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【政治・経済】興味など 無かった筈の 資本主義

 親バカの対義語って無いらしいが、私は憚りも無く両親を尊敬している。
 母は死ぬ四年前まで死ぬほど働いていた。それは私が頼み込んでも辞めなかった。「老後の生活で息子に迷惑を掛けたくない」というよりも、「自分の生活費を自分で稼ぐのは当たり前でしょ」といった飄々とした表情で、マンションのゴミ集積所の分別、雀荘の清掃と給仕、スーパーの総菜調理と品出し、常に色々な事に汗を流し続けていた。それでいて、私の食事も一切手抜きせず作ってくれていたのだから、超人的な疲れ知らずだ。
 超人的と評しながら、もし私に子供がいたならば、私も親としてあの母と同じくらいの愛情を我が子へ注いでいたかもしれない。大学を卒業して一応それなりの大企業に就職して数年を経た後の私には「子を育てる意欲」も「子を養う財力」もあったのに、「私との間に子をもうけようと合意してくれる相手」がいなかったため、日本の少子化に拍車をかけた“非国民”として年ばかり取ってしまったのが情けない。結婚せずに子供を得る方法を真剣に調べたこともあったが、終局的には無理だと知って断念した。体外受精の技術も代理母の技術も医学的に確立しているのだから、男女が互いにキスもせず手も繋がず顔も見ずとも子を授かることの出来る仕組みを社会的に確立すればいいのに。学生時分の仲間だった留学生のゴザランもそう提案していた。倫理的な問題を排除できる次元まで制度の精度を高めた上で、「モテない男が金銭で卵子だけ貰う」「モテない女が金銭で精子だけ貰う」という行為を容認すれば、「将来への経済的な不安から出産を躊躇う」といった毎度お馴染みの実にバカバカしい問題は解決に向かう筈である。第一、子育てに足りないものが恰もカネだけであるかのような発想にうんざりする。ウチの父なら「子供ってぇのは愛情で育てるんでぃ!この愚か者めが!」と一喝して終いだろう。父の遺品も母の遺品も吟味したが、卒業証書や卒業アルバムといった類が1つも見当たらなかった。中学だけは出たようだが、もともと複雑な家庭環境だった父は暫くグレて職を転々としていたと聞くし、母も実家の手伝いや内職で糊口を凌いでいたらしく、苦労人の両親が私を高校のみならず大学まで行かせてくれた原動力は、ココロ以外の何物でも無い。そりゃ、カネはカネで大事だけど、あくまでもココロあってのカネではないか。独身者から巻き上げた税金を夫婦に散蒔いたって、出生率は上がりゃしねぇよ。「国がお金をくれるから、私達、子供を作ります」って、世の中そんなに単純じゃねえんだよ。そんなこと、中卒の両親にだって判る理屈じゃねえか。困ったもんだぜ。
 いい加減、カネもカラダもココロも未熟なくせに、子供だけは一丁前に作って、肝心な育児を蔑ろにしたり放棄したりする連中よりも、カネもカラダもココロも備わっているのに、モテないという理由だけで子を持てない男女に対して、「子育て支援」とやらの着眼点および力点を置いてみたらどうだ。「誰一人取り残さない社会」って、そういうことも含有した掛け声なんじゃないの。とりあえず日本みたいな「先進国」とやらが、愛に飢えた独身を科学的に救済するだけでも、22世紀の人類にとって大きなヒントを得られるんじゃないの。どうせ「発展」だの「成長」だの「産めよ殖やせよ」がお好きな標語なのであれば、そういう突拍子もない打開策を真剣に考えるのが政治と経済のお役目だろうに。
 
 とうとう母にパートを辞める決心をさせ、京都で同居してもらう運びとなった際、東京のマンションを空っぽにして売却した。さすがに築半世紀近くのボロ物件なので泣きたくなる程の安値だったけれど、生きている親戚はすでにこの母一人きり。東京に身寄りが無い状況下、中途半端に賃貸に回すよりも、綺麗さっぱり手放すことが出来たのはラッキーだった。ここを購入した時と同じ不動産屋さんに仲介を依頼したのだが、熱心に買い手を探してくれたことに今でも感謝している。
 急いでいたので、引っ越しの荷造りをした当時は「高校の書類」か「大学の書類」か、それだけの基準で段ボールを分類し、只管幾つかの箱に詰め込んだ。しかも上洛後もそれらを開梱することは無く、ずっと部屋の片隅に積んだままだった。
 ――それから十年以上が経過し、即ち高校卒業からは三十年近くが経過し、近年の私は、特に日々の暮らしが退屈になったという訳でも無いのだけれど、仕事に対しても私事に対しても“精根”なるものが顕著に消滅へと向かっている事を自覚している。そこで、気分転換に昔の私を紐解いてみたくなったのが、この“タイムカプセル”と化した段ボール箱の中身を弄り始めたきっかけであった。老いると思い出に浸りたくなるというのは真実だと知った。若い頃はこの行為をあまり格好良いものとして受け止めてはいなかったが、格好なんてどうでもいいという事も分かった。未来に明るさが不足していることに気付いたら、現在よりは明るかったと思われる過去に立ち返る。これは寧ろ人生に懸命さを取り戻すための賢明な処置ではないか。そして、振り返ることの出来る過去が長いということは、老いた者だけに許される特権なのだ。さあ、この特権、篤と味わうこととしよう。
 「地学」のノート2冊と「生物」のノート2冊の間に挟まっていた封筒。引っ越し荷物の梱包の折には面倒臭くて開封しなかったが、それは「政治・経済」のテストだった。封筒が大学のものだった事から、就職時点よりも前に一度は高校の書類の整理整頓を試みていた様子が窺えた。得意科目でも無かった地学と生物のノートが2冊に及んでいる几帳面さにも驚いたが、何よりも我ながら物持ちの良さに感心してしまった。すっかり黄ばんだ書類の数々が「初老が過ぎ、中老に差し掛かり、全ての親戚を失った独身のお前は、いよいよ家族以外の何かに幸せを見出さねばならなくなっている。取り立てて迷いも苦しみも無いだろうけど、ふと辛くなった時には仏壇に住む両親に相談しろ。そして、ふと疲れた時には段ボール箱に棲む俺達に相談しろ。」と私に語りかけているようだった。
 
 「政治・経済」は序盤に穴埋め式問題、中盤に用語問題、終盤に記述式問題へと転じていくパターンだった。「【問1】右のグラフは生産物の価格と生産量が市場における競争によってどのように決まるかを示すものである。この生産物に対する〔1〕は市場価格が下がるにつれて増加する。」
 ――ん?この〔1〕を埋めろっていうのか?〔需要〕だろ?高校にもなって問題のレベルが低過ぎないか?えっ?まさかの引っ掛け問題か?物持ちが良い割に仕舞い方が所々雑で、100%返却されている筈の答案用紙がセットになっていない。いつの間にか必死で探している自分が居る。この必死さのおかげで、答案用紙が見付からなかった代わりに、先生から配付された「模範解答」のプリントを発見する。恐る恐る〔1〕の答えを確認する。やはり〔需要〕で正解だったことに安堵する。
 「〔2〕が存在するする限り市場価格は下落し続けるが、需要量と供給量が一致するところの市場価格である〔3〕になってストップする。消費者の所得増あるいは外国からの需要増は一般的に需要曲線を〔4〕へシフトさせる。」
 ――これも簡単過ぎないか?最初だけ肩慣らしのサービス問題だということか?〔2〕が〔超過供給〕、〔3〕が〔均衡価格〕だが、〔4〕は〔右上〕っていう答えでいいのかな。ああ、正解だ。いつの間にかテストに挑戦している自分が居る。バブル崩壊後、急激にモノが売れなくなった平成不況の真っ只中を生き抜いた高校生にとって、需給関係はわざわざ教科書で勉強しなくとも経験上痛感している原理だった。
 国内市場では、全ての女性が結婚したとしても、一妻多夫制を導入しない限り、男性の人口がどうしても余剰する。これが超過供給であり、女性の高騰と男性の下落に歯止めが効かないのは市場原理なのである。桑年の今、今後生涯に亘って己の精子が“排泄物”でしか無い絶望を知りながら、それでもなおオナニーを止められないのが悔しい。需要が皆無なのに生産し続ける虚しさは、高校の青春から一貫している。
 
 他にも「【問2】経済主体はその機能によって〔A:家計〕〔B:企業〕および〔C:政府〕に分けられる。〔A〕は労働力を〔B〕や〔C〕に提供して〔D:賃金〕を受け取る。〔B〕はその労働力を使って生産物をつくる。〔A〕は〔B〕から各種の〔E:財〕や〔F:サービス〕を購入して消費にあてる。」といった穴埋め式が続いたが、これらにもあっさりと正解した。高校生当時はテスト勉強が仕事のような身分だったから、どんな科目であろうと、ある程度は正解して当然のこと。しかしながら、三十年近くもテスト勉強から遠ざかっている今の私が、こんなにもスラスラ解ける筈が無い。試しに、同じ箱にただ隙間を埋めるだけの目的で適当に入れたと思われる「数学」や「物理」や「化学」の問題集なんかをパラパラ捲ってみたが、こちらは当初の予想通り初歩の問題ですらチンプンカンプンだった。すると、オトナになってからも薄気味悪いくらいに全問正解できる科目なんて、この「政治・経済」くらいだということか。これぞ私がサラリーマンという“経済人”になった証ということか。いやいや、政治にも経済にも元来の苦手意識を克服できずに悩んでいた私。その私にすら分かるくらい基本の知識を、血縁に学費を払ってもらってまで18歳の私は教え込まれていたということか。まあ、基本ほど大切なものは無いのだけれど。
 
 「【問3】同一の市場において、一商品につき一つの価格が成立することを何というか。」
 ――この答えは一応「一物一価の法則」なのだろうけど、すでに三十年前には巷にディスカウントストアが台頭し、経済に疎い私ですら疑っていた通りにこの法則は崩れていった。
 ここから先は用語問題が続く。「【問4】価格の自動調節機能のことをアダム・スミスは何と呼んだか。」これは「神の『見えざる手』による調節」だな。思いっきり人間による調節だと思うんだけど――。「【問5】同一産業の複数の企業が高い利潤を確保するため価格や生産量、販路などについて協定を結ぶことを何というか。」これも簡単だ。「カルテル」で間違いない。「【問6】市場においてトップの一社がずば抜けて大きなシェアをもっている場合を何というか。」アレだよ、アレ、ああ言葉が出てこない。そうそう「ガリバー型寡占」だわ。
 
 この後、資本主義の成立に関する記述問題が嵐のようにやって来て、漸く面白い展開となる。「【問7】『資本の本源的蓄積』といわれる過程を説明せよ。【答7】15~16世紀の地理上の発見による世界の商業・貿易の急速な発展の中、商人や高利貸が莫大な貨幣を蓄積していったという過程。また農村においては商品経済の浸透が自給自足経済を破壊させ、窮乏化した農民が無産化して都市へと流入していったという過程である。」うむ、なるほど、この辺りから突如として「高校生の勉強だなあ」っていう印象の強風が吹き荒れる。「【問8】資本主義が確立をみる契機となった2つの革命について述べよ。【答8】市民革命によって、産業資本家の主導で行われた絶対主義や封建勢力が打倒されたこと。産業革命によって、機械の発明と生産方法の根本的変更がなされ、機械制大工業が成立したこと。この2つが資本主義確立の契機となった。」「【問9】1917年のロシア革命によって世界初のどのような国家が誕生したのか、簡潔に述べよ。【答9】社会主義国家が誕生した。これは空想的社会主義に対して、科学的社会主義と呼ばれるマルクスとエンゲルスが確立した理論をレーニンが実践したものといわれる。」
 ――ほうほう、1917年、米騒動の1年前か。私がこのテスト勉強に取り組んでいた1994年の1学期は「平成の米騒動」の最中だった。あの頃はコメを外国から緊急輸入するなんていう政策の転換が信じられず、記録的冷夏による不作よりも市場経済の脆弱性のほうに戦慄した。テレビ番組ではタイ米を美味しく食べるためのレシピなんかが大真面目に紹介されていたし、農水大臣の試食にあたって背広姿のオジサン達が炊飯ジャーを警備するように取り囲んでいたシーンなんかも懐かしい。当時の授業では1918年のほうをいちいち「大正の米騒動」と呼んでいた。
 ロシア革命が発端となって産声を上げたソ連も1991年、当時の日本人男性の平均寿命に近い年齢で崩壊した。私の中学時分の社会科の教科書では、まだ「コルホーズ」や「ソフホーズ」といった語句が現役だった。サンクトペテルブルクもレニングラードと称されていた。
 
 最後の記述式問題は、きっとサラリーマンとしてしか生きられない私の近い将来について、その光を奪うに十分な威力のある内容であった。「【問10】『工場制手工業』から『機械制大工業』へ移行すると、労働者の地位にどのような影響が出てくるか、その理由とともに説明しなさい。【答10】前者はまだ『手工業』であるため、労働者の特殊な技術力に頼るところが大きく、労働者の地位も高かった。後者では『機械制』の導入によって労働者の技術力が不要となり、いつでもヒトの交換が可能となったため、資本家が労働者を完全支配する構造が生まれ、労働者の地位が低下した。」
 ――これでピッタリ10問のテストだったが、オトナになった私が「答え合わせ」に使ったばかりの「模範解答」のプリントとピッタリ重なり合っていた紙がここで剥がれ落ちる。何と!それこそが高校生だった過去の私自身の答案用紙であったのだ。もっと瞠目したのはその点数だ。何と100点を獲得しているではないか。道理で納得。この数年後、私は立派な賃金奴隷へと成長していくこととなる・・・つづく

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