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無職になったら瞑想行こう。ヴィパッサナー瞑想体験記 中前編

前回までのあらすじ

仕事を辞め無職となった私は、今後への迷いや探求への憧れを抱え、10日間のヴィパッサナー瞑想コースに参加した。コースはまさに精神修行。現世の汚濁に塗れた自分は、一日10時間の瞑想で気が散りまくり。一日目にして自己の限界と今後への不安を感じる。果たしてほりーなの精神は浄化されるのか?心の手術を最後までやり抜くことはできるのか?

〇2日目:憤怒の罪

朝起きて、まず感じたのは「私、生きてる。生きててよかった・・・」という感動。辛いことがあっても、ちゃんと生きている。息を吸える。体があって動く。素晴らしい。命は、すばらしい。

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あたい・・・生きてる・・・・


その感動を分かち合う相手もなく、淡々とこの日のお勤めに入る。

私が瞑想をする際にいそしんでいたこと。それは身体的苦痛を軽減するための座布団メイキング。用意されている小さなクッションやボードを組み合わせ、最適解を見つけ出す。これは、研究者の如き入念な仮説検証プロセスだ。

そこに必死になっていた理由は、今の痛みはもちろんのこと、とある事前情報のせいもあった。私は知っていたのだ。本当の地獄は四日目からだと・・・そこまでに自分の答えを見つけられないと、待っているのは”死”であると。

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私は生きたい。

休憩時間は、専ら意味もなく会場をひたすら徘徊していた。体を動かさないと、落ち着かない。心と体の健康だけは 自分の力で 守り抜くんだ。

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完全に動物園の動物です。本当にありがとうございました。

そんなこんなで、先日と同じように長時間の瞑想を耐え抜いた先に・・・

サンダル消失事件 発生。

瞑想後の休み時間、外に出ようとしたら、私のサンダルが 無い。

「えっ ちょっ トイレいけない。外でストレッチできない。」

しかし”聖なる沈黙”を守るため、誰にも話しかけることができない。なすすべがない。湧き上がる無力感、そして私の心には、憤怒の炎が猛々しく燃えさかっていた。

「ちゃんと見て履いてくれよ。」「そもそも人の物を盗るのはダメって、コースの戒律に書いてあるだろう。」行き場を失った炎は、考えれば考えるほどに大きくなる。

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(その後サンダルは回収できた)

憤怒に振り回される自己。浄化への道のりはまだまだ長そうである。

〇3日目:慣れと気づき。不穏の香り。

3日目ともなると、だんだんと生活にも瞑想にも慣れていった。

コース中は、それぞれのスケジュールの始まりと終わりに、それを知らせる鐘が鳴る。その鐘の音に、何をしていても体が反応するようになっていた。

もう瞑想行きたくないなあと考えていても、気持ちよくお昼寝していても、諦めて体が勝手に瞑想ホールへ向かっていく・・・これが適応。人間は素晴らしい。

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パブロフの犬、ヴィパッサナーの人

そして、物事に対する感じ方が変わっていった。

瞑想が終わり、休憩スペースで寝そべると、この世の物とは思えない安らぎを感じた。降り注ぐ暖かい太陽光。澄んでいてひんやり冷たい空気。最高だ。洗濯もシャワーもとても楽しい。そのへんの地面に生えている草を見るのが楽しい。

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世界はこんなに素敵なことで満ちている。私は何を嘆いていたんだろう。

そんな中で、この日は大きな気づきを得た。

ヴィパ4

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万物は無常」言葉では分かったふりをしていたが、実際に体で実践して、腑に落ちたのはこれが初めてかもしれない。

いやあ素晴らしい学びがあったよき日だった。と満足しながら床につく。

眠ろうと目を閉じたら、右の耳から「ブツッ」と音がする。

「ん?気圧だろうか。」

途端、全身に悪寒が走り、脳裏に異形の怪物・幽霊のような、サイケデリックなイメージがぶわっと浮かぶ。あの青い鬼が出てくる某有名フリーホラーゲームっぽいやつもいる。それらが自分の眼前に迫ってくる。

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(???????? ホラー無理過ぎ)

断っておくと、私は生粋のホラー無理人間である。ホラー要素のあるゲームは、ストーリーを見たいけど自分のパソコンに入れたくないがために、人の家のパソコンでやるほどの無理人間である。

もう目を閉じるのが怖い。それでも寝なければ。明日の修行に差し支える。

「これは現実ではない。私の想像の産物。存在しないもの。」ひたすらそう言い聞かせ、現実ベースで思考する。幼いころから今までの記憶をひたすら思い出し、迷惑をかけたこと、してもらったことを一つ一つ辿る。

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涙が出てくる。「あの時、自分のことばっかり考えてたなあ。もっとこうすればよかったなあ。あれはありがたかったなあ・・・。そんな過去からのつながりの先に、自分はいるんだなあ。」

そうしているうちに、不思議と落ち着いて眠ることができた。

〇4日目:浄化の炎

ついにその日はやってきた。
いつものように朝の瞑想を終えホールから出ると、「今日はヴィパッサナーの日です」という標識が出ている。

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ヴィパッサナー瞑想が始まるのだ。

この瞑想では、頭・首・肩・・・と意識を全身に動かしながら、体に感じる感覚を観察する。何も感じない場合は、その場所に一定時間とどまり続ける。そして、感覚を感じたら、それがたとえどんなものであっても、すぐ次の場所に移る。全ての個所に均等に意識を動かすのがポイントのようだ。

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最初のうちは、何も感じない部分が多く、やきもきしていた。が、この瞑想の真の辛さはそこではなかった。

一日に三回、一時間ずつ特別なグループ瞑想がある。この時間はアディッターナ(決意の時間)と呼ばれ、原則姿勢を変えないように指示される。

これが地獄だった。

"一時間、座っているくらい余裕だ"と思うだろうか。否。それは無意識に姿勢を変えながら座っているからなのだ。

30分したあたりから、体中に激痛、特に歪んだ骨盤の片側に刺すような感覚。痛みで全身が熱い。汗が止まらない。

圧倒的な摂理の前に、人間の小細工(座布団メイキング)など無力。

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(え?これってその、拷問とかそういう何かではない?)

観察とかそれどころじゃなくて、痛みとその状態を維持せねばならない現実への怒りで頭がいっぱいになった。なぜこんなことをしなければならないのか。微細な体の感覚なんて何も感じられない。

瞑想終盤にお経の詠唱があるのだが、あろうことか私は心の中で暴言を吐いて、早く解放しろと渇望していた。これほどのエネルギーが自分の奥にあったとは。

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この日の最後の講話で、この瞑想のときの心の反応が、本来のその人であるという話を聞いた。表面をどんなにきれいに取り繕っても、潜在意識はごまかせないと。

自分が痛みを感じれば、すぐに怒りと憎しみで反応する。嫌なことがあったときに奥に起こる反応が、これなのだ。

この日は本当に肉体的にも精神的にもきつくて、こんな拷問が毎日続くのかと思ったら、泣かずにはいられなかった。前半なのに既にめっちゃ泣いてる。寝所が泣き場になってる。

しばらくそうしていて、鼻水をかむ音でうるさくするのも申し訳ないし、外は寒いし、ここで体力を消費しても仕方ないなと思ったので寝た。


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嘆くことのニーズは満たされた。

あとはただ、向き合い続けるのみだ。

今日の瞑想で自分の奥を見たショック、浄化への希望が自分を支え続けた。


そして耳の奥の「ブツッ」音と共に、現れる幻覚は続く。

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もうなんなん自分?何を訴えているん?

〇次回



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