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【労働法】組合の 存在意義を 泳ぐ海

 中学校の「公民」の教科書には「数万にも及ぶ職業から短期間のうちにたった1つを選択する。職業選択の自由というのは、奇跡的に緻密な計算を要する過酷なものである」といった内容が書かれていた。いくら中学生の私でも、これからの日本の景気は低迷が続き、自分が就職活動を迎える時までに好転する期待も持てないことは何となく想像できていたが、実際の就職氷河期の厳しさは想像を絶するものだった。私たちロストジェネレーションの経験した就職活動とは「職業選択の不自由」だったのである。「椅子取りゲーム」のレベルが違うのだ。1つの椅子を数百名で争うのである。自分を採用してくれるという会社を選択できるシチュエーション、要するに2社以上から内定をもらうだけでも超エリートと呼んでおかしくない生存競争だった。
 但し、職業選択の不自由というのは、偶然に偶然が重なった結果、今の会社で働くこととなった「ご縁」を大切に信じることの重要性を私に教えてくれた。人生、就職にしても結婚にしても、単純に選択肢が多ければ幸せとは限らず、選択肢が多過ぎると、そこに迷いが生じ、選択後もその正しさを疑い続けることになる。氷河期の学生にはその心配が無かった。そして「ご縁」で繋がるサラリーマン人生の妙味を社内の強固な共通認識とするのが労働組合の存在意義だと言い切ったのが、大学の労働法の教授だった。一本調子な講義の多かった法学部にあって、この先生は異彩を放っていたし、どことなく学生に目線を近づけるサービス精神があった。サラリーマンになってから20年以上が経過した今振り返ってみて、この先生の講義の妙味は深みを増すばかりである。
 
 「司法試験や公務員試験に猪突猛進の学生ばかりでなく、諸君の中には、卒業後の道に民間企業への就職を選ぶ人も多いでしょう。その場合、まあ本気になって就職活動をすれば、世間的に全くの無名ではないレベルの大企業に入社できるでしょう。それくらいのブランドはウチの大学にもあるから心配しないでくださいね。日本の大企業には労働組合が大抵ありますから、諸君も入社すれば賃金奴隷と同時に組合員となります。ちなみに、私の妻も娘も株をやっていましてね、資本家なんですよ。我が家では私だけが労働者階級なのであります。
 本来、会社員というのはバラバラの存在です。みんな違う方向を見ている人間の集まりです。機械じゃないから当たり前ですね。部署も立場も世代も垣根だらけです。諸君が入社する会社には諸君のご両親と同年代の方々も勤めているわけですから当たり前ですね。会社の中でも職場環境がそれぞれ異なる。帰宅しても生活環境や家庭環境がそれぞれ異なる仲間であります。冷静に考えると『異なる仲間』って、ちょっと変な表現ですよね?『異なる』のに『仲間』。でも、これがすごく労働組合っぽい価値観なんだと私は思いますよ。
 なぜ、そもそも異なる人々が仲間として集まっているのか?それは、たった1つだけど、人生の中で決して小さくはない『共通項』で結ばれた集まりだからですよね。諸君がこれから入る企業に所属している平社員の全員が、偶然に偶然が重なった就職活動の結果として、その会社に入り、そこにある労働組合の組合員になっているわけです。
 組合には、定期大会とか、それこそ労働法によって定められた規約に基づいて開催される真面目な会議体から、機関紙の発行、あるいは文化祭や運動会のようなイメージのレクリエーション行事に至るまで、実に様々な活動がありますけど、そのいずれも、バラバラの人間同士がたった1つの『ご縁』で繋がっているということを、時に実感し、時に再確認する儀式のようなものです。
 憲法上『職業選択の自由』は保障されたものですが、それを行使できる能力がある人は限られています。サラリーマンというのはねえ、たとえ超優良な大企業の社員であっても、自分の限定的な能力を筆記試験や面接の場で十分にアピールできたかという『運』と、自分が21歳を迎えた時に志望企業の業績や新卒採用人数がどうだったかという『運』、つまり『運』と『運』の掛け合わせで入社したような人間なんですよ。誤解を恐れずに言えば、運と運の掛け合わせによって入社したような人間に本来根付くはずのない『自分の会社だ』という当事者意識や愛社精神を少しでも感じられる環境を経営側と一緒につくり上げ、育んでいくのが労働組合のお役目なのではないでしょうかね。少なくとも春闘の労使交渉で賃金の引き上げを獲得するだけが労働組合の存在意義ではないんですね。そういう単純な団体ではないんです、あれは。受動的であれ、能動的であれ、同じ会社で働く者は皆、その会社で生きるという選択肢を選んだ点においては『仲間』です。入社した理由や経緯はそれぞれ違っても、組合を大切にすることで、仲間を大切にし、会社を大切にすることが、サラリーマンとして生きる自分を大切にしていくことに通じます。おそらく諸君はつまらない仕事を引き受けなければならない人生です。つまらない会社生活を面白がるには、意外とあの労働組合っていう集合体は役に立つんですよ。」
 
 私は崇高な理念に基づいて組合役員を務めていたわけではなかった。入社3年目で浅学菲才な頃、同じ選挙区内に20代の社員がいないという理由だけで先輩に誘われたからである。それでも本当にイヤなら断ればいいのだ。私が組合役員を引き受けたのは「逃れられない先輩から半強制的な期待の声が掛けられた」という他にも、やはり労働組合そのものに「単調な会社生活を適度な刺激によって飽きさせない魅力」を感じていたからである。いずれにせよ、労働組合の存在意義なんて真剣に考えるようになったのは、何年か役員を務めた後の話である。きっかけは、若手組合員向けに労働法の基礎を教育することになり、何かの材料にでもなればいいくらいの軽い気持ちで、教授の講義ノートを読み返したときだった。すっかり色褪せたノートだったが、そこには恩師の科白1つひとつが、自分で言うのも気恥ずかしいが、見事に綴られ、色褪せずに「再現」されていた。
 
 「そもそも人類は、資本主義とか、経済発展とか、そういうものに寄り添って生きることを礼賛する態度では無かったんですね。アリストテレスは『高利貸し』を糾弾しました。西洋最大級の哲学者がですよ。すでに紀元前の話ですよ。その時代から二千年以上に亘って、人類は経済発展イデオロギーに、まあ言葉を選ばずに言えば『汚染』されることはありませんでした。よく農耕の始まりが食糧の備蓄を可能にしたため貧富の差を生じせしめたと言いますが、封建制社会に入っても、凶作なら領主は農民を救済しましたし、手工業生産にもギルドという厳しい規制がありました。身分による差別はありましたが、一方で高貴な人にはその身分に伴う義務が重んじられた社会だったのです。不公正な契約を許さず、露骨な金儲けは批判の的となりました。雰囲気や空気感ってありますよね。日本でも江戸時代までは、商人はひたすら禁欲と家業への献身を教え込まれていました。
 1776年、諸君が生まれる約200年前かな、アダム・スミスの『国富論』が、私利私欲と産業革命の引き金となった大転換でした。今年が1996年ですから、長い人類の歴史の中で、資本主義の時代は、たったの直近130年から220年くらいの話です。近代的量産の起点となったイギリス産業革命が18世紀半~19世紀ですから、最大で220年という計算ですね。この後、国内で金儲けが本格的になったのが、1867年の明治維新からと捉えても、直近130年足らずということになります。
 当初の資本主義というのは、先進国が途上国の資源と労働力を買い叩く構図が過度となり、破綻することとなります。植民地主義・帝国主義では、途上国と富の奪い合いになり戦争を招くだけの結果になることが証明されたわけですね。
 途上国――まあ、発展の途上にある国という言い方自体が失礼極まりないのですけど――途上国に先進国であるヨーロッパ人が土足で上がり込んできて、『どうだ、俺たちの持っている品物、欲しいだろ』と店を開きます。そして『この品物が欲しいなら、カネを持ってこい。物々交換はダメだ。カネが欲しいなら、オレたちの切り拓いてやった農場で働け』などと勝手なことを言うわけです。ところが、現地の人は、そりゃ貧乏でしたけど、西洋的な経済制度に組み込まれていない未開発の地に居たから貧乏だったわけではありません。現地の暮らしでそれなりに満足だったわけです。仮に労基法並みの条件が当時の彼らに適用されたとしても、月曜日から金曜日の5日間、毎日8時間の賃金労働をしてまで買いたい物なんてヨーロッパ人の店にはない。だからカネはいらないし、働きたくない。それが、今からたった100年前の多数の地球人、即ち植民地の現地人たちの常識だったのですよ、ホントに。
 資本主義における労働の魅力が現地人に伝わらないのは自業自得だというのに、搾取をしたい支配国は武力をもって苛烈な行動に出ます。それが『隷属しか選択できない奴隷制』や『貨幣しか選択できない税金制』です。『経済社会のあるべき姿』などという自分本位の理屈を持ち出し、植民地では次々に強制労働とともに『西洋こそ素晴らしい』といった洗脳的な要素を有する社会が形成されていくわけです。ヒトはいつの間にかヒトのためでなくカネのために働くようになっていきました。
 植民地を支配するタイプの資本主義が破綻すると、次に先進国は、カネがカネを生み出す『金融資本主義』を発明します。しかし、これは諸君もご存知の通り、バブル崩壊によってそもそも破綻する構図であったことが証明される結末となりました。
 資本主義の歴史、経済発展の歴史というのは、実際に人類が高度成長を経験してしまったがゆえに、『世界中の皆がいつか裕福な生活をできるようになる』という大ウソに翻弄された歴史なんですね。『自分が金持ち』か『相手が貧乏』でないと、相対的に裕福な状況は成立しないという当然すぎる事実を無視した歴史なのです。そうやって事実を無視しながら『いつまでも経済は右肩上がりで成長・発展し続ける』という言説に疑念を抱くことがなかった。今の私たちはたった最近100年も続いていない世界観を盲信させられ、妄信しているのですねえ。これ、ホントにホントですよ。
 
 諸君の生きている時代は不遇です。愚直に信用されていた『経済成長神話』がストップし、『拡大再生産』の限界が到来しました。経済成長を前提に、公共事業や社会福祉の充実によって成立していた『利益分配型』の政策も終焉です。当然ながら、今後は、年金制度の維持困難・増税負担や生活保護者の増加・福祉のカットといった具合で、即ち、負の遺産相続を国民に求めざるを得ない『不利益分配型』の政策へ移行することとなります。まあ、単純に、経済成長への過度な期待感を放棄する生き方が迫られているわけですね。
 労働者が豊かになると人口は増えます。日本は成長が止まったので労働者は豊かにならず、人口も減少中です。それでもなお、相も変わらず成長を盲信し続け、不況への不安を払拭したいという思いもあってか、涙ぐましい技術開発の努力を何とか継続中です。技術開発自体は決して悪い側面ばかりではないのですよ。但し、私たちは貨幣を媒体とする資本主義経済よりも合理的な社会システムを技術的に開発できないままですし、環境・資源・健康・平和・・・どの側面から見ても人類は自滅に向かって進行しています。もう手遅れなんですよ。これからは物質的・文明的な進歩よりも、精神的・文化的な進歩を目指したいところですが、甘い汁の思い出を捨てきれない以上、これも土台無理な話です。
 
 諸君は、経済的な利益を極めて生み出しにくい時代の中で、毎年のように経済的な利益にこだわる民間企業の構成員として働くこととなるわけです。もう、こりゃ地獄だわ。
 サラリーマン社会の成立は、いわゆる戦後に財閥解体や農地解放が行われ、1947年に『修正資本主義』が唱えられてからと捉えれば、最近たったの50年足らずのことです。焼け野原から再出発し、アメリカを追いかけるランナーとして働いていれば、自ずと羽振りも良くなりました。出来の良い子がアメリカから制度や商品やサービスを輸入して、これを日本式に加工した設計図を描く。次に普通の子が設計図通りに作り、これを普及させる。普及によって社会が潤った余剰を出来の悪い子の救済に充てる。そんなやり方で見事に一億総平等社会の実現に成功したのも昭和まで。アメリカを追い続けたランナーがマラソンの先頭集団に入り、平成になると、アメリカという手本をモノマネするだけの生き方が成立しなくなることに気付いた。それでも、まだまだ経済は成長できると信じるしか自分たちの生き方が見当たらない。ここでアメリカから輸入したのが『リストラ』という夢の無いドラマの結末です。リストラするような会社に新規採用の余裕があるはずもありません。諸君のせいでも何でもないのに、始まったばかりの就職氷河期はこれから当面続くと思いますよ。就職前にするのが努力。就職後にするのが我慢。そのどちらの見返りも昭和に比べて著しく少ない。不遇としか言いようがありません。
 
 『食うため』『食わせるため』に仕方ないから働く。これが最も確かなモチベーション。食うための仕事を悪とするのは、先進国に生きる人間の傲慢で、労働の基本を忘れた勘違いであります。食うための労働が悪なのではなく、その労働条件が悪なのです。
 小学6年生から人生の本格的な競争がスタートするとしたら、これから諸君の勤めることになる会社は11年間の就職活動のゴールですね。習い事や受験勉強はもちろん、学生時代の社会体験も含めて、11年間に亘り自分を修養してきた全てを就職活動にぶつけた結果、内定企業が決まります。大学生にもなれば、職業選択の自由と言いながらサラリーマン以外のコースは門戸が狭すぎる社会システムを存分に知ることとなり、ひとまず『努力は必ず報われるというウソを信じたい病』を軽度の挫折で克服することとなります。克服してもなお、体内には『やりたいことが分からない病』が残りますが、この病は根絶できるものではなく、共存すべきものです。そのうち『やりたいこと』までは分からなくても、せめて『やっていけること』が消去法によって分かるようになってきます。消去法によって入ることとなった内定企業は、11年間の就職活動の『ゴール』であり、その後約40年の勤務の『スタート』では無いのです。いいですか。入社式はスタートではなく、ゴールなのです。大学3年生、ストレートで入学すれば21歳の時の『自分の相対的総合的能力』と『志望企業の景気』で、諸君の生涯賃金が決定するのです。同じ業界の中でも、トップの企業とビリの企業との間では、5倍以上の年収の差があるというのが現実です。入社式を迎えたその日から先、この『カースト』からは生涯脱出不可能です。21歳を迎えた時に景気が良いか悪いかは「運」。世の中が不況になると、学生にとっては自らの培ってきた能力なら楽勝で入れるはずだった会社にも入れない状況となり、会社にとっては自らの培ってきた能力を超えた新入社員が入ってくる状況となります。生涯賃金とは、ほぼ『運の差』であって、『能力と努力の差』が出るのは同世代間の争いだけ。サラリーマンとは『努力しても報われない』圧倒的多数の俸給生活者であるというわけなんですね。
 俸給生活者は『過剰成長』『過剰労働』『過剰消費』という不幸のスパイラルから脱却したくても出来ない。否が応でも『どんどん売って、どんどん儲けて、どんどん使え』の幻想に巻き込まれます。実態は逆ですね。『売れないから儲からない、儲からないから使えない中、何とかして売るために残業する』という現代版の搾取が心身を蝕んでいくけれど、これしか自分に選択できる職業がない。本来は技術の進歩が人間の労働時間を減らしてくれる約束だったはずなのですが、騙されたわけです。『健康で文化的な最低限度の生活』も余暇が足りてこそ成り立つ。けれど、サラリーマンは余暇の無い点で「奴隷」と同じ、階級から脱せない点で「軍隊」と同じ定義なんです。もう分かりましたか。食うための労働が悪なのではなく、その労働条件が悪なのです。
 現在の経済と労働の制度を私たちは『積極的に選択した』わけではない。むしろ『徴兵』に近い。人類史では長い間、賃金労働、即ち『自らの意志ではなく、ただ賃金のために仕事をすること』は侮辱でした。たったの100年遡れば、サラリーマンという働き方自体が『不自然』『不自由』『理不尽』だったのです。『エンクロージャー』『ラッダイト運動』『サボタージュ』といった労働組合創成への歴史が何よりもの証拠です。
 
 労働組合というのはですね、新たな『奴隷解放運動』つまり『賃金奴隷解放運動』を『革命』という形ではなく『現実的・合理的な方法』で行なう団体とも解釈できます。昭和に建設した『三種の神器ビルディング』が老朽化し、平成以降『終身雇用棟』も『年功序列棟』も解体されますが、『企業別労働組合棟』だけは解体工事の対象とはなりませんでした。それは何故だと思いますか?法律の足枷もありますけど、解体すると困るからなんですね。サラリーマンのやり場のない慨嘆を多少なりとも和らげてくれるからなんですね。
 資本主義という非人間的な要素を宿命的に背負った仕組みよりも優れた仕組みを発明できない現代社会において、資本主義を少しでも人間的なものにするという心掛けを確立し、追求するのが労働組合なんですね。サラリーマンという非人間的な要素を宿命的に背負った働き方よりも優れた働き方を発明できない現代社会において、サラリーマンを少しでも人間的なものにするという心掛けを確立し、追求するのが労働組合なんですね。『食うため』に仕方なく働く長い期間と時間を少しでも『これなら、まだ楽しい。我慢できる。』と感じることのできる環境、思い込める環境を、経営側と一緒に何とかして形成していくのが労働組合なんですね。
 経済とは、動物でなく人間だけが発明し営んでいるものです。よって最も人間的な活動と言えます。その人間の『性悪』と『性善』のバランスをとる特命を社会から受けたのが労働組合なんですね。経済には『社会を維持できる程度の右肩上がりの継続』という経営側の役割と、『社会を維持できる程度の労働条件の継続』という組合側の役割の両方が必要なんです。言い換えれば、経営の役割は『薄利多売の量的消費から収益力重視の質的消費への転換』や『社員が自分でも買いたいと思える商品やサービスの提供』による市場の供給過多からの脱却です。組合の役割は『居心地の良い社内環境』や『休日増加と給料還元』による優秀な人材の確保です。どちらが欠けても、会社に将来性はない。組合は『第二人事部』と揶揄されますが、第二人事部で大いに結構なのです。人生で最も大切な『自分の時間と能力』を投資している社員こそ会社にとって最大の投資家であることを、経営にも絶えず言い続け、自分でも絶えず確認し続けないと、感覚が麻痺して忘れてしまいます。『身近で分かりやすいモデルケースから、現実的・合理的に搾取を無くす努力』と『犠牲者を出すことなく、少しずつ支持者や同意者を得ながら、息切れや閉塞感なく資本主義を維持する手段を開発する努力』をするのが労働組合なんですね。こればかりはねえ、第一人事部だけには出来ないんですよ。第一と第二には役割分担があって、第一が両方の機能を兼務することには無理があるんです。労使は一蓮托生なんです。だから、やっぱり労働組合のない会社って脆弱だと思いますよ。何十年も労働法を研究している学者の端くれが言っているんですから間違いありません。世の中で特にやりたいこともない諸君は、労働組合のある大企業に入ったほうが、その後の人生を息災に過ごすことができますよ。」
 ・・・サラリーマンになってから20年以上が経過した今、この先生の授けてくれた教えの1つひとつが骨身に沁みる。
 
 サラリーマンになってから20年以上が経過した今の私はこう考えている。理想・原理・主義といった大風呂敷は、危険で悲惨な結果を生む。あくまで現実的・合理的な政治的決断をすべきであることは、過去の革命史が証明している。いつか「今の常識が非常識化する日」は来るが、急激な転換をすると自滅する。
 軍事力こそ国際社会における権力構成要素だとする考え方が古典的であることは、植民地支配の歴史から先生に学んだ。領土が広ければ良いとは限らない。守るべき範囲も広くなるからだ。人口が多ければ良いとは限らない。政府の国民生活に対する責任と財政負担も大きくなるからだ。資源が豊富でも、売り先が無ければ儲からないから、客となる外国との友好関係を重視せざるを得なくなる。結局、軍事力が強ければ相手を言いなりにできるかというと、そうでもない。権力構成要素とは多元的であり、軍事力に一元化できるようなものではない。むしろ軍事力一辺倒となれば、他の政策にお金を使えない国となり、本当の有事のときに機能しない貧乏国家となってしまう。先生は「戦争よりも平和が大切である」という、何となく皆が経験や感覚だけで分かったつもりになっていることを、しっかりと理論と筋道を立てて、現実的・合理的に教えてくれた。
 国民(組合員)は、兵士になるために生まれてきたわけではない。だから会社側との関係において、まず「強制」(戦争=ストライキ)は避けたい。そのためには「脅迫」(軍事力=労働力)を振り翳すことも避けるべきで、「取引」(ルール決め=交渉)を成立させるために、「協力」(将来利益のための日常的な緊張緩和)を多用するのが望ましい。より高次元で、より高尚な外交手段を選ぶのである。
 そのために、第1段階では、労働組合の持つ「癒し」と「治し」の2つの性質のバランスが大切になる。どちらか片方だけが組合員の救済手段ではない。まずは組合員の声に耳を傾けるという「癒し」に真摯に取り組めば、それだけで組合員の不安や不満が和らぐこともある。その上で、組合員の抱える問題の根源に社内の「病」を見出した際には「治し」を検討することとなるが、第2段階では「治し」の「手術」に必要な損失(労使協議で会社からイエスの回答を引き出すための労苦)と、手術に成功した場合の収益(イエスの回答によって自分たちが得られる利得)のバランスが大切になる。収益が損失を相当程度上回る案件でないと、組合員は手術を面倒に感じて「治し」には協力しない。また、組合員同士の利害が対立したりもする。そこで再び「癒し」を試みる。そうやって労使間や労労間のパイプ役を肩代わりするのが執行部であり、執行部自身もヒトと組織の波に揉まれながら成長する。事実、管理職への昇格によって組合という「幹部候補生学校」を卒業した執行部経験者には、その後会社の屋台骨となっていく者が多い。これらは何も特別なことではない。労働組合が伝統的に継承してきた手法である。
 そう、組合の本業は「従来の活動の地道な継続」なのであり、前例踏襲だけでも立派な仕事と云えるのだ。伝統文化と同様で、放置したら自然消滅する環境の中「創成期の精神を守り抜く」のが使命。また、組合の本領発揮は「有事」のとき、つまり平社員の心が1つにならないほどの経営危機のときであり、その際には組合は会社に代わって無理にでも全社一丸となることを平社員へ求める労力を惜しまない。但し、そんな有事などは滅多になく、有事に備えた「訓練」が日頃の組合活動ということになる。あくまでも「訓練」なので、そこに有事をリアルに想定した切迫感は無く、目的も手段も形骸化しているように見られて当然なのだ。よって、常に「その組合活動は何のためにやるのか」が問われることとなる。
 組合役員の職責とは、「つらいのが当然」という苦において会社の仕事と同じだが、ここにさらに「有事でない限り目的が不明確」という苦が加わるから、会社以上に人生修養の場となる。特に「自己評価と他己評価との相違が想像以上である点」に自らの耐性を磨く人生修養があり、「権力(絶対価値)に対して議論(相対価値)という手段で抵抗する点」に自らの能力を磨く人生修養がある。
 
 私が組合役員を引き受けたのは「世のため人のため」というよりも「自分のため」だった。「自らの耐性と能力を磨く人生修養のため」とまでは言わないが、「自分のため」であるのは確かだった。正確に言うと「自分のために世や人のことも慮っていた」感じであり、まさに「情けは人の為ならず」の精神だった。
 尤も他人の痛みを自分のこととして受け止めるなんて出来るのだろうか。自分ですら救うのも難しいのに、他人を助けるなんて出来るのだろうか。正直に打ち明けると、私に直接的に関わりのないことは、究極的には全て私にとって他人事なのである。そのかわり私は「自分のことは自分でやる」と宣言する代償も払うつもりで居る。その上で、本当に困ったときは周囲に頭を深々と下げて助けを求める。求められた周囲も「自分のため」にやれると思える許容範囲で私を助けてくれれば、それでよいのではないか。
 いちいち「絆」とかいうスローガンを掲げないと人と人との繋がりを確かめられない社会のほうが不潔で不幸な臭いがする。弱い者同士がいくら連帯しても、ただ太いというだけで、弱いロープのままである。たとえ社会的な立場が弱くても、一人ひとりが孤独の内に人生を歩む覚悟が強ければ、その者たちによる連帯のロープの強さは太さに比例するようになる。軽々しく「絆」とかいう言葉を用いる連中は、人間関係の煩わしさというものを経験したことがないのだろうか。都合良く選べる友人としか付き合ったことがないではないか。近寄らなくても、突き放しても、それでも纏わりついて断ち切れない人間関係が世の中にはあって、「私たち、繋がっているね」なんて呑気なものではないのだ。「みんな仲良し」なんて豪語する社会はおかしい。「人は一人で生きることが出来ないこと」と「違う他人同士が全て同一になれるはずがないこと」の両方を矛盾なく承知しつつ、バラバラの人間が集まっている中、どこかに共通利益となる部分を見つけ、その点において連帯できれば足りると割り切った中での「仲良し」が労働組合というものなのだ。バラバラの人間同士でも「自分に利する」と思って結束していれば、それなりの権力構成要素になる。「利する」というのは、自分の利益や利得になるという意味もあるが、この人と「組み合う」と勉強になる、素直になれる、元気が出る、といったことも含めて、自分にとって「利する」ということである。
 
 海が外の世界、陸が内の世界だとする。私は浜辺に立ち、人の海を目の前に見ている。そして海に興味を抱き、少しずつ体を慣らしながら水の中に入っていく。いざ入ってみると、泳ぐのが気持ちいい。泳ぎ疲れたら、浜に戻って一人になる。人はこれを繰り返すことで自分の「居場所」なり「立ち位置」なり「自分の生きやすい範囲」を見つけるのだ。自分が本当は「人間嫌い」だったとか、意外にも「人間好き」だったとか、その両方の感情が激しいとか、そういうことも泳ぎながら自覚していく。自分の泳げる人間関係の領域・・・こればかりは実際に人の海に潜ってみて、その水の塩辛さや、あまり深入りすると溺れてしまう危険なんかも感じながら掴んでいくものなのだ。
 私には自慢できる取柄がこれといって無いが、中高生の頃から社交的ではあった。社交性の高い性格なり特技なり素質を生まれ持った人というのは、意識せずとも自然と友達が増殖してしまう。無論ありがたいことも多いが、泳いでばかりいると息苦しくなる。友達が欲しくても出来ない人にとっては羨ましく憎たらしく聞こえるかもしれないが、人間関係の海というのは、その広さにも、その深さにも、限界があるのだ。他人との付き合い方にあっては「別に友達は百人できなくてもいい。でもゼロだと困る。」という至極当然のことだけ理解していれば足りる。そんな価値観の私が、労働組合などという何百人、何千人を対象とした組織の活動を執行する側の役を演じることとなった背景には、やはり「自分に利する」魅力があったからだと振り返る。決して「人間関係の荒波を鎮めて、凪の海にする」といった献身的な動機ではない。
 「それでいいんだよ。」と先輩の夏川さんは言った。「だって、遊泳なんだぜ。競泳じゃないの。自分のために泳いでいるのに、泳ぐのがしんどくなってくるって、おかしいと思うのが普通の感覚だよ。極端な『仲良し』って、疲れるよ。仕事で関係が良好ならば、休日のゴルフまで一緒にプレーしなくてもいいじゃないか。信頼し合える仲間が2~3人もいれば、無理に多くの人と交流しなくてもいいじゃないか。それよりもさあ、自分のためにやっている活動なんだからさ、その活動を通じて『これが私という人間です』『これが私の生き方です』というのを組合員に誠実に見せたほうが、みんな味方になってくれると思うよ。バレるんだよ、背伸びと偽善は。」
 ・・・私の生き方かあ。確かに労働組合はその回答を探るための最高の鍛錬の場になっている。人は「生きるために無くてはならない場」(会社)では、その場所に拘束されるから、生き方の回答を見つけられない。「有っても無くてもよいくらいの場」(組合)でこそ、その回答を見つけやすい。生きるために不可欠な場所ばかりでは、会社生活は窮屈で仕方ない。実は「どうでもいい場所」って、すごく大切なのだ。だから、そんな場所が不足しないように努力するのだけど、「どうでもいい場所」であることには変わりないから、組合員のために作ったその場所が、その組合員から「不必要な場所」だとか平気で言われてしまう。この報われない徒労感を打破するには、「どうでもいい場所も必要なのだ」ということを組合員に示さなければならない。そのためには、まず私の考え方、ひいては私の生き方をある程度コトバで説明できるレベルにまで確立させないと、とてもじゃないが他人の納得感など得られるものではない。従って、組合活動とは「私はこう在りたい」という人生にとってなかなか手強い難問への回答を導き出すための最高の鍛錬の1つであり、私は組合活動を「自分のためにしている」と遠慮なく表明することにしたのだった。
 
 私のスタンスがどうであれ、労働組合には「いつでも泳ぎたくなったらどうぞ」という姿勢で受け入れてくれる海のような広さと深さがあった。かつ「いつでも仕事に疲れたらお入りください」といった風呂のような温かさがあった。これは組合が長続きしている秘訣なのかもしれない。もしも組合が、組織率が高くて、執行部を志す有望な人材が沢山いて、黙っていても全員が積極的に活動に参画するような「人気商売」だったとしたら、狭く、浅く、冷たくても、活動が成立してしまうから、思い上がりと勘違いが生じる。人気がないから、海のように広く、深く、風呂のように温かくなれるのだ。
 まあ、難しい話を抜きにしても、とりあえず夏川さんという風変りだが切れ者の先輩に邂逅しただけで、私の会社生活は価値あるものとなった。そういえば、あれは同期の結婚式のことだった。夏川さんの舌鋒鋭い「小咄」が止まらない・・・つづく

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