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【給食】織姫と 彦星に咲く 徒桜

 「なあなあ、気分、盛り上がらへん?」「確かに、ちょっとしたワクワク感があるなあ。ゾクゾクが混じっているようなワクワク。」――二人は梅田の端っこの其のまた裏町まで足を運び、灼熱の晴天を真正面に受ける開放的な窓を設えている割には、妙にひんやりと薄暗く妖しい空気に満ちたカウンターに並んで腰掛けていた。「7月7日くらいはハルコに逢いたかったんとちゃう?」「おいおい、呼び捨てかよ。」「ええやんか、親友のカノジョなんやし。」「カノジョじゃない。それに七夕に逢おうなんて約束したら、1年に一度きりしか逢えなくなっちゃうかもしれないじゃないか。」「おやおや、まだお酒を一滴も飲んでらっしゃらないのに、えらいロマンチストでらっしゃるのねえ、オホホ。」――どうしてもこの店に入ってみたかったと言うサクラに連れられて来たのだったが、確かに、いくら磊落な彼女でも、女性一人では入り難い佇まいだった。
 分度器の如く正確な半円の虹をそのまま伏せたようなカウンター越し、カジノのディーラー宛ら中央のポジションに“雇われ店長”が立つ。が、店長に向かって車座になった11人の客には殆ど背を向けている。店長の背後にサーバーがあって、彼は注文のドリンクを作るのに忙し過ぎるのだ。そんな事情で、扉が開いて客が入って来ても、「いらっしゃいませ」の代わりに、振り向いて一瞥するのみ。テーブル席のほうは空いているが、案内しようともしない。一瞥というコトバはこの日のこの場面のためにあったのではないかと思う程、見事な「一瞥」だった。店長の他には、厨房に一人、ホールに一人、それぞれバイトが居るのだが、厨房は一人で料理を作っている訳だし、ホールは一人で注文を伺い、料理を運び、皿を片付ける。満席でもないのに新規客のあしらいも儘ならないのは、この決定的な人手不足のためである。冷静に考えてみれば、日本の店は隅々まで客にサービス過剰なのかもしれない。外国の大衆店なんて水もおしぼりも提供しないし、「食いたいモンが決まったらオレを呼んでくれ」って様相の商売だ。良し悪しの問題では無く、文化の違いである。
 取り立てて外国経験が豊富な訳でも無いくせに、店内を観察しながらそんな事を考えていると、あの「一瞥」にも頷けた。雇われ店長とバイト二人、此処で働く三人は皆、サービス過剰な文化圏外の面々のようだった。英語でも仏語でも無く、中国語でも無ければ、勿論日本語でも無い言語を操っている。濃厚な顔立ちで口髭を貯えた辺りはインドとも中近東とも取れる雰囲気だった。いや、私の高校時代のバイト先――あの美春さんに色々な人生の指南を受けていた渋谷の店――で、焼き台を担当していたマブちゃんにかなり近い顔立ちだから、バングラデシュ人かもしれない。ということは、彼らの会話はベンガル語か?う~ん、ミャンマー語は今でも幾つか憶えているが、ベンガル語は「ありがとう」すら忘れてしまった。それにしても、約30年前のバイト先でさえ、偶に威張り散らしに来る統括部長はどうでもいい存在だとして、店長と美春さんと私以外には日本人が居なかった。あとの従業員は、人数の多い順で、ミャンマー人、バングラデシュ人、中国人、韓国人によって構成されていた。あの頃「そのうち飲食店で働くのは全員外国人になるかもな」と冗談を飛ばしていたが、それが現実となった店に今、客として座っている。
 
 女性の二人客や三人客も入ってはくるものの、例の「一瞥」を食らって5秒も経つと、「店を間違えました」といった表情で逃げるように去っていく。別に昭和のもつ焼き屋みたいに「女性お断り」って訳では無いのだけれど、結果的に店内の全員が男性。それも年齢層こそ幅があるが、所帯を持っていないという共通点で合致していると思わしき男性で100%を占める。独身男というのは“ニオイ”で判る。七夕の休日に昼から裏町で酒を飲んでいるという事実を抜きにしても、隠し切れない孤独と惨めさと侘しさに、私と同類項の“ニオイ”を察してしまうのだ。一体サクラはこの店のどんなところを魅力に感じたというのだろうか。
 何か趣味の悪い罰ゲームを客にやらせているのではないかとツッコミたくなる程よく滑る油塗れの床――ここは違法カジノのような外見と相反し「中華屋」であった。汗塗れの男達の視線を屡々浴びながらも、彼女は何食わぬ顔で二つ折りのメニューを開く。メニューの右側をサクラが右手で持ち、左側を私が左手で支える。A3サイズに開かれたメニューの“屏風”の内側に、顔を寄せ合った二人だけの空間が出来上がる。この違法性さえ疑われる年の差カップルに、男達の視線は釘のような尖りを帯びてくる。斯様なシチュエーションに「どうだ、俺はこんなに若くて可愛いメスをモノにしてるんだぜ」といった一種の優越感を抱く男性は頗る多いのだが――というか、このしょうもない優越感はオスの悲しき性みたいなものなのだが――私にはそんな優越感を抱く余裕は微塵も無いどころか、兎に角「二人の間に違法性は一切ございません」というプラカードを掲げたい思いだった。
 メニューの掲載ゾーンは一応、麺類・飯物・炒物といった具合に分かれていた。ドリンクの中に「チウハイ」と書いてあるのは、きっと「酎ハイ」のことだろう。ほんの僅か店長が手隙となった間を狙って、2つ注文する。店長、返事もそこそこに我々に背を向ける。そうか、生ビール以外もこのサーバーから提供するのかぁ、こりゃあ、レモンスカッシュの出来損ないみたいな甘いだけのチューハイを飲まされるのだろうな、と観念する。ビールメーカーがビールとセット販売するチューハイって、どうしてあんなに料理との相性が考慮されていないのだろう。意図的なのだろうか。ビールを上手に醸造できる技術力を持ちながら、ウイスキーを上手に蒸留できる技術力を持ちながら、ジュースより酷いシロップしか開発できないのが不思議でならない。私の味覚とて大したものでは無いが、東京の裏町では当たり前に飲めるあの辛口の酎ハイが恋しい。しかし、私がささやかながら横柄な贅沢を望んでいるところに運ばれてきたのは、予想とは異なるドリンクだった。まず色が白濁していないし、レモンスライスとミントの葉が1枚ずつ添えられているではないか。一気に観念が期待へと転じ、一口目を流し込む。甘くない。液はシンプルに酒精と炭酸水だけのようだが、爽快ながらも余韻が深い。深いけれど、レモンもミントも一片だけだからモヒートとも口当たりが違うし、ベースもラムでは無く、確実に焼酎だ。だって「チウハイ」なのだから。
 こうなると餃子が欲しくなる。隣でサクラも同じことを考えているようだった。二人の指先がほぼ同時に「ギョーザー」の文字を指すと、彼女と私はクスクス笑って、残りのチウハイを飲み干す。先程まで男達の視線を浴びていた緊張感も吹っ飛んでしまったところに「ギョーザー」が運ばれる。皮は薄くて、パリッと焼かれた表とモチっと蒸された裏が半々。理想的な“黄金比”だ。さらに驚いたのは餡だ。宇都宮みたいに白菜を使っている訳でも無く、浜松みたいにキャベツを使っている訳でも無いのに、野菜の甘みが挽肉と溶け合っている。これは粗めに刻んだネギの仕業だろうか。実を言えば、私は積極的に餃子を注文することが稀で、つまみは焼売や叉焼のほうが好みだ。けれど、この餃子を食すとともに、この不愛想な店が繁盛している理由を理解した。餃子は一皿に5つ。二人で割り切れない3つ目は「お父さんはもう十分だよ」「ありがと!頂きま~す」といった感じのアイコンタクトを経て、サクラのものとなった。
 
 まあ、周囲の客もこの二人が父娘だって認識してくれたらラッキーだ。と思った矢先に、彼女が腕を組んできた。「私が呼び出しといて、タダでゴハンご馳走になるゆうんも主義とちゃうから、今日は私がアナタのカノジョ。」咄嗟に私は「サクラ!んもう、余計な事すんな!」と彼女の耳元で囁いた。「アラ、ハルコの腕やないとご不満?」「そうじゃなくって――まあ、それもそうだけど――これじゃあ、まるで俺が若いオンナにカネを払って腕組んでもらっているみたいじゃないか。」「イヤやなあ、ヘンなところに拘るんやね。やけど、私が悪いな。ごめん。そういうカネとカラダの関係はやめようって約束やったもんな。腕組むのもアカンかったな。」「まあまあ、そこまで大袈裟に反省されると、俺も弱いよ。」と、些細な事に腹を立てた我が身のプライドを煩わしいと嘆くも、すぐさま彼女はすでに思考回路を切り替えている。「ほな、言い直すわ。今日は七夕やし、アナタっていうヘンテコな友達がたまさか男性なもんやから、ちょっと恋人気分を味わってみたくなった。せやから、友達の誼で腕を組ませてな。それと、もう昼からここまで飲んでしもうたら、二次会行くで。二次会は私の奢りってことで、それで引き分け。」と言い放った途端、彼女は私の右腕を今度は両腕でギュッと抱き込んだ。私は弱い男である。あっさり彼女の両腕を受け入れた。「アラ、腕組んでも、今度は文句を言わへんの?」「もう私奴は白旗でござんす。」
 二次会に胃袋のスペースを残しておくため、「チアハン」は1つだけを頼み、二人で取り分けることとした。「チャーハンのことだろうか」「チャーハンにしても珍しいで。メニューにはヤキメシって書くんが普通やし。」「アレ、気になってたんだけど、炒飯と焼飯って違うの?関東と関西の呼び方の違いだけでしょ?でも、何となく食感とか味わいも違う気がするんだよなあ。並べて比較したことが無いから、気のせいだろうけど。」「ちゃうちゃう、気のせいちゃうで。卵を先に炒めるのがチャーハン、卵を後に入れるのがヤキメシやねん。」「ええっ?サクラ、すげえな!」――自信に満ち溢れた女子大生と、それに感服している桑年独身男の前に「チアハン」が運ばれる。それは「炒飯」でも「焼飯」でも無い何か別物であった。「炒飯に入ってる玉葱って、こんなにゴロゴロしとったっけ?」「確かに微塵切りでは無いよなあ、これ。」「ピーマン入っとるけど、あんまり苦(にが)無いなァ。」「うん、でも何か、1つひとつ、全部旨いなあ。」ゴハンはパラパラとふんわりの絶妙なバランスを保ち、おそらくカレー粉がまぶしてある。スタンダードな中華屋には決して存しないスパイシーな風味が口中に広がり、日本国内の東西どころか洋の東西すら問わない独特の世界観に誘われる。
 
 サッと会計を済ませて、来たる次の客に席を譲りたいところだったが、前の男が「ポイントカードに押してもらうスタンプの数が足りない」とか何とかでクレームをつけ始め、レジが滞った。そのクレームが長いこと。こんな店でポイントカードを発行するオーナーもがめついが、たかだか家計簿の年間収支で500円玉1枚の差にさえ寄与しないであろうポイントに命を賭すような形相の客もがめつい。雇われ店長は「ニホンゴ、ワカラヘン」を日本語で繰り返すばかりだった。
 やっとの思いで店を発ち、再び灼熱の晴天に肌を曝した二人は、素早く地下街へと退避する。外を歩いたのはたった2~3分だけ。なのに、冷房の効いた地下街の中で汗が後から追いかけてくる。すると、またまた彼女はわざわざ汗ばんだ私の腕をわざと捕まえる。「これでやっと分かった?私くらい強引に攻めなさいよ、どんどん突っ走りなさいよ、ハルコさんに!んもう、実践で教えなあかんのやから、世話焼けるわあ。」――これにはチウハイやギョーザーやチアハン以上の衝撃を受けた。サクラは私に恋の手解きを試みていたのだった。彼女の親切心に虚偽や詐欺が介在していないことくらい、2年になる付き合いと時折見せる真剣な表情で判る。余計なお世話だ。けれど、奇天烈で不器用な親切に感謝し、汗に混じって若干の泪が視界を遮る。お初天神へと向かう道すがら、私はこの貴重な友達を大切にすべきと知った。風俗嬢のサクラは謂わば現代の「遊女」、中堅サラリーマンの私は謂わば現代の「手代」。にもかかわらず、当の“お初”が「春子さんと曽根崎で心中するくらいの覚悟を持ちなさいよ」と迫ってくるようなストーリー展開が可笑しくて、暫しの私の感涙はやがて笑泣へと変わった。春子さんとサクラと私の三人で操る文楽人形は、この後どんな生き様を見せるのだろうか。
 でもよぉ、サクラちゃん、お若え貴女にゃ分からねェかもしれねェけど、そいつはオンナの特権なんでぃ。オンナがオトコを強引に攻めたって無罪だけどよぉ、オトコがオンナを強引に攻めたら、今の世の中、相手の気持ちの匙加減で有罪になっちまうんでぃ・・・と心中で呟くが、まあサクラにしてみると、そういう世の中が「つまらん」のかもしれない。
 
 メニューは中華だが、味は何処にも見当たらないエスニック。ドリンクも料理も上等だが、内装や接客は下等。一体あの店の面々はいずこの国の人なのか。「私、聞いたわ。店長の出身はギリシャなんやて。他の二人は知らんけど。えっ?アナタがトイレに行ってる間に聞いてん。ギリシャって、トルコとイタリアの間やんな。コトバはギリシャ語?私、理系やから分っからへん。」――これにもチウハイやギョーザーやチアハン以上の衝撃を受けた。ギリシャ語かあ。「エフハリスト・ポリ(ありがとうございます)」しか私も知らない。それも、畏れ多くも秋篠宮家の次女・佳子さまのギリシャ公式ご訪問のニュースで憶えただけのこと。普段はNHKにチャンネルを固定している私が、民放三社の皇室情報番組だけは毎週欠かさず視聴している習慣によるものだ。
 まだ外交関係樹立百周年を迎える前、高校生だった頃のほうが、もう少し私はギリシャについて知っていた気がする・・・つづく

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