見出し画像

「ディープな維新史」シリーズⅡ 靖国神社のルーツ❼ 歴史ノンフィクション作家 堀雅昭


靖国神社境内で逆賊を祀る鎮霊社。この写真は鉄柵の間にカメラを差し入れて撮影した(平成29年4月)

賊軍を祀る鎮霊社

靖国神社の徳川康久宮司の「〈明治維新という過ち〉発言」で露呈したのが、西南戦争で新政府に敗れた西郷隆盛や会津藩の白虎隊、新選組など戊辰戦争の「賊軍」の靖国神社合祀問題だった。
 
賊軍合祀の旗振り役のひとりであった亀井静香氏は自らの「公式Webサイト」で、日本が森羅万象全てに八百万の神が存在していることを理由にあげて、「西郷南洲や江藤新平、白虎隊、新選組などの賊軍と称された方々も、近代日本のために志を持って行動したことは、勝者・敗者の別なく認められるべきで、これらの諸霊が靖国神社に祀られていないことは誠に残念」と語っていた。
 
こうして「賊軍」の合祀を平成28(2016)年10月12日に靖国神社側に申し入れた亀井氏は、翌13日の『産経新聞』にも賊軍合祀を訴える意見広告を全面掲載した。
 
「呼びかけ人」は亀井氏、石原慎太郎氏、原口一博氏、森山裕氏、平沢勝栄氏、武田良太氏たちで、賛同者に右派と見られている中曽根康弘氏や森喜朗氏に加えて社民党の村山富市氏の名が見えるのが興味深かった。付言すれば稲盛和夫氏など、賊軍合祀にどんな関係があるのか不明な実業家の名も出ていた。
 
だが、本質的な疑問は、そもそも賊軍合祀は政治問題などではないことだ。
 
まして長州や薩摩に敗れて賊軍になった面々やその遺族が、今更政治家たちの自己主張に賛同して、官軍側の長州が主導した靖国神社への合祀を望むだろうかも疑問だった。

賊軍合祀は創建史的に無理な靖国神社(平成30年3月)

とはいえ、この問題が表面化したことで、私は上京に際して靖国神社に参拝した際、本殿の左奥に鎮座する鎮霊社を参ることにしたのだった。
 
小さな祠の前に立つ説明版に「靖国神社に合祀されぬ人々の霊を慰める為に昭和四十年七月に建立し萬邦諸国の戦没者も共に鎮斎する」と書いてあった。
 
逆賊となり靖国神社に祀られなかった西郷隆盛をはじめ、長州出身の大楽源太郎や前原一誠、熊本の河上彦斎や白虎隊の河井継之助たちが祀られている祠で、秦郁彦の『靖国神社の祭神たち』によれば、元皇族の山科家に生まれた筑波藤麿宮司によってご鎮座が実現したという。
 
ただし実際に行ってみると、鎮霊社は物理的に参れないように、鉄格子が周囲に巡らせてあった。境内の警備員に確認したが、「あそこは、お参りできません。鉄格子越しに見るだけです」とつれない答えが返ってきただけである。
本殿を参った後に、大きく迂回して鎮霊社を鉄格子越しに拝む人など、もちろん見ることは出来なかった。つまり忘れられた祠になっていたのである。
 
それにしても亀井氏たちは賊軍合祀を声高に叫ぶ前に、どうして牢屋に入れられた状態の鎮霊社を問題にしないのであろうか。
 
そもそもこんな惨めな状態で祀られているのなら、その方が問題ではないのか。
 
話を戻せば、賊軍の中でも圧倒的人気者は、やはり西郷隆盛であろう。
 
私も大好きな歴史上の人物だったので、靖国神社に参拝したあとで上野公園の西郷隆盛の銅像を見に行った。なるほど西郷は素晴らしい。
 
断っておくが靖国神社の創建史が祖先に関わる長州藩の明治維新史そのものなので、歴史的見地から賊軍合祀はそぐわないといっているだけなのである。
したがって個人的には西郷や、同じく新政府の下で逆賊となって滅びた大楽源太郎も前原一誠も、さらには河上彦斎や白虎隊も、私は大好きで、尊敬もしているのである。
 
個人的な好き嫌いは別にして、歴史の真実は正しく伝えないといけないというだけなのだ。
 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?