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無職になったら瞑想行こう。ヴィパッサナー瞑想体験記 中後編

前回までのあらすじ

仕事を辞め無職となった私は、10日間のヴィパッサナー瞑想コースに参加した。数日間の準備瞑想期間を終え、ついにヴィパッサナー瞑想に突入する。修行の辛さはマシマシで、精神的な苦痛に加え、肉体的な苦痛にも襲われるようになる。夜には幻覚のおまけまで付いてくる始末。果たして正気を保ったまま、自分と向き合い続けることはできるのだろうか。


〇5日目:すべてはアニッチャ(無常)


「心絶対浄化するマン」と化した私は、この日もひたすらに試行錯誤した。
座布団メイキングはもちろん、意識の動かし方、観察の仕方。ひたすらに工夫して試す。

講話では、万物は生じては消えゆく一時的なもの、”アニッチャ”(無常)であると説かれていた。「この痛みも生まれては消える。とるに足りないもの」そう自分にそう言い聞かせた。

ン“ア”ア“――――――――ッ

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一回意識するだけで現実変わったら苦労しないよね~~~~!!!

痛みに意識が引っ張られ 違う。戻ってこい。
表面上は冷静を取り繕う 違う。これは感覚遮断だ。
遮断をしている時は、他の部位の感覚も一緒に感じられなくなった。

感覚を開きながらも、意識の焦点を引き絞り、その場所に集中する。

痛みでも心地よさでも、無でも。ひたすらに平静な心を保つ。

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コロシテ・・・・コロシテ・・・

そんなこんなで、心の奥でアニッチャアニッチャと唱え続け、試行を重ねる中、痛みを痛みとして客観的に観察できる瞬間が何度かあった。「あれ、普通に痛いけど、少し平静でいられた。」みたいな。

なお、この修行の趣旨は決して単なる「我慢大会」ではない。
不快な感覚を感じたとき、それを受容した上で、いかに平静さを保てるかが試されている。

苦しみの”結果”をもたらす”原因”をそもそも生み出さず、浄化していくための修行なのだという。

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瞑想を終え、床に入ると、今日もいつもの異形のイメージと不快感が押し寄せる。

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エヘ・・・来ちゃった♡

でも今日は逃げない。正面から立ち向かう。感覚を 目に映るものを ひたすらに観察する。そこで、異形たちの法則性が見えてくる。

「なるほどね。体の一部のパーツを切り抜いて拡大縮小したり、ありえない色に変えるとこんな感じになるんだな。なあんだ。秩序があるじゃないか。」

安心して、体の感覚をまんべんなく味わう。全ては無常。アニッチャなのだ。

すると次第にイメージは消えていき、見えなくなった。

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これがアニッチャパワー

〇6日目、7日目:授けられる智恵・物理破壊の予感

その後もひたすらヴィパッサナー瞑想の修行を続けた。
体は痛いし、気も散ることがあるが、受け入れられることが増え、感覚に慣れてきた。

私たちの体を構成する無数の小さな粒。素粒子。刺激に対して、その粒子に起こる反応が感覚。感覚は生まれては消えるもの。それをただ観察する。

痛いという感覚も、消えたり現れたり、質が変わったり。常に一定ではなかった。

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平静な心」 これがあれば苦しみに意識を持っていかれず、状況を観察し続けることができる。

これは本当に言うは易し、行うは難しで、何度も失敗を重ねながら、経験によって会得していった。もう慣れだよ慣れ・・・


関連して、講話での「智恵」(パンニャー)についての話が非常に興味深く、体験することの重要さがよく分かった。智恵というものは、以下の三段階に分類されるという。

スタマヤー・パンニャー:人から聞いて得た知識
チンターマヤー・パンニャー:知性と分析にもとづく理解
バーヴァナーマヤー・パンニャー:直接的な自分の経験にもとづく智恵
(出典:ヴィパッサナー瞑想 実践の手引き 2020年1月版)

「レストランで食べたことのない料理を食べる時」の実例を用いて、説明をするとこうなる。

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①スタマヤー・パンニャー:レストランのメニューから料理を見つけて知ること。
②チンターマヤー・パンニャー:テーブルに座り、近くでその料理を食べている人を観察して知ること。
③バーヴァナーマヤー・パンニャー:実際に料理を食べて知ること。

実際の料理の味は、本質は、どんなに事前に分析しても、食べないと分からないのだ。

それと同じで、「体験からしか、人は物事を本当に理解することはできない」ようだ。

現代は情報が何でも手に入る時代になり、第一、第二の智恵にはアクセスしやすいが、第三の智恵の大切さは疎かになりやすいもののように感じる。実際、私もそこまで意識したことは無かった。世の中知らないことは多そうだなあ。


幻覚も克服し、学びも得て、順調だと満足しながら座っていると・・・

「プチプチ」

「ん?」

左の骨盤の激しい痛み、やがて左腿の付け根から、何かの繊維が切れるような感覚がした。

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んん?????

座っている間は強い痛みと熱さ、終わった後はしびれるような感覚が、左脚の付け根に残り続けることが増えた。耐えられはするけど、破壊はされたくない。

物理破壊は気の持ちようでは済まないので、最後まで参加しきるためにもうまく調整していきたい・・・

〇8日目:浄化の効果

このころになると、「もう一生、このままでもいいんじゃないかな?」と思い始める。ご飯が提供される。きれいな景色と空気がある。内省のための十分な時間とスペースが提供される。

え、逆に他に何か必要だっけ?」(脚はやばいけど)

たくさん食べること必要なくなり、夜の空腹が苦にならなくなった。

この日は珍しく、おやつにチョコレートが出た。毎日の甘味はフルーツのみだったので、こんな「あまぁ~い」もの食べたらどうなっちゃうの?と不安だった。

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が、感想としては「まあこんなもんか」「なんか油多いんだな」で終わった。欲が全体的に減退している。

周囲のみんなも不思議と優しくなっていた。ご飯の時などに急がない。人がホールに入りやすいよう、戸を手でおさえて待っている。お互い喋れないし目も合わせられないのに、謎のやわらかな雰囲気がある。

人々の中の思いやりが目覚め始めている。これはサンカーラが浄化されたということなのか・・・?
この地を出て俗世に戻ったら、元通りなのかと思うと、本当に惜しかった。

穏やかさの一方で、激しさもあった。

それは、骨盤物理破壊の危機である。どんな座り方を試しても、左骨盤底の焼けるような痛みは消えない。

しかし、私はここで退かぬ!媚びぬ!顧みぬ!

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ここらで椅子を使う人も出てきた。

英断だ。こんな所で足腰を討ち死にさせる意味は無いと思う。
ただ、漢には譲れない戦いがある。それだけだった。

このサンカーラを激しい炎のなかで焼き尽くしたい。」
その意地だけで私は座り続けた。

※良い子は絶対に真似しないでね※

実は、残りはあと二日間だが、フルで集中できるのはあと一日らしいということが前日の講話で判明していた。

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「え?最終日フルじゃないの?」

そんな焦りが私を激しい修行へと掻き立てたのであった。

あと一日と残りで、私は自分のサンカーラを燃やしきることはできるのか?そして最後まで脚は生存するのか?

最初に結んだ死亡フラグばりばりの約束は果たされるのか?

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〇次回

クライマックス編へ突入。果たして現在の私は、この体験記を最後まで書き続けるモチベーションを保つことはできるのか?

お願い、死なないでほりーな!あんたが今ここで倒れたら、節子との約束はどうなっちゃうの? 瞑想の効果はまだ残ってる。ここを耐えれば、渇望と嫌悪に勝てるんだから!

次回、「ほりーな死す」。デュエルスタンバイ!


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