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【漢文】知音から 無駄な努力の 意味を知る

 かつての新幹線には喫煙車があり、私もタバコを止める前は営業先への移動によく利用していた。喫煙は百害あって一利なしと謂うが、強いて利があるとすれば、同じ車両にオトナしか乗車しないため、しかも私と同じような出張族ばかりで席が埋まる故、仕事に集中できるというメリットは挙げられる。そして疲れている時であれば、ゆっくり眠れる。
 よって、稀に指定席の喫煙車で子供が燥いでいる光景なんかに出くわすと、それだけで憂鬱になる。分かっちゃいる。こういう価値観が狭量なのは分かっちゃいる。誰にでも喫煙車を利用する権利はある。が、1便に1,000名以上もの座席が用意されているにも拘らず、法律により喫煙が禁じられている未成年者の予約で態々この席を占めてしまうという行為には、一体どんな特殊な事情があるというのだろうか。疲労困憊のサラリーマンを嘲笑するかの如くガキが延々と走り回っている状況にうんざりしながら、親の顔が見てみたいという怒りが込み上げてくる。これって、ごく自然な感情だと思うけれど、やっぱり私のほうが間違っているのだろうか。
 私の両親は、賢人でも人格者でも無かったけれど、こういうところには厳しいケジメがあった。私は手前味噌ながら決して公共の場で騒ぐようなガキでは無く、寧ろおとなしい部類だった。しかし、母は勿論のこと、あれだけ酒好きだった父ですら、“作法”が判る年齢になるまでは私を居酒屋へ連れて行くことは無かった。「ここは大人が酒を飲み、疲れを癒す場所。子供が外食を楽しみたいなら、ファミリーレストランに行けば良い。」――自分自身がオトナとなった今、振り返ってみると、極めて常識的な事くらいは守れる人であろうという矜恃があったように感じる。「常識的」ってコトバはあまり好まないけれど、やっぱり常識に沿った振る舞い方って大切だとは思う。「学校をサボるな」とか「勉強しなさい」とか「早く寝ろ」とか、そんな事はただの一度も言わなかった親だったが、箸使いや挨拶にはそれ相応にうるさかった。そうした躾のせいだろうか、たとえ絶世の美女であろうとも、テーブルに肘を突きながら食事をされた瞬間、気が萎える。私って奴はそういう男なのだ。でも、この性格を直すつもりは無い。周囲が驚くほど「自由」に育てられた私だが、自由の背後に潜む「責任」をそれとなく示してくれた両親に対する裏切りは出来ない。狭量だろうと何だろうと、ここは譲れない。

 そんな訳で、私という人間は、世間一般の人と比べて割と寛容なほうだと誇負する一方、頑固な“古の価値観”が拭い切れない。例えば「顔やスタイルの美しさは内面の美しさから表れる」といった標榜には未だに疑問符が残るけれど、「髪型や服装の乱れは心の乱れ」といった標榜には合点がいく。仮に、業務上とんでもないミスを仕出かしてしまい、顧客にお詫びに向かう場面があったとする。その人が黒髪を別の色に染めていたり、無精髭を生やしていたり、濃い色や派手な柄のワイシャツだったり、イタリア人でもあるまいに先の尖った黄土色の革靴だったり、それも脱いで玄関に揃えた折に踵が歪んでいたりすれば、もうそれだけで火に油。謝ろうという姿勢が見られないどころか、減点要素しか見当たらないではないか。もし顧客に「誠意の無い内面が外見に表れている」と謂われてしまったとしたら、その時点で彼の反論の余地は奪われてしまう。彼にも言い分はあるのだろうけど、それに諸々耳を傾けてみたところで、私には「どんな格好で商売しようとも、その人の自由ではないか」と片付ける勇気は無い。顔では笑いつつ、心の内で「世の中にお辞儀をしない職業など存在しないことを知れ」と一蹴するのみである。別に日頃は洒落込むがいい。それは本人の勝手だ。が、他人に許しを請うという神経質なシーンで、敢えて自分を貫かなくともいいではないか。ちゃんと頭を下げているのに、たかがシャツの色ごときで自らクレームを助長してしまうのは勿体無いでしょ。シチュエーションに合わせるのが元来のファッションセンスというものではないの。それだけのことだ。
 自由は素晴らしい。但し、自由にブレーキは付き物なのである。制御なき自由が市民権を得ることに私は抵抗感を覚えるし、「あなた方は何か勘違いをしていないか」と言いたくなってしまう。そりゃあ行儀の悪い年寄りも居座っているけど、年寄りには席を譲ったらいいじゃないか。そりゃあ満腹になるまで食べたいだろうけど、飯を残すくらいなら始めから注文するなってば。そりゃあ多少は文句を付けたくなるメニューもあるだろうけど、どうせ食べるなら作ってくれた人に感謝して旨そうに味わえよ。私が日頃心掛けているのは、こういう生き様だ。
 無論これらの考えには長短あることを他ならぬ私自身が承知しているし、受け継ぐべき伝統か、壊すべき固定観念か、評価の分かれるところだろう。でも、やっぱり何かイヤだな。共に生きている隣人を不快にさせる行動とは何か――そういう発想と弁えが脳内に無い人とは、上辺だけの付き合いこそすれ、友達にはなりたくない。
 
 そういえば、サクラがこんな事を口にしていた。「ちょっと一軍で活躍し始めると、すぐにネックレスする選手ばっかりやんか。せや、プロ野球や。プロやから結果が全てやし、何しても自由やけどな、ハッキリ言って邪魔やんか。バッティングでフルスイングしても、守備でジャンプしても、走塁でスライディングしても、いっつも首元でチャラチャラしてな、アレ、絶対に鬱陶しい筈やで。まあ、磁気ネックレスならまだ解るけどな、金の鎖みたいなん、アレ、意味無いで。指輪は禁止やねんから、首輪も禁止にしたらええねん。いやな、外ではどんな格好で歩いてもええねんで。やけど、グラウンドの中ではカラダひとつで勝負せえよてェ言いたなる。」――やや喋々しい表現かもしれないが、この科白は私にとって人生で指折りの共感かつ驚愕だった。だって、当の発言者がいっつもド派手なジェルネイルで、耳には北斗七星みたいな、舌にも南十字星みたいなピアスをチャラチャラさせているからである。おまけに彼女は多様性なるコトバが持て囃されている21世紀の日本に大学生として生きる21歳。その外見や年齢とは裏腹に、主義主張が昭和の根性論に近い。
 逆に私のほうが聊か引き気味に構えていると、彼女は遠慮なく続ける。「いやいや、私やて、スポーツ選手やったら試合中はネイルも落とすしピアスも外すで。兎に角、プレーと関係無いところでイキってんのがなあ、美しくないゆうか、単純にキライやねん。」――スポーツは、どんなドラマや映画よりも人の心を動かす瞬間を魅せることがある。それは直向きな練習、黙々とした努力、対戦相手へのリスペクトが美しく花開くからではないか。
 スポーツマンシップだけでは無い。きっと「サラリーマンシップ」というやつも存在すると思う。良いモノやサービスを創ろうとする技術職の血、懸命に売ろうとする営業職の汗、最前線を後方支援する事務職の涙、そういうものが結実するから、たとえつまらない仕事であっても納得できない任務であっても、何だかんだと会社には仲間意識なるものが醸成されるという部分は確実にあると思う。なんせ市場競争や経済成長を前提とする社会と本能的に相性が合わないこの私が、典型的な民間企業の会社員をもう四半世紀近くも続けられているのだから、それは収入への渇望のみならず、友達に恵まれたところが大きい。
 「なんや、考え事しとるんか?似合わへんて、やめとき。ほらぁ、今日もホームラン打ったはるで。アナタ、ごっつうファンなんやろ?」――居酒屋の片隅ではテレビが二刀流のスーパースターの活躍ぶりを報じていた。渡米を翻意して我が贔屓球団に5年間も在籍してくれた。2016年には首位と最大11.5ゲーム差からの逆転優勝に貢献してくれた。その昔、本拠地がまだ東京に在ってオレンジ色のユニフォームを着ていた頃には、まさか私の応援の年表にこんなにも輝かしい記録と記憶が刻まれるとは空想すらしていなかった。「見てみぃ、ほらぁ、なっ、メジャーリーグでMVP獲っても、ネックレスなんかぶら下げているとこ、見た事ないやろ?これが一流やと私は思うで、ホンマに。」――もうこれだけで私はサクラという“同類項”の友達をもっと知りたいと思うようになったし、より好きになった。んっ?友達?まあ、彼女自身が友達と認めてくれているんだから、そこは図に乗ることとするか。出会いのきっかけはホテヘル嬢と客の関係だったのだけれど。
 「それにな、私のピアスは寧ろ商売道具やで。このベロで舐めたら気持ちええやろ。」――はっ、はい。その件につきましては全く否定できません。やや喋々しい表現かもしれませんが、貴女の舌は私にとって人生で指折りの恍惚でした。
 
 要するに、どうも私という人間は“古の価値観”に対して狭量なまでに固執するらしい。これは、我が贔屓球団が東京でオレンジ色を着ていた頃まで遡っても同じこと。だからという訳でも無いが、高校の「漢文」の授業には何処となく“安心感”のようなものがあった。
 「新しいものを否定するな。だが、新しいという理由のみで礼賛もするな。古いものを否定する際には常に慎重であれ。文学者を目指す訳でも無い君達の将来にとって、何の役にも立たなそうな漢文を学ぶことに理由が在るとすれば、古きものを道具にして自分を磨くってところじゃないか。本当に何の意味も持たぬ勉強だとしたら、この平成の時代にもなって千年以上も昔の漢詩を日本の中高生達が読み続けている筈が無かろうし。
 もう今日は3つだけね。3つ以上やると疲れちゃうから。ゆっくり読むんだよ、ゆっくり。ゆっくり読めば、意味も分かるし、若い君達の教訓として、血となり肉となる。」
 ――先生は好々爺の副校長だった。教える意味のある授業しかしたくない。是、本気だ。非効率な物事の進め方を激しく避けたがる先生だった。そんな先生が「漢文は学ぶ意味がある」と断言するのだから、信じることが出来た。
 
 「3つとも有名だけど、改めてゆっくり読むと味わい深い。1つ目は『なぜ人は学ぶのか』というテーマ。2つ目は『どうせ学ぶなら、それなりの努力はしてみようぜ』みたいなテーマ。3つ目は『学んだことを活かす相手が居ないと人は耐えられない』って、自己満足の限界を物語るテーマ。3つとも“正解”が書いてあるって訳じゃないんだけど“精神”を刷り込んでくれるよ。
 では、1つ目。プリントの1枚目をひっくり返して。そう、ゆっくり読むんだよ、ゆっくり。
 君子曰はく、『学は以て已むべからず。青は之を藍より取りて、藍よりも青く、氷は水より之を為(つく)りて、水よりも寒し。』と。・・・分かる?ふむふむ、学問は途中で止めてはならない。青は藍の葉っぱから取って出来る色だけど、藍よりも青いし、氷は水から作るけど、水よりも冷たい。そうそう、そんな感じ。ねっ、大袈裟でしょ。青が材料よりも青いから、氷が材料よりも冷たいから、君達も学問を材料に立派になりなさいみたいな、平たく云うと、そういう理屈。人が勉強をする理由は藍染や製氷と同じって、無茶苦茶なようだし、“正解”かどうかは解らないけど、“精神”が伝わってくるでしょ。それもごく限られた文字数で効率的に伝わる。これが漢文の魅力なんだよねえ。
 では、2つ目。どうせ学ぶなら、それなりの努力はしてみようぜって話。プリントの2枚目をひっくり返して。そう、ゆっくり読むんだよ、ゆっくり。
 孫康は家貧にして油無し。常に雪に映(て)らして書を読む。――ちょっと飛ばして、次ね。――後(のち)御史大夫(ぎょしたいふ)に至る。晋の車胤、字(あざな)は武子(ぶし)、南平(なんぺい)の人なり。――ちょっと飛ばして、次ね。――家貧にして常には油を得ず。夏月には則ち練囊(れんのう)に数十の蛍火を盛り、以て書を照らし、夜を以て日に継ぐ。吏部尚書に終わる。・・・分かる?ふむふむ、孫康って人は家が貧しくて油が無かったから、いつも雪に反射した灯りで書を読んでいたら、御史大夫になった。晋の車胤って人も家が貧しくて常時油が買えるわけではなかったから、夏には袋に数十の蛍を入れて、その光で夜になっても書を読んでいたら、吏部尚書になった。そうそう、そんな感じ。ねっ、大袈裟でしょ。♪ほ~た~るの、ひぃか~ぁり、窓ぉのぉゆ~きぃ~まで使って書(ふみ)を読まないと、君達は卒業式で本来この歌を合唱する資格は無いってことになる。無茶苦茶なようだし、“正解”かどうかは解らないけど、“精神”が伝わってくるでしょ。それもごく限られた文字数で効率的に伝わる。これが漢文の魅力なんだよねえ。」
 ――先生が「ちょっと飛ばして次ね」と仰せの部分にも色々な教訓が鏤められているのだが、この授業で伝えたいことまで飛んでしまうからという理由により、あっさりカットされた。これが非効率な物事の進め方を激しく避けたがる好々爺の凄さだった。
 「御史大夫ってのも、吏部尚書ってのも、かなり上級の役人のポスト。何も出世のためだけに勉強する訳じゃないけれど、単純に『将来アタマの良い人になりました』って言うよりも分かりやすいでしょ。だってスポーツでもそうでしょ。努力した結果を『鍛え抜かれたカラダで強い人でなりました』って言うよりも、『金メダル』とか『MVP』とか、具体的に表現したほうが分かりやすいでしょ。勉強したら出世する、説明はそれで済むんだよ。
 では、本日の最後、3つ目。学んだことを活かす相手が居ないと人は耐えられないって話。プリントの3枚目をひっくり返して。そう、ゆっくり読むんだよ、ゆっくり。
 伯牙(はくが)善く琴を鼓(ひ)き、鍾子期(しょうしき)善く聴く。――ハイ、かなり飛ばして、最後ね。――鍾子期死す。伯牙琴を破り絃を絶ちて、終身復た琴を鼓かず。以為(おも)へらく、為(ため)に琴を鼓くに足る者無しと。・・・分かる?ふむふむ、伯牙って人がよく琴を弾いて、鍾子期って人がよく伯牙の演奏を聴いたけど、鍾子期が死ぬと、伯牙は琴を壊して弦を切って、終身二度と琴を弾かなかった。聴かせるに足る相手が居なくなったから。そうそう、そんな感じ。ねっ、大袈裟でしょ。でもね、飛ばした間の文章にどんなことが書いてあるかっていうと、琴を弾く伯牙の心が山にあれば、鍾子期が山のような音色だと称賛し、その心が流水にあれば、流水のようだと称賛したっていうエピソードが書いてあるんだよ。
 学問もスポーツもねえ、そして芸術もねえ、その成果に拍手を送って評価してくれる人がいるから、やる気が湧いて来るってもんでしょ。故に、この世の中で『無駄な努力』があるとすれば、それは『自分一人で頑張っているものだと勘違いした努力』なんじゃないかな。
 勉強は勿論だが、部活でも趣味でも何でもいいよ。本日の3つの漢文が伝えているのは、まず何事にも真剣に取り組む、そして可能な限りは頑張ってみる、そして一人だけではその努力は実らない、っていうこと。君達も高校生なんだし、そんな大切な事は解っているだろうよ。けどねえ、人間って大切な事を簡単に忘れるよ。こればかりはね、もうこの歳になると経験値でハッキリ云える。歳を重ねるほどねえ、何でも分かったようなフリをして、真剣に向き合おうとする物事が少なくなっていく。真剣に何かをしようという気力が失われていくんだよ。ハ~ハッハ、では、これにて本日の授業はおしまい。」
 ――うわ~、好々爺先生!48歳になった今、私はそのコトバが耳に痛いです。今、真剣になれるものって、この歳になって誠に恥ずかしながら、恋くらいのものであります・・・つづく

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