああ、また会いたいなぁ。
また、語りたいなぁ。
心の底から浮き上がった純粋な気持ちは、とってもキラキラしていて、美しかったように思う。

ギャン泣きしながら帰宅して、自分の部屋に戻ってきた時に、急に気が抜けた。
あの二日間は濃密でゆったりと時間が過ぎていったのに、その日以降の一週間はあっという間に終わってしまった。
あれ!?と思っていたらもう7月も終わりそう。なんで!?!?

急加速していく時間のなかで、いろんなことを考えた。
これからのことも結構リアルに考えられた。「これができないなら、こうするしかない」とも思わなくなった。焦りから完全に開放されたのだ。

「大丈夫だよ」私が誰かに言えていたように、私は私自身にも「大丈夫だよ」と声をかけることができるようになっていた。
大丈夫。私は生きたいように生きている。

米沢に恋焦がれながら、私はまた自分の時間を大切に大切に使って、今を生きていくのだ。

PS

7月12日は私の誕生日でした。
その日、ちゃちゃがヒトカタリの振り返りと、自分自身の振り返りをしていて、ヒトカタリ、もっと言えば人と話すこと、言葉の力を綴ってくれました。

めちゃくちゃ最高のプレゼントをもらった気分で!!

独り占めしてニヤニヤするものアリだけど、人とふかーーく話すことの大切さを改めて感じたから、共有しちゃう。


こんな私でも、誰かの心に言葉が届いたんだー!って思えて、めちゃくちゃに嬉しかった。誰かの背中を押したんだって思うと、たまらない幸せを感じた。

お互い最高の一年にしようねッッ!

裏話:運営のお話

さぁーーーーーー裏話のお時間です。どこまで話していいんだろう!でも考えたことをつらつらと書きたい。

イベントの運営というのはなかなかに頭を使うもので。どんなプログラムで、どれくらいの時間でどう進行させるかが肝心な要素になっていくものです。

ちらっと大学で竹あかりやってみたり、他にも学校関係で色々とやってみたことはあるけれど、キャンプの運営は初めてで。
なんなら、いろんなワークやレクリエーションを企画するのは初めてで。

運営! といってもゼロから何かを生み出すわけではなく。
今までのプログラムを見直して、アップグレードしていくのがメインである。ただ、プログラム自体は既にほぼ組み上がっていたので、あとは細かなところを整えていくのみとなっていた。これも、かなり重要な仕事だった。

主に担当したのはこの三つ。

①しおり作り
②アイスブレイクづくり
③ヒトカタリワークの土台作り

どれも楽しくて、最高の時間だったので、感想をちょろちょろと書いていく。

①みんなのしおり作り

私がヒトカタリに何ができるか……。
「運営になってみない?」と言われたものの、どっちかというとみんなでワイワイよりも一人でボソボソ派の私が貢献できることってなんだろうと序盤の時から考えていた。

「まぁ、私の得意なことと言ったら「書く」ことやろ」
「書」いたことで、ヒトカタリと深く繋がれたのだから、きっとこの私の得意なことは、ヒトカタリに生かしたいなぁと思っていた。

そこで……。

しおり作りをすることに!
ヒトカタリの準備段階で、「文章」要素があるのがしおり。参加メンバーに「今回のヒトカタリはどんなことをするの〜?」ということを簡潔に伝えるためのしおりだった。

もちろん、今のご時世、LINEのノート機能を使えば持ち物や当日の流れは確認できる。
ただ、それでもあえて「しおり」を作りたかった。
米沢でのヒトカタリは二回目でして。
一回目を踏まえて、米沢の楽しさ、ヒトカタリのあったかさを表現できるのは文章だけではなくてイラストや、心踊るデザインなのだろう。そしてそれを反映できるのがしおりなんだろうと考えていた。

しおり作りは、企画の段階で、一番最後に普段行っているそう。時間の関係上なかなか手が回せないらしくもあった。
デザイン初心者だけれど、気持ちはいっぱいある。今までの経験を総動員させて、しおり作りを行った。

ヒトカタリのテーマ色っぽいオレンジをメインに、モチーフのツバメもいれて。全然プロのデザイナーではないものの、

・読みやすさ
・読み返したさ
・あったかさ

を考えながら作っていった。

私も一から百までヒトカタリを知っているわけではないから、ことちゃんにヒトカタリの始まりを聞いたり、大事にしたいことなんかも聞いたりした。

配置とか、言葉の選び方とか、「書く」こと以上に、目で見て楽しむ部分も考えていてワクワクした。
こういうデザイン配置も好きなのかなぁ。表紙のデザインも楽しかったし、もっと勉強したいなぁとも思った。

最終チェックも終わって、事前交流会で、ちょっとしたプレゼンを交えてしおりを発表した。
参加者の人たちには、喜んでもらえたようだった。作ってよかった〜って心の底から思えた。

言いたいこと、伝えたいことは全部言えた。でも、まだまだ話し方は勉強しなくちゃな。交流会の後、しおりをプリントアウトして、本当に冊子にしてくれた方もいた。
ああ〜〜!嬉しすぎる!!こんな幸せがあってもいいの!?

やることがいっぱいだ。でも、それがいい。たくさんのチャレンジが私を待っているみたいだ。

そんなこんなで私のしおり作りは終わった。また新しい可能性にも感じたあのクリエイティブな時間を、忘れたくないな。

②のんぞとアイスブレイク

前世妹でお馴染みののんぞと、ヒトカタリの幕開けをお任せしてもらうことになった。
最初はアイデア出しから始まって、共有されたGoogleドキュメントに書き込んでいく。
zoomで最終調整をする。オンラインの恩恵だ。

運営陣での方針としても、アイスブレイクは大事な着火剤である。ここでブレイクさせて、人と人との距離を近づけ、安心感を芽生えさせたいとのこと。
どうせなら面白いことをしたい派の二人。アイデア出しからもはや面白かった。

「花笠一曲踊りきろう」「究極あなたはどっち派」「ポジティブ偏見他己紹介(ex.幅跳び4メートル超えてそう)」「リレー俳句」「10円玉磨き」「ジェスチャーゲームタイムアタック」「妄想絵画あて」

などなど

タイトルからもはや面白そうである。本当は全部やりたかった。

しかし、ここからが本番だ。ひとつのゲームに絞っていかなければならない。
「初めましての人がやって、お互いに打ち解けられる」というフィルターを入れるとかなり落とされた。
ルールが複雑だったり、親しければ面白いけど、最初のイベントにするにはかなりハードルの高いものが多いのだった(ポジティブ偏見他己紹介なんかは特に事故率が高そう)。

「ほとんど夜仲良くなってからやった方が盛り上がるくね??」と、夜にやるレクがどんどん増えていき……、
「意外とアイスブレイクってめっちゃ重要な役割なんじゃない!?」と気づき始めた時、選ばれたのが「動物の王国」だった。
もともとは韓国のパーティーゲームで、なかなか盛り上がりそうな予感がしていました。

「これをもっとオリジナル要素入れていったら面白くなるんじゃ?」と、二人でヒトカタリ用にカスタマイズしていく。

「動物をさ、米沢の動物にしてみる?」
「米沢牛でしょ、鯉でしょ、お鷹ぽっぽでしょ、あとは……?」
「あ、白猿がいる!」「よっしゃ。じゃあこの四種で……ジェスチャー揃ったらどうする?」「ブレイクだし、なんかしたいよね……」
「叫ぶ?」「お!ブレイクだね」「なんて叫ぼう?」
「クソが!とかいいんじゃない?」
「お”っ!?」「!?」
「小学生に、「クソが」と叫ばせる……?」
「……まだ畜生の方が良いか」
(両者画面からフェードアウト。呼吸困難の爆笑)
「ダメだね」「ダメだ」
「もっとポップにしよう」
「ポップに叫ぶってなんだ」「叫ぶこと自体がもはやポップ?」
「イエー! みたいな?」「もっと面白いのがいいな」「(サンシャイン池崎しか思いつかないな)」
(しばし沈黙)
「……アミーゴってどういう意味だっけ」
「仲間~みたいな?」
「スペイン語だ」「スペイン語か」
「敵はスペイン語でなんだろう」「……エネミーゴみたい」
「決まりじゃん」「決まった」

会議ダイジェスト。誰がどの発言なのかはご想像にお任せします

かなり楽しい会議でしたね。しかも面白いものを作ろうと考えているから、時間を忘れるくらいに楽しい。

あっという間に日付を跨いで、完成したゲームはとっても面白いものに仕上がった。

のんぞとだからこそここまでクオリティのあるものになったんじゃないかなと思っている。
言いたいことも言えて、しっかりと聞けて、わからないところは素直にわからないと言えたからこそ、面白いものを作れたのだろう。案外、こういうガッチリした信頼関係みたいなものはすぐに築けないし、誰とでもすぐに作れるというわけでもなさそう。

単なる仲良しごっこに留まらない感じも好きで。お互いに刺激があって、おもしろいものが作れるなら、最高じゃん?

実際も、笑顔弾けるアイスブレイクになったので、とっても満足している。

③ヒトカタリワークの土台作り

これは………………すごく………………楽しかった!!

楽しいっていうか、面白かったと言うか、興味深いっていうか、なんだろう。とても深くて、あったかい時間だったのは間違いない。

私は運営の打ち合わせ中にぽろっと「人と話すことの可能性」について話したことをきっかけにヒトカタリワークの企画作りに参加させてもらうことになった。

このヒトカタリワーク。誰かの人生を絵本にしたのだが、この誰かというのが実はみうちゃんのものだったのだ。

みうちゃんの人生を聞いて、ことちゃんと、どどちが「これは絵本にしたい!」と言ったのがきっかけだったようで。私もその人生を教えてもらっていた。

みうちゃんのこれまでの軌跡を、読んだ。今までの悲しみ、苦しみ、喜び、希望……。一年一年、幼少期、小学、中学、高校……現在に至るまで、たくさんの経験を教えてくれた。

読み終えた時、いろんな感情が巡った。必ずしもそれは悲劇じゃなかったし、喜劇でもない。一言で表現することはできなかった。普通ってことはない、ただ、波乱万丈という言葉でも片付けたくはなかった。

そりゃ、自分のことを振り返ってもそうだ。別に楽しいことが連続していたわけではないし、不幸のどん底にずっとい続けていたわけでもない。

「人生にはたくさんの転換期があって、大体そういう時は「人」がいたんよね」
言われてから、納得した。それで、共感した。

私の人生の転換期も、大抵人がいるもの。誰かの言葉が私の心にまっすぐ届いて、人生の見通しが変わるのだ。視界が変わるのは、自力ではできない。気付きを与えてくれるのは「人」か、「自然」、あとは「作品」だろう。

それがわかった気がして、私はちょっとだけ安心したのだった。誰かの人生に対して、「安心する」という感想を出すのはちょっとおかしな気もするけれど。

誰かも、生きていて、それを全身で感じている。その積み重ねの断面を見れた気がして、そんな気がして、私はまず安心したのだ。
一人じゃないんだぁって、思えて、嬉しくなった。

人の人生って、実はあんまり聞いたことはない。特に同世代の人生は。

有名人がテレビやYouTubeで自分の人生を振り返っていることはよく見るけれど、20代そこらの私たちが自分の人生を全部イチから振り返ることはあっても、誰かに教えることはないのだろう(少なくとも私の身の回りではそういうことはなかった)。

地面が、地層の積み重ねによってできているように、人間も今見えている性格や考え方がこれまでの積み重ねであるということ。ただ、このことを普段から考えられているかと聞かれたらそうでもないのかもしれない。

その瞬間瞬間の人間の一部を切り取って、誰かの人格を評価している自分がいる。その人のバックグラウンドを想像せずに、その時の感覚で人がどういう人なのかを考える。
「なんにも考えてない」なんてことはなくて。誰かの発言一つ一つには、私も同じように、過去の積み重ねの一つ一つが生きているからこそ発されるのだ。それを改めて知ることができた気がする。

みうちゃんの人生から、絵本が生まれる。でも肝心な絵本の「描き方」に我々は難航したのだった。

最初から合意していたのは「みうちゃんの人生をそのまま物語にはしたくない!」ということ。
エッセイ風に綴ることもできた。生まれた時から、今までで何が起こったのかを書いていくだけで時間の流れができて、物語が生み出される。

ただ、それをすると、単なる自叙伝になってしまうかもしれなかった。確かにそういうものから、自分自身を考えさせられることはできる。

でも、もっと「余白」を持たせたかった。ヒトカタリワークは人の、もっともっとふかーーいところを引き出してくれるもの。もっと自由に、自分を顧みられる可能性が欲しかった。
その物語を聞いて、自分自身を顧みることで、心の扉をじわじわと開いていくのだ。

その触媒の役割を担う「絵本」。
エッセイではまだまだ「余白」が少ない。自分で考える「余白」が。

なんのためのヒトカタリワークなのか。そこから話し合い、それぞれの作りたい「ヒトカタリ」を考えた。どんな状態だったら、心を開いて語り合えるのか。
1日で、人とふかーーーい話をすることは可能なのか。強引に誰かがリードしなくても勝手に生み出される状況とは、どんなものなのか……。

どんな流れで、どんな話をして、どんな問いかけをしたらふかーーいヒトカタリワークができるのか……。

やばい! 楽しすぎる!

場作りがこんなにも肌で体感できるなんて、なんて貴重な機会なんだろう!

話せば話すほど、ヒトカタリワークがはっきりと形ができていく。
言葉によって、考えによって、想いによって、ヒトカタリが出来上がっていく瞬間に立ち会えたのだ。

「絵本」のコンセプトは順調に決まっていった。人生の過程を色で表現し、最終的に「虹」が完成する物語だ。
その絵本を読んだ後、「問いかけ」を決めて、ワークは完成だ。

コンセプトは完璧。伝えたいことは伝えられそうだ。
あとは、みんなにどんな言葉を投げ掛ければ「ふかーーい」話ができるのかどうか。これを考えて行った。
キラキラ、未来のことを、夢のことを話すのも美しい。ただ、それだけに留まらせたくなかったのだ。ふかーーい話は未来だけの話をするだけではできない。

現在も、過去も、語れることで、その人の「生き方」がわかる。「人生」がわかる。「心の扉」がパカーーと開くのだ。

心の扉を開くための問いかけ。大事なキーワードは「色」と「虹」。ただ、それだけじゃ足りない。
心の扉を開くためにはこちら側の「考えさせる問いかけ」が必要なのだ。
その問いかけから、自分の過去を振り返り、現在に気付き、未来を考える。そうやってふかーーいカタリができるのだ。

「虹を描いてみるのはどうだろう」
「自分の色は何色か考えてみるのはどうだろう」
「明るい色は自分にとって何色?っていうのはどうかな」
「自分のコンディションを色で表現してみるのは?」
「周りの人の色は何色なのか考えてみるのはどうだろうか」

問いかけダイジェスト

色々な案が出ては消え、案が出ては消えた。たくさんの打ち合わせを超えて、ヒトカタリワークの土台は完成した。
この打ち合わせは当日のギリギリまで行われ、どどちとみうちゃんが最終調整をして本番に至ったというワケ。

最高のワークになったと思うし、それの一助になれて、本当に嬉しかった。楽しかった。

私の言葉が、どどちの言葉が、みうちゃんの言葉が、ことちゃんの言葉がこれらを作り上げたのだ。

そのワークで、みんなの言葉がたくさんぽろぽろとこぼれ落ちた。たくさんの言葉で、たくさんのみんなの「生き方」が「人生」が形づくられた。
これがヒトカタリのメインワークで、ヒトカタリがヒトカタリたるゆえんなのだ。

本当の本当のさいご

これが、私の感じた、体験したヒトカタリであった。
とってもかけがえのなくて、楽しくて、輝かしい思い出ができたことが本当に幸せ。何度もみんなの一言の入ったツバメを見返しては、心が温まる。

目を閉じれば、あの米沢の田園風景を思い出すし、あの岩肌を思い出すし、オレンジっぽい夕日、米沢牛串の味、日本酒の入った紙コップ、差し込む朝日、地面に突き刺さったペグ、蕎麦の生地の粉っぽさ、紅花の棘の感触……。忘れられない。全部リアルに思い出せるのだ。

運営側になってみて、初めて気づいたこともたくさんあるし、改めて発見したことも多くあった。

本番は「運営だから動かなきゃ!」って思うことは少なくて(良いのか悪いのか……)、みんなとかなり心を近づけて話せたのかなぁと思う。
あの時間はどこを切り取っても素敵で美しくて、かけがえのない大切なものとなった。

楽しくって、面白くって、二日間とは思えないほどに濃密な時間を過ごすことができたのは、みんなとふかーーく話せて、互いを知ることができたからだと思う。

もっと米沢に行きたくなったし、もっとみんなにも会いたくなった。
一緒に何かを作り上げたいし、これからも途切れない何かが欲しい。

これだけ強く惹きつけられるのは、きっとふかーーく話したから。
ふかーーく「ヒトカタリ」を作ったから。
ふかーーい繋がりは、言葉によって紡がれた。

まさか、私がこんなにも誰かを、何かを好きになるなんて思ってもみなかった。
誰かに、好きって言われるとは思ってもみなかった。
それを言葉が可能にした。

言葉って、すごいのだ。
人と語るって、すごいのだ。


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