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【化学】修行して 新たな主 見つけたり

 読書感想文を綴った冊子の真ん中辺りからはらりと零れ落ちたプリント。それはどうやら一問一答の小テストの体裁で、問題のほうには活字が、解答のほうには私の直筆が、各々次のように刻されていた。
 「<問題>この高校で『苦手な科目』『役立たないと感じる科目』『面白くない科目』まで必死に勉強する理由は何か。2つ以上述べなさい。<解答>①大学に入って、会社に入って、少しでも高い収入を得て、生活を楽にするため。②たとえ苦手であったにせよ、必死に勉強しているうちに得意になるかもしれず、将来に役立つ部分に気付くかもしれないため。③将来の人生が面白くなかった場合の忍耐力を身に付けるため。」――是、本当に鬼教師が宿題で出したものである。勿論、「正解」も「妥当解」も「模範解答」も無く、採点基準は「自分が勉強する理由について突き詰めた結果を自分の言葉で的確に表現できているか」といったことのようだった。二年生を迎えて暫く経った頃だろうか、所謂“高校生活の中弛み”ってやつに自ら喝を入れさせるのが主目的だったのではなかろうか。
 敢えて4つ目の理由には踏み込まなかったが、苦手科目――私にとっては化学や数学――とは、坐禅や読経の如く“悟り”を開くための修行である。人生に意味を求めること自体から脱却する。だから「こんなに激しく勉強して、一体何の意味があるのだろうか」という疑問を抱く隙や暇を与えない。間髪入れずに次々と課題を与え続け、必死に勉強せざるを得ない状況に追い込む。脳細胞が活性化している十代のたった三年間だけでもこの訓練をしておくと、後々の人生で「生きていることが無意味に思える」時が到来したとしても、その無意味を克服できる人間になれる。これが高校時分に出した私の結論だ。
 
 「有機化合物は、主に動植物の成分、それにメタンガス、石油。『有機』って名前の通り、生物体によって生じるもの、人間がつくることは出来ないものとして定義されていたの。でも人工が可能になった。で、今では『炭素を骨組みとした化合物』を『有機』、炭素を含まないのを『無機』と呼んでるの。ちょっとアンタたち、ホント、ポカ~ンとしてるねえ。早くノート取りなさない。これくらいの基本は口でしか教えないわよ。手をたっぷり使って教えるのはここから。」――女王様の化学。私は落ちこぼれの奴隷だったから、「口でしか教えない」とか「手をたっぷり使って教える」とか、そんな科白にほんのりと興奮するばかりで、ちっとも知的欲求のほうは機能しなかった。そんな私に鞭を振り下ろすかの如く、女王様は本当に手をたっぷりと使い始める。
 「まず、CとHから成る『炭化水素』から。①アルカン②アルケン③アルキン④シクロアルカン⑤芳香族炭化水素。次に、CとHとOから成るもの。⑥アルコール⑦エーテル⑧アルデヒド⑨ケトン⑩カルボン酸⑪エステル⑫フェノール類。次にNが加わって、⑬ニトロ化合物(C・H・O・N)、⑭アミン(C・H・N)。続いて『高分子化合物』よ。⑮糖類(C・H・O)⑯アミノ酸とタンパク質(C・H・O・N)⑰合成高分子化合物。ハイ、ここまでが期末テストの範囲ね。」――まあ、17種類の名称を頭に叩き込めば、何とかなるだろう。日本史・世界史の丸暗記に比べればマシだ。私が相変わらずその程度の低次元に物事を受け止めていた矢先、白衣に身を包んだ女王様の細い指先がチョークを狂喜乱舞せしめ、黒板が一気にC・H・O・Nの配列で埋め尽くされる。それは「分子式」「構造式」「示性式」というものであり、期末テストで出題されるのは、この気持ち悪いジグソーパズルみたいな奴らのほうだったのだ。
 「示性式は、見ての通り、炭化水素基や官能基などの原子団の組み合わせね。構造式を簡略化した化学式ってこと。でも、構造式も実際の形を表しているわけじゃないの。シンプルに原子の結合を確認する式だから、横にCが長くなるように書く。但し、同じ分子式でも、異なる構造式を書けるものもある。繋がり方が違うってことね。例えばブタン。ブタンと2-メチルプロパンは互いに異性体。ねっ、こんな感じ。」――確かに黒板を眺めると両者の構造が異なる「感じ」は判るのだけれど、それ以前に私の脳細胞の構造が極度の消耗によって破壊されそうだった。それに、さっきから「官能基」だの「結合」だの「異性体」だの、先生の艶めかしい唇の動きが、「C」も「H」も未経験の童貞だった私の神経をいちいち愛撫した。
 「アルカンのH原子を1つ除いた残りがアルキル基。アルカンとアルキル基。あとはCの横並びの数によって決まる。1つでメタンとメチル基、2つでエタンとエチル基、3つでプロパンとプロピル基、4つでブタンとブチル基って、こんな感じ。例えば、Cが横に3つのプロパン構造で2番目の主軸からメチル基の枝が出ている場合、これを『2-メチルプロパン』って呼ぶの。アンタたち、ここまで分かったね。どんどん進めるわよ。この枝分かれが複数の場合、基の名称の前に、2つなら『ジ』、3つなら『トリ』、4つなら『テトラ』をそれぞれ付ける。じゃあ、これは?」――先生が黒板に書いた構造式。え~と、Cが横に6つで『ヘキサン』。2番目から2つ、3番目から1つ、メチル基の枝。え~と、だから結局メチル基は合わせて3つ。故に『トリ』。ならば…と私が一人二役の“禅問答”に苦悶している横で、さらりと千春さんが「2,2,3-トリメチルヘキサン」と私の耳元に囁いた。嗚呼!千春様!貴女までこの惨めな奴隷を執拗に愛撫しようというのですか!しっ、幸せです。さすがクラストップの秀才。すでに彼女のノートには余裕綽々でジグソーパズルが完成していた。
 その傍ら、私はまだアルカンの段階でこんな調子である。アルケンの二重結合では「1-ブテンと2-ブテンは区別する必要があるけど、異性体の無いプロペンをわざわざ1-プロペンって言わなくていいのよ」と尻をペンペンとブタれ、アルキンの三重結合では「臭素水は褐色で、付加反応できないものと混ぜても色が消えないから、不飽和結合の有無を調べるのに有効な薬品なの」と説明されたところで、私は彼女達に全く付加反応できなかった。そして、とうとう構造式に蜂の巣みたいな六角形が登場した瞬間、私はまるで夢精するかのように果てた。その後もしつこく「ベンゼンスルホン酸のスルホ基(SO₃H)は構造式の棒にSが接するように書いてね」とドSな授業は続いたが、もう私の棒からは潮が吹いていた。
 
 ・・・無論、総て残らず忘却の彼方ということも無い。大人になっても僅かに憶えていることはある。「ある物質から大きい分子量のものをつくる反応を重合と呼び、付加反応を繰り返しながら重合を行うことを付加重合と呼ぶ。その原料をモノマーと呼び、出来上がったものをポリマーと呼ぶ。」といった辺りは、生活に馴染みがあり、私はゴミ袋に触れる度「ポリエチレン」、ラップに触れる度「ポリ塩化ビニル」、セメダインに触れる度「ポリ酢酸ビニル」と呪文のように唱えつつ勉強した。「アルコールはアルキル基と水酸基の結合であり、Cが1つでメタノール、Cが2つでエタノール、Cが3つでプロパノール、Cが4つでブタノール。」「エタノールが酸化すれば、二日酔いの原因となるアセトアルデヒド。さらに酸化すれば酢酸。故に酒粕は漬物や高級飼料にも重宝するが食酢の原料にも用いられる。」「一方、メタノールは飲用不可の劇物だが、酸化すればホルムアルデヒド、さらに酸化すれば蟻酸となり、同じ飼料でも防腐剤や抗菌剤に用途がある。」といった辺りは、私が酒類を扱う会社に就職した影響によって取り戻した知識だ。そして中年となった私は、春奈という奇妙な“愛人”とエタノールを味わいつつ、彼女の生温かい漆黒のパンストに触れる度「付加重合で出来るナイロンやポリエステルは、加熱すると柔らかくなり、冷却すると硬くなるため、熱可塑性樹脂と呼ぶ。」といった辺りの授業を思い出していた。彼女のパンストは常に「ナイロン83%・ポリウレタン17%の無地」か「エロティックな蛇柄レースのポリエステル」のどちらか。私はその御御足に接吻し、その太腿に頬擦りし、樹脂を通して漏れてくるお花畑の如き薫りからデニール数を言い当て、彼女は私の正解にいつもご満悦のご様子であった。数年前に私の前から姿を消されてしまったけれど、春奈は文字通り私を“虜”にするHな原子に満ち満ちた女王様だった。
 ・・・でも、やはり私にとって化学とは、知識を習得する機会というより、坐禅や読経の如く“悟り”を開くための修行であった。人生に意味を求めること自体から脱却する。さすれば、後々の人生で「生きていることが無意味に思える」時が到来したとしても、その無意味を克服できる人間になれる。そう自己暗示しながら苦手科目に耐えていたのだが、今、48歳の私にはその成果が表れているだろうか。目の前に在る様々な「無意味」を果たして克服できているのだろうか。すると、目の前に居る別の女王様――化学の先生でも無く、クラストップの秀才でも無く、奇妙な愛人でも無い、生物体として現在の私が有している全ての官能を支配する新たなご主人様――が、高校を卒業して30年後の私を優しくかつ易しく“調教”する。
 
 「そんな難しい話じゃなくてもさあ、部活のほうが分かりやすいんじゃない?」そう例示してくれたのが春子さんだったのだ。「高校の部活って、物凄い厳しいじゃない。何で毎日こんなにキツイ練習をしているのかって考えなかった?」「考えた。」「まあ、目の前の目標は『試合に勝つため』なんだろうけど、例えば野球部でよ、全員が本気で甲子園を目指して、本気でプロ野球選手になりたいって思ってるわけじゃないよね。でも、気を抜いて適当に練習してるかっていうと、毎日グランドを何十周も走ったり、何百回も素振りしたりしているわけでしょ。かなり真剣よね。それって何のため?」「何のためって訊かれると答えづらいけど…そうだなあ、『何のため』っていうよりは…」「そう、これは寧ろ私のほうが教えてもらっていたのよ。中学生の時に。いつも真剣だったあなたから。『何のため』っていう目的よりは、まず『どんなことでも真剣にやる』っていう姿勢を学ぶ場なのかもってね。部活にしても授業にしても、学校って。」――私は絶句した。刹那にして、心身もろとも、時が15歳の春にまで巻き戻されてしまった。春子さんの瞳は、キラキラした中学の青春真っ只中のままだった。48歳のくせに!
 「私は高校に入ってからは、合唱部で只管コーラスに打ち込んでたんだ。あっ、それは卒業するときにあなたにも言ってたよね。けど、別に歌手になろうとしていたわけでもないし、音大じゃない普通の大学に行ったわ。でも、発声練習のおかげで体力も鍛えられたし、チームワークのおかげで精神的にも成長できたと思えるよ。今も大したことない人だけど、部活が無かったらもっとダメな大人になってたかも、フフフ。」―――こんなに清く澄み切った瞳を持つ人が居たなんて…48歳のくせに!今から遡ること33年前、今目の前に居る女に真剣だった私の瞳も捨てたもんじゃない。
 母が他界して数年後から徐々に、殊ここ五年くらいのうちには急激に「サラリーマンがつまらなくて仕方ない」という心理状態が悪化した。予想していた展開なのに、この心理状態を相変わらず打破できずにいる。が、こうして春子さんに再会したのは、私の現況を見るに見かねた神様からのメッセージかもしれない。「つまらなくても、せめて毎日の仕事は真剣に取り組む。この当たり前の事だけは今一度心掛けよう。」私は絶句の中で、言葉に出さずに、彼女にも自分にもそう誓った。だって、昔の私はつまらない授業にも真剣だったではないか。昔よりカッコ悪い生き方は、昔のオマエに対しても、昔のオマエが惚れていた春子さんに対しても、失礼だぞ。
 惰性で生きるのもその人の自由。惰性で生きている人ばっかりのこの街――「自分って何がやりたいんだろう」と葛藤した結果、「とりあえず渋谷に来れば何とかなるだろうし、ミュージシャンにもスタイリストにもネイルアーティストにも近づける気がする」ってな具合でフタを開けてみれば、家賃と学費が高いだけでバイトに明け暮れ、今は東京周辺に住んでいるというに過ぎず、ただ渋谷で遊ぶだけの人、取り立てて挫折した訳でも失敗した訳でもなく、まだ夢が始まってもいないのに「これも人生経験のうち」とか言って、何故か酸いも甘いも分かったような顔が平気で出来る人、そんな惰性的な人に満ちているのがこの街の特徴であり、まあ、惰性こそがこの街の魅力なのだけど――生き方がちっとも美しくない人ばっかりのこの街で、久しぶりに自分の惰性に喝を入れた。この私とて、貧乏から抜け出し、両親を看取り、墓を建て、自分の老後に窮しない程度の蓄えを持ち、人生の目標としていたものを一通り達成してしまった後になって、次なる目標というものを定められず、今はただ惰性で生きているだけの人種である。そんな出鱈目な私に、再び人生に真剣に向き合うための種が蒔かれたのであった。
 
 春子さん・・・今の私は再び貴女に真剣です。この姿勢は演技ではありません。こんな演技は出来ません。よく「迫真の演技」と謂いますけど、真に迫っているだけで、真には敵いません。嗚呼、この私の真心がどうか暫くは切ないままでありますように。この切なさを暫くは愉しみたいから。「いくつになっても恋する気持ちは大切」なんて、世間はそう容易く謂うけれど、独身中年男の恋心など情けなくみっともない。けど、こうして当事者となってみると、誰にどう思われようと構わぬ。きっと若い人はこの恋心に吐き気を催すことだろう。他ならぬ私自身が、若い頃「結婚適齢期を疾うに過ぎた男女の恋」を小綺麗に「オトナの恋」などと称することに違和感や抵抗感があった。流石にそんなことは百も承知している。分かっちゃいるけど、いま暫くの間は意気地無しで片想いの中学生のままで居させて下さい。
 中学生の頃に春子さんと同じくらい大好きだった中華屋は宇田川町から消えたけれど、あのちょっぴりスパイシーな炒飯のように、私のこの胸も青春の炎の上で粒立っています・・・つづく

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