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【物理】長髪を 切って挑発 してオクレ

 無論その声に耳を傾けるには傾けているのだけど、いざ感想を求められると返答に窮してしまうといった題目は、世の中に溢れている。「ねえ、ちょっと、私の話、聞いてるの?」「へぇ?聞いてるよ、けど、どう思う?って訊かれてもなぁ…」という奴だ。ごく稀に、食事に頓着しないという人に出会うけれど、そのタイプの人へ「そうそう、駅の反対側に出来たお店、ローストビーフが美味しいらしいよ」と世間話を始めたところで、いまひとつ反応が薄い。三度の飯など適当で構わないという生活様式が私には信じ難いものの、当人に悪気はない。ローストビーフを味わいたいという“ボール”そのものを握っていないのだから、“キャッチボール”が成立しないのは仕方ないのである。だが、当人の食事に構わぬ態度などにはお構いなく、めげずに一方通行で喋り続ける強者がいるから、巷は面白い。
 きっと「人生とは、誰しも納得できるような『意味』など持たないものである」としっかり心得ている人が「どうせ生きていること自体が時間の無駄遣いなのだから」という境地に達し、その無意味を逆手に取って「暇潰しの無駄話」を嗜好かつ志向しているのだ。煙草と同じ。ヤメられない。それでも「無駄の中に意味が見出せれば御の字だ」という一縷の望みを匂わせつつ、今日も私に何かを伝えようとしている。「他山の石以て玉を攻むべし」と表したらやや失礼かもしれないが、興味の湧かない世間話であっても、私はこれを決して「ありがた迷惑」とは捉えないように心掛けている。
 
 「え~、音波は縦波、疎密波である。音も波動だから波動一般と同じ特徴を持つわけだな。よって、この式が成り立つ。」と、ゴルフ好きの物理の先生が黒板に殴り書きする式は、基本中の基本である「v=fλ」――「v」は音速で単位は「m/s」、「f」は振動数で単位は「Hz」、「λ」は波長で単位は「m」――最後の「λ」は「ラムダ」と読むが、高校卒業後1秒で忘却の彼方へと旅立った。そのスピードはまさに音速だった。「いいか、人間の耳に感じられる音の振動数の範囲は、およそ20~20,000Hz、20,000以上を超音波という。その波長は1.7cm~17mだ。音の高さは振動数が大きいほど高い。振動数が2倍になること、コレ則ち1オクターブ高くなることと等しい。音の強さは媒質の密度と振幅の二乗と振動数の二乗に比例する。音の大きさは音の強さに比例せず、等しい強さの音であっても振動数によって異なる。次に空気中を伝わる音の速さは、温度によって定まり…」――私が本当にきちんと授業に付いていけたのは、正直言ってここまでのレベルだった。先生の発する音波は空気を通じて私の耳に届いているのだが、何かの呪文のようにしか聴き取れない。まして黒板を埋め尽くす複雑な式や図は、ペルシャ絨毯の模様の一部のようにしか視認できない。
 
 「久しぶりにパソコン開いたら、メールボックスが未読で真っ赤!頭ん中は真っ白!メールの処理だけで午前中が杉田玄白よ。ねえ、今日、焼肉行かへん?」――杉田は「過ぎた」と掛けている。私が本当にきちんと春恵さんの話に付いていけたのは、正直言ってここまでのレベルだった。「ま~た焼肉?好きだなあ、いいよ」と返答が出来た時には、すでに題目が秒速で変化している。「今日お昼、“泣き子”とランチしたら、カレー屋さんで“嬢ちゃん”を発見したの。ほらぁ、コネで入学、コネで就職、コネで結婚って感じで、嵐のように会社にやって来て、嵐のようにさっさと会社を辞めちゃった子よ。いいよね~、両親が3Kやとなんも苦労せえへん。」「3Kって、コネ入学・コネ就職・コネ結婚で3Kか?」「ねえ、ちょっと、私の話、聞いてたの?その3Kやと嬢ちゃん本人の人生やん!」「ああ、それにコネクションの頭文字はCだったな。」「CでもKでもいいけど、私が言ってるのは、親が3Kやと子が苦労せえへんって話!――顔が良くて、金持ちで、権力がある。だって、そうやん。ねえ、どう思う?」――そういう3Kか…彼女も“ベル先輩”と同じことを言っている。私が“嬢ちゃん”の生い立ちをどう分析したところで、私自身が3Kを得られるわけではないし、そもそも他人の人生に干渉することに興味が湧かない。――私が3Kを復唱している間、彼女の話の題目はカレー屋へと是また秒速で変化していた。カレーの頭文字もCである。
 「カレー屋さんって言うてるでしょ。ちゃう、『レストラン南洋』やない。美味しいけど、あんな高いとこでランチするわけないやん。もう少し蛸薬師まで上がった肉屋さんの向かい側。コンクリート打ちっ放しのビル。1階が、どうやって採算とって家賃分を儲けてはるんか分からんようなアクセサリーの店で、その半地下。夜遅~くまで営業してんのよねえ。夜は、祇園でひと働き終えたオネーチャン達の隠れ家みたいやけど。ちゃうちゃう、オネーチャンが集まるのはアクセサリーのほうやない。お客さんとのアフターがない子は、あそこのカレーでお腹満たして帰るの。ちょっとしたツマミとかカクテルも多いのよ。でも、肉屋さんのカレーも美味しいよね。最近は“ジャイアン”が仕事サボって作ってくれへんけど。えっ?あの店のドラ息子よ。いっつも顔そっくりの母ちゃんに叱られてるやん。“ジャイアン”も店先でちゃんと『いらっしゃいませ』って言うんやけど、あそこは肝っ玉母ちゃんの愛想が良すぎるから目立たへんねん。アレ?親が良過ぎると苦労するパターンもあるわねぇ。どう思う?」――ジャイアンなのに、息子に「ドラ」が付いていて、ややこしい。
 結婚してから春恵さんは「人生を束縛するものから解放された」というか、「長年突き刺さっていたトゲを抜いて自由になった」印象を受ける。それにしても自由過ぎて、話の題目がコロコロ変わる。まあ、軽快なトークが彼女の魅力の1つではあるのだが、毎日これを家の食卓で聞かされている旦那さんは気の毒だ。アレ?「毎日」ではないか。たまには夏川さんや私と、焼肉や居酒屋へ行くのだから。ああ、これはこれは他人のご家庭への干渉が杉田玄白。
 
 「2つの波源から、波長と振幅が等しく、同位相の波が発生すると、その周囲には『波が強め合う点』と『波が消えてしまう点』が規則的に現れる。これが『干渉』であり、関係式は次のように示すことが出来る…」――世界広しと雖も、「他人への干渉」から「物理の呪文」を連想し、これを反芻する独身中年サラリーマンは、私一人くらいのものだろう。「次に、発音体の振動と共鳴に入る。発音体とは、弦楽器や管楽器のように音を出すための振動体だな。同じ長さの弦の張力Sを変化させると、その波は固定端で位相をずらすことになり、それを式にすると…」――固有振動の式にルート記号が参戦した段階で、私の集中力の“弦”が見事に切れる。
 と、ここで、もう1つの“共鳴”が始まる。先程まで一緒にカレーを平らげていた“泣き子”こと玲子さんが“春恵師匠”のトークに合流し、“華麗”なる姉妹が漫談を開始したのだ。「姐さん、“アリん子”さんの髪型が変わってるのに気付かはりました?」「アンタ、いつの間に関西弁やねん」「へへっ、導入部分だけ姐さんに憧れてみました。分かりやすく言えば、『DESIRE』の頃の明菜ちゃん風。そう、パッツン和風で結構似合ってると思うんですが、夫婦の不仲が原因かもしれないし、『髪型変えたね~』って気さくに訊けない雰囲気なんです。こういう時はどう言えばいいんでしょうか?」――別に黙ってればいいじゃないかと、この手の題目にはてんで“不感症”の私が“不干渉”を貫いている前を、矢のような送球が貫く。「おお、悩める者よ、大丈夫。彼女は関西人。私なら堂々とこう言います。『頭、切った?』すると“アリん子”は『頭やのうて、髪切ってん!』と切り返すわけであります、ハイ。」「そんな勇気、私にはありませんよ。私も美容室に行って、彼女に気付いてもらった時に『礼子もイメチェンしたよね~』と明るく振る舞うのはいかがでしょう?」「おお、関東人よ、回りくどいぞよ。あの髪型は即座のツッコミを待っているのだから、放置は可哀想ぞよ。私なら廊下で擦れ違いざまに『DESIRE』を振り付きで歌うぞよ。」――二人の間に挟まって、私がポカンと口を開いたままだったことは言うまでもない。他人に圧倒されることを「閉口」とも云うが、もはや「開口」なのか「閉口」なのか、自分の唇の動きまで不感に陥ってしまった中、物理の反芻が再開される。「管楽器には、一端が閉じた『閉管』と、両端とも開いた『開管』がある。それぞれ管内での音の振動は異なり、それを式にすると…こうだ。閉管・開管のいずれのケースでも、開口端における定常波の腹の位置は、管の半径の約0.6倍、外へ出る。開口端からその腹までの距離を開口端補正という。」
 
 ――いかん、いかん、束の間の立ち話のつもりが長くなってしまった、と私は慌てて職場へ戻る。高校では授業に取り残され・・・会社では仕事に取り残され・・・それでも春恵さんや玲子さんといった名手のキャッチボールを観ているだけで勉強になる。無駄話にして、その連携プレイには無駄がない。話の題目こそ私にとっては「他山の石」に思えども、確実に「自分の玉を磨く助け」となっている。
 春恵さんの矢のような送球にはいつも魅了される。人は比喩を用いて何かを表現するとき、殆どの事例では『大袈裟なもの』を持ち出す。『リンゴのような赤い頬』と謂っても、そりゃリンゴのほうが頬よりも著しく赤い。『メロンのような香りのワイン』と謂っても、そりゃメロンのほうがワインよりも著しく芳しい。『蒸し風呂のような暑さ』と謂っても、そりゃ真夏の炎天下が気温45度・湿度90%に及ぶことは無い。けれど『矢のような送球』だけは、おそらく唯一と称してもいいだろう例外で、それこそ的を射ているのだ。無論、弓道部で男子の引く20㎏級の強い弓ともなれば、初速で200㎞/hは出るから、そりゃ球よりも矢のほうが速い。ところが、弓道には、一般的な道場で行なわれる、的までの距離が28mの「近的競技」とは別に、60 m先を狙う「遠的競技」があって、後者の場合は矢尻に上方10度くらいの勾配を付けなければ――要するに、構えた弓矢を的に向かって水平一直線ではなく、若干は空に向かって起こさなければ――60 m先まで矢が届かない。また、この距離ともなれば、初速こそ200㎞/hでも、的に至るまで矢のスピードが相応にダウンしていく。それに、元来20㎏級の強い弓を巧みに扱えるのはそれなりの熟練者だ。私たちがよく目にする三十三間堂の「通し矢」――あの晴れ着姿の二十歳が放っている矢で、だいたい初速140㎞/h程度。テレビではあまり映さないが、放たれてから的に突き刺さるまでの60 mの間、矢が描く放物線の角度や、感じられる時間の間隔なんかは、ちょうど球界屈指の外野手によるバックホームの球筋に酷似しているのだ。つまり、リンゴやメロンや蒸し風呂とは明らかに違い、「矢のような送球」は「さほど格差の無い比喩」更に「状況によっては同等の比喩」という珍しいパターンなのだ。あれっ?さっきから「速度」やら「距離」やら「角度」やら、疾の昔に物理から卒業したはずの私の思考回路が、再び物理の色に染められているではないか。高校時代へタイムスリップするのは御免蒙りたいが、あの退屈な授業にもまた「他山の石」の如き意味はあったのだという自覚が暫し私を心地良くさせる。
 彼女の科白のスローイングには、矢のスピードをも超越し、私を塁に釘付けにするものがあった。タッチアップなんて百年早いとばかりに、スリーアウトとなるまでベンチに帰らせてくれない。ただでさえ鈍足のランナーが、ほんの立ち話で職場に戻れなくなるのは当然のことなのだ。――そんな思索に耽っているうち、終業時刻となってしまった。忙しいけど、期限の迫っていない雑務では残業も禁止されているし、第一、春恵さんとの約束を反故にするわけにいかない。
 
 牛丼屋の前で待ち合わせをして、焼肉屋へ向かう。今宵は玲子さんも加わり三人だ。「牛タンの上に載っかってるネギって、網の上に載せると、ひっくり返した時に零れちゃうわよね。」「ああ、姐さん、それ、上手い方法があります。でもォ、その前に、報告があります!」「何よ、焦げちゃうやん、早よ言いなさいってば。」「困り果ててたところにですねぇ、ちょうど専務が役員室から降りてきて、『どや!床屋でサッパリしてきたで。キマっとるやろ。』って、毎度お馴染みの挨拶を周囲に始めたんです。そこで、透かさず『私も明日カットします。こんなに長髪だと校則違反ですもんね。』って、一発かましたついでに『そういえば、礼子もバッサリ切ったね!』って、さらりと言ってのけました。そっから先は、話が弾む弾む。ようやく胸の支えが下りて、スッキリしました。」――なっ、何だ、“アリん子”さんの髪型の話題がまだ続いていたのか。しかも、“焼肉奉行”の春恵師匠がこのネタに乗っかり、トングをテーブルに置いてしまったから厄介だ。放置された網が気になって、私一人で三人分の牛タンの世話をする。刻みネギは、サッと舌の両面を焼いた後、途中から載せ、舌を半分だけ折り返し、柏餅のように包んで蒸し焼きにすれば、網に落ちず、火が通りつつ、シャキシャキした歯触りも滅しないで済む。
 「アナタ、専務にそんな軽口叩ける度胸があったら、最初っから礼子にストレートを投げ切ればよかったんとちゃう?それより、専務、何か言うてはった?」「人事部長を呼び出して、『ウチてぇ、ロングヘアはあかんのか?そのルール、削除しなさい。人権問題やで、ホンマ。』って、半ば真剣に質問してました。」「うわぁ~、そんな規則あるわけないやん。要らんこと言うてもうたなあ。」「まあ、みんな明菜ちゃんにしたほうが、髪が作業の邪魔にならないし、気持ちいいですよ。アッ、でも、彼女がイメージしてるのは『クレオパトラ』だそうです。確かにああいう髪型ですよね、実物を見たことがないけど。『え~、そんなにカワイイ?』って、クレオパトラだけに鼻高々でした。下着の柄も思い切って古代エジプトのパピルスに描かれているみたいな黄色と青の縞模様に変えたそうです。」「そんな柄、何処で売ってるのかしら。でも、まあ謎が解けたわ。あんなにパステルカラー系の好きな子がここ数日は濃い色の服ばっか着てると思ったら、派手な下着が透けて見えちゃうのを防いでたってことね。」――話の展開がこうなると、私の関心度は上昇へと転じる。高校生の若僧だった頃に比べると、オトナの私には、人妻の派手な下着を想像する力と、その姿に興奮する力が身に付いている。・・・勿論、ブラジャーとショーツはセットで同じ基調の柄なのだろうなあ――脳裏にイメージ映像が流れる。妖艶で野心的な女豹が激しくエロティックな鳴き声で近づいてくると、欲情がピラミッドに匹敵するほどに積み上がる。
 「けどさ、あの髪も、あの服も、知らんけどその下着も、クレオパトラばりに小顔だから似合うのよ。そう思わへん?アレっ、クレオパトラって小顔よね?」「確かに…同じレイコって名前なのに、“アリん子”の小顔に比べたら、私の顔のデカさを痛感しますね。並んでみたら『普通のカップ麺』と『スーパーカップ』くらいの差がある。神様も冷たいもんです。」「スーパーカップてぇ、アナタ、1.5倍やで。バケモンちゃうねんから、自虐にも程があるで、ホンマ。世間のオトコ達に『大は小を兼ねる』って価値観を植え付けなあかんな。だって、バストサイズやったら、玲子のスーパーカップのほうがええもんな。」「キャ~、もう、姐さんかてボインですやん。」――私の妄想の中で、女豹の鳴き声のボリュームが最高潮に達したかと思ったら、すぐさま目の前のオンナ2名による昭和のオッサンさながらの下品な会話に妨害され、折角の官能的な音が遠ざかってしまった。それどころか、過ぎ去って行くにつれ、何か別者の咆哮へと変わっていく。
 「音源や観測者が運動していると、観測者の聞く音の振動数は、静止した音源が出している振動数とは異なった音として聞こえる。この現象をドップラー効果という。則ち、音源も観測者も共に静止している場合、常に観測者は安定したHz数の音を耳にするわけだが、音源が観測者に向かって近づいている場合、すでに発した振動数に後から発した振動数が食い込むような形となり、波長が短くなる、つまり音が高くなる。逆に音源が観測者から遠ざかる場合は波長が長くなる、つまり音が低くなる。救急車のサイレンなんかは典型的だな。それを式にすると…」――私の性的欲望の振動数も、瞬時にして増幅し、そして衰退した。この愚か極まりなきオトコには、他人のお喋りを下らないと揶揄する権利など到底ない。クレオパトラは、私を救急車に乗せるべきだと、懸命に警鐘を打ち鳴らしていたのかもしれない。
 
 もし現代に杉田玄白が居るのなら、是非とも私のカラダを解剖し、オトコの阿呆で悲しき性まで『解体新書』へ詳らかに記録して頂きたいものである。が、斯様なわけにも中々いかぬ故、せめて風呂上がりに鏡の前で全身をセルフチェックするか、オンナに丸裸にされてしまうか、そのどちらか或いは両方しか為す術の無い私である・・・つづく

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