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映画「母性」感想文

自分の子どもが愛せないという母親は、公に言わないだけで実際のところ割といる。また、母親と娘の関係が密接すぎるというのも、よくある。映画「母性」は衝撃的ではあるけれど、突拍子もない話ではない。

「育てられたように子どもを育てる」この映画の真の怖さはそこにあると私は感じた。一見、娘を溺愛し、褒めて認めて育てたルミ子の母(大地真央)は理想的な母であり、娘に愛情が持てないルミ子(戸田恵梨香)は冷たい毒親、と正反対のように見える。

しかし、各々の娘が「母親の愛情を欲してやまない」状態であることは変わりない。なぜそんなことが起きたのだろうか。

親の役目のひとつに「子どもを自立した一人の大人に育てる」というものがあるとすれば、ルミ子の母親は見た目と裏腹に失敗していると言えるのではないだろうか。

そのことに自分で気付いているのかいないのか、どちらにしろ無償の愛と見せかけて、自分に依存し執着する娘に育ててしまったのである。

ルミ子の母に感じる違和感、気持ち悪さは「無自覚な偏愛」と言えるのではないだろうか。

我が子といえども他者であり、別人格の人間を「自分の命をつないでいくもの」とする考え方は、子どもの持つ本来の性質を歪め、自分と同一視し、自分の遺伝子が後世に残っていくための乗り物として子どもを見ているかのようだ。

そして、ルミ子につらくあたる義母(高畑淳子)もまた、実の娘に執着する母親であった。ルミ子の母と同様に、強過ぎる母親だ。実母が亡くなった後にルミ子が依存したのは義母であり、娘は再び二の次になる。

親も娘も、それぞれの親の価値観に合わせなければ愛してもらえないと思い込んでいる。そう思わせているのも結局は育てた親なのである。

教会での懺悔でルミ子は、愛能う限り娘を愛してきたと神父に語ったが、親がどのようなつもりで子どもを愛しても、それが伝わっていない以上、なかったのだと言うしかない。

そして、自分が間違っていたとも語ったが、仮にそれが分かったとしても、清佳(永野芽郁)がその時点から子育てを変えることは、まず不可能だと断言できる。

したがって、何も変わらない。誰の何が正しいのかと言えば、常に子どもに現れていた違和感や苦しみだけが本物だったと言える。

ラストシーンで子どもを授かった清佳に、ルミ子は母からの言葉を踏襲して伝える。何気ないシーンだが、ここに負の連鎖を止めることのできない絶望感が満ちていて、私は寒気がした。

清佳もやはり、育てられたように娘を育てていくのだろう。そしてその子どもも、その孫も。遺伝子の乗り物に乗って、どこまでもこの子育てが続いていくのだ。

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