見出し画像

ブランド品は持ってないけど

 昔といっても高校生の頃、私はブランド品を持っている同級生が大嫌いだった。私は田舎の公立から受験で都会の進学校に出ていった田舎者だったから、明らかに家の太さが違う都会的な子たちに囲まれて結構肩身の狭い思いをしていたこともあり、彼らが当然のように親から買い与えられたブランド物をこれみよがしに自慢しているように感じていたのだ。

 そして今思うと本当に少女らしいとしか言いようがないのだけれど、当時は目の敵にしていた子が持っているバッグやデパコスをあれもあれもと親にねだっては断られ、隣の芝の青さに目の底を焼かれながら妙なスノビズムを拗らせていた。

 ただ、この間バイト先で懇親会があった。その時、いつも良い服を着ているなぁと思っていた女性が五十万くらいのエルメスのエブリンを肩に下げていた。その場で特に嫉妬を感じたわけではなかったけど、家に帰って祖母に話をした際、私がルーブル展で買ったトートバッグを持っていったことを引き合いに出して冗談っぽく笑われた。

 多分、昔なら本気で怒っていたと思う。恥ずかしくて辛くて悔しくて泣いていたかもしれない。生まれた場所が違うだけなのに、生まれた場所が違っていれば、あっちの世界に行けたかもしれなかったのにって。そもそも私がこの境遇なのは上の世代のせいなのに。

 とかね? 思ってたと思うのよ。
 でもその時に、急にハッとした。

 私のルーブル展のトートバッグは、彼とデートで行った美術館で愛溢れる絵画の余韻に浸りながら買ったものだ。持ち手についている天使のアクリルキーホルダーは中身を選べないもので、二人で「どれにしようかな〜」と迷って買って「なんか一番アダルティなのでたんやけど!」と美術館の廊下で笑いあった。家に帰ってからすぐに袋から出して「かわいい〜」と肩にかけて鏡の前に立ったり「かわいいねえ」と言われたりしたものだ。

 トートバックを見るだけで、あの日のことをこんなにも思い出せる。財布は特にブランド物ではないけれど、母がクリスマスプレゼントに買ってくれた物だ。ポーチの中のリップも友達が時間をかけて真剣に選んでくれたものだ。あの時は最後に候補を二つに絞って、結局二つとも買ったんだっけ。ちらと腕時計を見るだけで2023年の誕生日をありありと思い出せる。その日うまくいかなかったことも、涙が出るほど嬉しかったことも全部脳裏に蘇る。

 だから、どれもこれも私にとってとても大切な宝物だ。どんなにお金を積まれても、一つたりとも手放せないし手放さない。私がそうであるように、バイト先の彼女のエルメスにも、彼女にとって忘れられない大切な思い出が詰まっているかもしれない。そう思うと、私の持ち物も彼女の持ち物も、どちらもとても大切なものに思えて、自分の芝生も随分と青々として見えるようになった。

 そう、ブランドってそうやんな。個人的な思い出とか、他人にはわからんもん。思い出を共有してない他人でもわかる価値を提示するのがブランドの仕事よな。
 あーあ、まんまとやられてたわ。

 私は今後ものを買うときは、なるべく良い思い出になるように、臨終の際に思い出して「このとき楽しかったなあ」と思えるようなものの買い方をしたい。
 海馬にも棺桶にも入りきらないほどの幸せな思い出を持って、身軽にいくんだ、その時には。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?