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「リアルにお金持ち」と「ある意味お金持ち」の生活の違いについて。

「生活が苦しい」事からの脱却に「お金持ちになる」という方法で解決しようと思っているあなたへ・・・・

今回は、人生はあらゆる「勘違い」に気づくと前に進みやすいというお話で

先回の記事「貴族の方達の生活を見て思ったこと」が

今回の記事の「プロローグ」となっております。

本題は今回の記事なので、

こちらですが↓興味がある方だけ目を通してみて下さいませ。

最初に「定義」として

以前にも書いた「勘違い」についてもう一度書いておきますね。

「自分の事は、自分が一番知っている」

というのは「半分」合っていて「半分」違っています。

例えば、「自称:口が堅い」という方がいらして、大抵の周りの噂話はその方からありがたく聞かせて頂いていて、本人は「本気」で自分は「口が堅い」と思っておられるのですが、周りの評判は

「あの人は、口が軽いからなぁ・・・」というのが定評である・・・・

というような方って、どなたかご存知ありませんか?

そんな「自己の自己認識」と「他者から見た認識」が違っているという事が

気が付いていないだけで「自分自身にもある」

という事を「理解されているでしょうか?」

そして、その「自分が理解出来ていない自分自身」の側の「存在」を意識して「自分自身の考えや思い」を「本当かな?」と疑ってかかれるか?はたまた「外からの違う認識を受け入れられるか?」どうかで、

生きていく上で

「充実して生きていけているか否か」

が変わってくるのだと思います。

「今の生活が楽しくない、つらい」

という方の多くは、この

「自分の事は、自分が一番知っている」

を「100%」だと「勘違いしていること」

から引き起こされているのではないかと、僕は考えています。

その「勘違い」の1つに「幸せの定義」というのがあります。

「幸せの定義」の「勘違い」の可能性とは?

例えば、

「お金持ちが羨ましい」

などでしょうか。

「お金が足りない」だから→「お金持ちになる」結果→「幸せ」

「だからお金持ちが羨ましい」


その貴方が思う「羨ましいと思う生活」って

本当に「貴方が求めている幸せ」なのでしょうか?

いいかえれば

それを達成して本当に貴方は「幸せを感じれる」のだろうか?

「生活が苦しい」事からの脱却に「お金持ちになる」という方法で解決しようと思っているあなたへ

その「努力と時間」をかける前に、

試しに「ある意味お金持ち」になる努力してみませんか? 

なぜなら、

もしかしたら、貴方は

「単純に沢山のお金を持っている生活」と

「貴方が思い描いている生活」とが一致していると。

そもそも「勘違い」しているかもしれないからです


もしかしたら、貴方は「お金持ちの生活」ではなく

「お金に余裕のある生活」

を求めているだけかもしれません。

この「お金持ちの生活」と「お金に余裕のある生活」

は「似て非なる生活」です

「似て非なる生活」とは?

単純に沢山のお金を持っている「お金持ちの生活」を求めるならば、言葉通り沢山お金を稼がないといけませんが、その方向に人生を シフトさせるのは難しいだけでなく、例えシフトできたとしても、

大きく「付き合う人達を変える必要がある」場合もありますし、

付き合う人が裕福なら自ずと「交際の出費」も増えてゆくでしょう。

大きい家・良い車に住めばその分「維持費」もかかります、

ですから、必ず毎月用意しないといけない額が増えます

そして大きな「家や部屋数の多いアパート」は「掃除」も大変になります

本当に貴方は

そういった「生活」を

求めているのでしょうか?

良く考えてみて下さい、

「今の生活の感じ」の延長で「余裕」が欲しいだけ

なのではないですか?


過去を振り返ってみて下さい、

貴方は「いつ」の頃から「生活」が苦しく、つまらなくなりましたか?

「幸せになれるはずのお金」を、働いて手に入れて生活を始めてからなのではありませんか?


「生活」にどれだけ「余裕があるか」が「カギ」

その「生活の余裕」こそが「ある意味お金持ち」の生活です。

「幸せになりたいからお金持ちいなりたい」と思っている方の大半の方は、

「幸せ」という物を「勘違い」している可能性があるかもしれません。

「幸せ」は「感じる物」であるのに「成る物」であるという「勘違い」と、

もしかしたら「点で物事を捉えている」うえに「1つの角度・方向」からしか物事を捉えられていないかもしれません。

例えば、僕のリアルな話ですが。

「僕は、今無職です(職を失いました)」

これは「幸せ」だと思いますか?「不幸せ」だと思いますか?

この問題に、仮に「貴方が答えられる答えがある」とするならば、

答えは:「本人にしか判らない」

という答えになるでしょう。

この場合、「僕は、今無職です(職を失いました)」の情報だけだと、

夢の職をイキナリ「リストラ」されたかもしれなければ、逆に「過労死寸前」や「ひどいパワハラ」や「倫理的にやりたくない仕事を押し付けられていた」仕事からの「開放」という「良い可能性」だってあります。

もし仮に、質問に直ぐに「幸せ・不幸せ」のどちらか「1つしか」思い浮かばなかった方は恐らく「自分にとって」と置き換えられて考えられたんだと思われますが、

その場合、もしかしたら貴方に起こっている全ての事柄に対して「点だけで物事を捉えている」可能性や「1つの角度・方向」からしか物事を捉えられていないかもしれません。

もったいない・・・

例えば「仕事がなくなった=不幸だ」としか思い浮かばなかった方には、恐らく「24時間自由に使える!!」「新しいことを始められる!!」「旅に出よう!!」「趣味に没頭出来る!!」

など、「幸せ」を感じれる人も多いという事が想像出来なかったのだと思われますし、もしかしたらこれを読んでも、

「でも、仕事が無くてお金がないと何も出来ないじゃないか」

という考えにいたったりされたかもしれません。

もし、そう思われたなら、恐らく今の「生活スタイル」が

「常に収入ありき、かつ収入の大半を必ず使う生活」を構築されているからかもしれません、

皆さんが「自分と同じ状況や感覚」とは、限りません。

生活スタイル(お金との距離感)で

どんなに収入が低くても「常に余裕のある生活」を送ることも出来ます。

たった月6万円程度の収入で、年間40万円貯金しながら好きな事に没頭する毎日を過ごしていた僕が「リアルな実例」です

「余裕」とは「金額」ではなく「支出入の割合」で生じる

「実際のお金の余裕」と、それに伴う「気持ちの余裕」です。

その「常に余裕のある生活」へのリアルな移行の方法は、一言で言うなら

「収入半分生活」への移行

です。

「収入半分生活」への移行とは、常に「本当に最低限度自分の幸せに必要なもの」という物を見極めて、更に「常に収入の半分で生活を構築する」

という

富める時も貧しい時も、いついかなる時でも「収入半分生活」の構築への移行です。

この「収入半分生活」へは、家賃がかからない実家暮らしとかなら短くて「今から直ぐに」実行可能ですし、長くても

「1~2年かけて徐々に」移行して行けば

「常に余裕のある生活」を送ることが出来て、更に

「収入半分生活で生きた分」だけ

同じ生活を続けても

「無収入で生きられる事」

になります。

お金は「あるから使ってる」だけで「無ければ使わない物・事」に浪費してしまっているだけという事に、お気づきでしょうか?

毎回買う前に自分に「聞いてみて下さい」

その「浪費・お買い物」は、たとえ所持金が無くても

どうにか工面してまで払う価値のある浪費とお買い物ですか?

本当にお金払ってまで必要ですか?

本当にそれでないといけませんか?

今あるもので代用は利きませんか?

本当に使いますか?

などなどです。


「幼稚園や小中高校時代」は、どうでしたか?

お金など使ってなくても、幸せでありませんでしたか?

勿論確かに「大人ならではの楽しみ」というのがあります。

でも、それも収入が低い方こそ「収入の半分以内」でやりくりする思考と実行を覚えておけば、常に「余裕のある生活」を送れます。

絶対に止めた方がいいのは「リボ払い」も含めた「借金やローン」の類

「どうしても、どうしても、どうしても、どしても、どうしても欲しかったら~」

では、まだ駄目で、その気持ちに「絶対に必要(理由あり)・替えが利かない」というような「一定の条件」が重なった時に、

しかも「出来るだけ負担の無い程度に収めておく事」が大切です

更に、他で先に「借金やローン」などが既にある場合「それを終えてからにする」などの自制心も必要になってきます。


「本当に本当に必要ですかそれ?もっと安く「貴方の真の要求」に答えられる選択肢はありませんか?後の維持費や、先々手放す時のことはお考えですか?」

もしかして、まさかそれを手に入れる事が、

自分が「人から幸せだと思われたい・見られたい」

という立ち位置からの選択ではないですか?

ここまで読んで、

「いやだっ!!そんな窮屈な生活したくない!!欲しいもの買う!!」

と思った貴方、勿論良くわかります。

これは、どっち(何)に窮屈さを感じるかの問題ですから

「欲しい物を買えない窮屈さ」と「毎月のローンを確実に用意しないといけない窮屈さ」のどっちが嫌かという事です。

念を押してもう一度「勘違いしていませんか?」

「収入が多いから、お金を沢山持っている」から「幸せ」や「余裕」が生まれるのではありません、「幸せ」や「余裕」はいついかなる時も

「本人の考え方と行動しだいで」得られる感情と実態なのです。

その為には、本当に「自分の人生に、これがあれば幸せ」という物をや事柄を「人に認められたくて・幸せそうに思われたくて」などからの選択ではなく、本当に自分の幸せにとって「絶対に必要」な物事を「見極められなければ」なりません、

その、自分の人生にとって「必要不可欠」兼「必要最小限」の「厳選の物」だけを、更に「常に収入の半分内」で、決断を下してお金と時間を使っていれば

「収入が幾ら」とかに関係なく、

常に「余裕のある幸せな生活」が送れます。勿論

「僕なら、切り詰めるんじゃなくて、収入を上げる方向で考える」

という方もいらっしゃると思います。

その場合も、良く自分と向き合って考えてみて下さい、

その「収入を上げる為」には、恐らく選択肢として

「職を変える・スキルを身につける・副業する・フリーランスの方など特に、更に取引先を増やす」などでしょうか、

これって、自分に問うてみて下さい

「本当にリアルに実行できそうですか?」


本当に欲しいのは「沢山の仕事とお金」ではなく

「今の生活の感じで、少し余裕が欲しいだけ」

なんじゃないですか?


効率よく「お金を稼ぐ」というのは

「才能・向き不向き」があります。

沢山ありますが、小中高と通っていても身に付かないものの中に

商業高校なら別かもしれませんが「商売の仕方」というのがります、

学校の先生というのは、公立校なら副業も出来ないですし、私立高校でも大抵の先生は社長経験・起業経験・経営経験などの無い「商売素人」でありお金は「100%受身」の「商売音痴」な方々です。

ですから、小中高と通って従順にカリキュラムをこなすというのは、

「よい従業員になれる」

というのが、今の「日本の学校の現状」です。

ですから、習っていないものは「別個に習得」するか「元からの才能を生かす」かして「トライする」しかありません。

ですから、「余裕のある生活」を求めるならば、

勿論、どちらも目指すなら「努力と実行」が必要ですので、

そこで自分の「向き不向き」を知っておく事は大切です。

「お金をより稼いで余裕の生活」を目指す方が向いているのか

「お金をより使わないで余裕の生活」を目指す方が向いているのか

あなたにとって

「本当に欲しい結果」が伴い易い「実行し易い」のは、

どっちの「努力と実行」でしょうか?

いいかえれば、「収入を増やす努力」と「支出と生活を見直す」方の

「どっちに向いているか?」

を考えて行動した方が「効率がいい」という事ですが、

「手っ取り早い」という意味でもありますし、

「収入半分生活の構築」は、基本的に自分自身の生活を見直す事が主ですので、「転職」したり「起業」したりするなとど違って

勿論「収支を共にしているご家族」がいらっしゃる場合は、相互の話し合いなどが必要でしょうが、

お一人なら、大きく「他者を巻き込まない」で始める事が出来る事ですので、特におススメです。

「収入半分生活への移行」での注意点

間違ってはいけないポイントは「収入半分生活への移行」は、

基本的な考え方は「無理して我慢して様々なものを削る作業」ではなく

本当に必要なものを残して「無駄なものを減らしていく」という

考えの下に実行してゆく事が大切です。

僕がおススメは、急いで支出を減らしたい場合はルーティーン化している買い物などを、一気に一番安い物に変えてみて満足いかなければ、そこからレベルや金額を上げて満足行く変更点を探ってゆく方法と、少しゆっくりでいい場合は、逆にすこしづつ金額やレベルを下げて行くという方法があります。

道は「1つだけ」ではありません

あらゆる「目標達成」にはそれぞれ「ひとつの道」ではなく「様々な方法」があります。

大切なのは「目的の本質」がはっきりしていることです

「目的」は何か?

その問いに出てきた答えに更に「なぜそが必要か?本当にそれか?」などとどんどん問いを続けて自分の要求の根っこにあたる「本質」や「根本的な問題点」が見えたら

「その本質や問題点を機軸に達成目標」を決めなければなりません、

でないといつまでたっても、たとえ収入が増えたとしてもつい家賃の高い所に引っ越したり、車を買ったりしてその分毎月に必要な支出を増やしたりして逆に生活が苦しくなって

「なんかちがう。これを、こんな生活を求めてたわけではなかった」

と感じていく結果を伴う事になりかねません。

ここで、前回長々と書いた「貴族の人達の生活」から感じた自分の幸せとは、が重要になってきます。

僕にとって「幸せに成る」とは

当たり前の話ですが、人によって何に幸せを感じるかは十人十色です

僕の場合、「自分の能力で時間をお金に変える事」に自分を注ぐのではなく

お金は最低限度必要なものにしか使わず、限られた消えて行くだけの人生という時間を自由に使って、自分のやりたい事だけに「情熱を注ぐ」方の幸せを感じながら生きるということです。

この先は「大きな余談」です。

今は、一日一食「パンとチーズとトマトとキュウリ」だけを2ヶ月食べて生活していますし、家主さんの使用人の方が、畑仕事など忙しい仕事の合間にたまにその方のタイミングで冷蔵庫を見て頂いて補充して頂いている身なので、どれかがないのは当たり前で、時にはどれもなくてそんな時は「よし、強制ダイエットでもするかぁ~!!」と1~2日食べないで、ただひたすらにやりたい事に集中するという生活ですが、

そんな愛くるしい生活を僕はとても愛おしく「幸せ」だと感じている毎日なのですが、そんな風に

「幸せ」とは「感じるもの」であると同時に

「他者からの評価で決まる物」ではありません。

食べれない日に、あえて「強制ダイエット」と表して多目に運動したりしているうちに、もうずっと何年も小さな関取さんのような「ぽっこりおなか」だったのが、

腹筋1回もしてないのに、20年ぶりに「腹筋」が「6つ」に割れました!!

楽器を吹くという行動は、実はものすごく腹筋使ってるんですよね。


そして、そんなある日、いきなり僕の元に「豪華な食事」が届けられました

家主さんに聞くと

「これからは、実家に頼んで毎週2回くらい美味しい食事をとどけますから!」とのこと、

この提案はこの場所に来たときに既に受けていて、いったんお断りした案件なのですが、僕が「2ヶ月同じものしか食べてなくて、しかもほとんど食べていない」事をずっと心配してくださっていて、僕抜きでそういう事に決まったのだそうな、

まだ作りたての「ほかほかのご飯」は、

「やはり、美味しい!!焼きたてのカリカリの鳥皮に包まれた腿肉、溶けるように柔らかい煮込み牛、などなど手作りの数々のエジプトのローカルフードは最高に美味しかった!!」

ですが、僕は美味しいものは我慢できずにいくらでも食べれてしまうし「そんな自分を止められない」というのを自分自身で知っているのと、沢山美味しい物を食べると結局「眠くなって集中できなくなって、実際昼寝してしまう」などの不制御な状態に陥っしまう自分を嫌というほど知っているので

昔から自分には

「止められない事を止める努力」は、絶対続かなくて、ならば

「手に届く範囲に置かない」という努力

の方が、僕には断然効果があるので

「本当に美味しい最高の食事の提供」は、本当にありがたくて最高に美味しかったけれど、今のやりたい事に集中しつづける生活には「不必要な贅沢」であると判断して、あえて

僕の方から再度お断りさせていただきました。

「ハマームマフシー」という鳩のお腹にチャーハンを詰めたような伝統的な「エジプトの鳩料理」があるのですが、エジプシャンが食べると骨まで全部食べきっちゃうのですが、僕が食べると大分骨の箇所とかを省いて食べるので、どうしても残りかすが沢山出ていたのですが、この「エジプトの鳩料理」は「子供の鳩」しか使用して食べないのですが、鳩小屋の管理をするようになって、生まれた初日から毎日同じ時間に写真を撮って成長の記録を残していた子供鳩が、生まれて初めて羽ばたきながら高い所から飛び降りたのを見て撮影っしたその日に、家主さんに「あっさり回収されていく」のを目の当たりにしていたので、

その子と、ご実家から届いた鳩料理の鳩がダブって見えて、初めて、エジプシャンのように、全く骨をも残さずありがたく全てを食べきらせて頂きました。ありがたいお話です。本当に美味しかった。

お金と食事は、僕にとっては同じで「もっともっと食べたり。使ったり」とブレーキが利かなくなりがちです。

そんな風に「良し悪し」の「悪い方」が勝ってしまう事を自分自身で知っているので、出来る限り「手元に置かない・近づけない事」にしています。

お金がもっと欲しい方と、食事が止められない方に「超おススメ」です。

「家の中に全くおかない作戦」です。「あるから使う、あるから食べる」のです、最後に動画を張ってありますが、この「あるから使う、あるから食べる」の原理は「SNS」における「誹謗中傷」ともリンクします。

もっと簡単な手順で言うと、食材を買わない補充しないで、家にあるものから処分して行く、他の買い物も同様

「家にあるものでどうにかやり過ごす」

という所からのスタートとかも良いのではないでしょうか。


そして、他には自分自身を自分で「本気でだます」という作戦があります。

自分で自分を「本気でだます」という作戦

仮にお金はあったとしても「本当に無いもの」として絶対にカウントしない。というものです。

このお金に関しては「もしものときらない」のも重要です。

まずは手っ取り早く「財布にお金を入れない事」

というのを実践してみるのも良いでしょう。

お金や食事もそうですが、人間は本当に必要なのに本当に無いなら「使わないで済ませる方法」を必然的に編み出します。

他のもの大抵そうです。

「無ければ知恵が働きます」

勿論、楽(上手)に稼げる才能の或る方は、どうぞどうぞ。お金は「あるに越したことが無い」ものです。

でも、その場合でも自分に本当に必要なものだけを厳選した「収入半分生活」を早い段階で構築しておけば、

20歳~50歳まで30年間働けば50歳から

「同じ生活を働かず80歳まで続けられます」し、

グルジアやエジプトのように、生活するのにお金がかからない国に移動するなら、もっと早い段階で移動して「働かずに生活」もできますし。

20歳~30歳まで働いた場合、その後10年間無職で同じクオリティーで生活出来るので、最初の数年で新しい方向転換の勉強や準備に費やす事も出来ます。

そんな「みみっちい生活はいやだ!!」

という方は、どうぞどうぞ沢山働いて下さいませ。

僕のように毎日同じものを食べても「本当に美味しい幸せだ」と感じる人もいれば、無理という方もいらっしゃるのですから。

人それぞれ「感じる幸福」は違いますし「向き不向き」がありますから。選択は慎重かつ大胆に!!

ポイントは

「出来るだけ行動に「我慢・無理」を入れない選択を選ぶ事」です。

そして「自分の選択」を「本気で自分で思うものか?」「人に幸せと思われたい・見られたい」や「不幸せだと見られたくない」という「偽物の幸せ」かどうかだけは、判断できるようになっていると「時間とお金」の無駄遣い、要は「人生の無駄遣い」が減ると思います。

買い物の無駄は「必要かも・欲しいかも・あったらいいな」の部類のものは「まず買わない」事から始めればいいと思います。

本当の必要性を感じたら「手に入れる」としても「買う選択肢」の前に、実家が近ければ「使ってないものがないか聴いてみる」とか、友達や知り合いが「必要だ」といっていて自分には必要が無いものと交換するとか、買う前に手に入れることが出来る「選択肢」をフルに使ってみる事も大切です、

そして勿論余分には買わない。

「いざという時品」というのは「出番はほとんどない」うえに使ったとしても「回数も少ない」です。「防災用品」などは勿論必要でしょうが、日常的に好んで食べるもののルーティーンの中に「日持ちがする物」というのを入れておいてそれを「防災備蓄用」に多めにいつも置いておくというのは「無駄」にならないように思います。

大抵は「実家になんでも余分なものがごろごろある」

というような気がしてなりません。


僕はちなみに僕が家主さんに用意してもらった食器は、コップ1つ、おさら1つ、スープ皿1、果物ナイフ1つ、スプーン1つ、それを全て置いておけて持ち運び出来るトレー1つ、だけです。

コーヒーが好きだけど、エジプトはコーヒーが高いので、居候の僕は飲み物は安くて美味しい「紅茶」で十分幸せ、僕には「砂糖・ミルク」は必要無しです。

コーヒーを仮に用意して頂いても、食事と同様「居候の身」の場合「ありがたい」というより「申し訳ない」の気持ちの方が強く出て

正直全然「美味しくいただけない」

嗜好品は「自分の稼いだお金」で自分で買ってこそ「美味しく頂ける・楽しめる」ものですね。

「おごってもらって心から嬉しく美味しく食べられる」

というのは、もしかしたらある意味「若さの証拠・特権」なのかもしれませんね。


最後のもう一度まとめておきます。

再度書きますが「幸せ・不幸せ」とは「成る物」でなはく「感じる物」であって、その為には「物事を多角的に見たり捕らえたり出来るようになっている事」が、とても重要です。

言い換えれば「全ての物事」が「良し悪し」が「表裏一体」になっていて、

「不幸せと感じている方」は、その「表裏一体」の「良し悪し」の「悪い方」もしくは「目的や思ったのと違った」という「違った=悪い」という側面だけを捉えて、しかも「それしか思いつかない」という状態なのです。

現時点で「幸せを感じれていない方」は、「幸せ」というものを「他との比較・相対性」から判断されている可能性と、自分自身で判断基準として採用している「幸せの定義」自体が「自分自身で気が付いたもの」ではなく「幸せとはこういうものだ」という「外側からの情報」によって「貴方にとって偽物の幸せの定義」からの判断になっている事に、「気が付いていない・勘違いしている状態」である可能性が高いということです。

自分の「幸せの定義」を決めるのも「自分自身」で、

勿論「自分自身」の「幸せ」を判断するのも、

出来るのは「自分自身」だけです。


現時点で「幸せを感じれていない」ということは

「今までのあらゆる人生の選択で、本当に幸せを感じる物を選択してこなかった結果」

です、それは言い換えれば「今までのあらゆる人生の選択で、自分にとって本当の幸せだと「勘違い」している物を選んできた」

ということです。

勿論、納得いかない方も多くいらっしゃるかもしれません。例えば

「でも、志望校に合格しなかったから不幸だ」

などでしょうか、

でも、そこが貴方の「幸せのゴール」なのでしょうか?

高校が違うというのは、別れ道で「右」に行ったのと「左」に行ったの違いのようなものです。

その曲がった先で「幸せ」を感じれるか感じれないかは「自分自身の問題」です。サッカーの試合でシュートが一本それただけの話です。

世に行われているサッカーの試合で打たれたシュートって打った数と入った数ってどっちが多かったでしたっけ?

それに、貴方の「人生」というなの「サッカーの試合」は、まだ続いていますよね?さあて、そろそろゴールでも狙いますかぁ~!!


今回は以上です。

長文を最後まで読んでいただいてありがとうございました。

最後に後書きとして、

なんだか重複箇所が多かったように思いますが、それぞれの文章に少しづつ違うニュアンスの意味合いがあったりなどで、うまく削られませんでした。読み辛かったと思われます、ごめんなさいね 笑

本当は、別記事で「収入半分生活の構築」を書く予定でしたが、書いている流れで今回かなり詳しく書きました。

「収入半分生活の構築」は

本当に日本に大切なアイデアだと思っていますので、また書きます。

僕は、日本で大学を出てからドイツに渡って12年、その後エジプトに8年でブルガリアに2年とすみましたが、エジプトとブルガリアは日本と違って皆さんの一月5万円(エジプトはもっと低いです1万円稼いで無い人も多いでしょう)も稼いでない人達が多く、ほとんどの一般の方は、日本人と違って日常の些細な問題が起きた時に「まず、お金を使って解決する」という選択支は最初に出てきません。大抵の事は自分で何とかしようとしますし、何とかします。それと、自分で作れるものはあらゆる物を自分で作っちゃいます。いつまでも物を捨てずに、そのガラクタを再利用します。ですから、それぞれの一人で生きていく能力がものすごく高くそして、とてもやさしくて助け合いながら生きていらっしゃいます。そんなエジプシャンの方々に助けてもらいながら、僕は食事つきの居候として暮らさせていただいております。

特に最近思うのは日本との大きな違いは「ミスに寛容である」という事でしょうか、僕がエジプトに初めて来た年に、先に来ていた外国人のミュージシャンの方から「エジプトにはグッドとベリーグットしかないんだよ」という言葉をきいて最初は意味がわからなかったのですが、要はミスしても何が起きても「バッド」が無くてまずは「グット」で、それより良かったら「ベリーグット」なのです。

この世界は、体験してみないと判らないと思うのですが、日本的なスタンスで物事に臨むと、恐らく衝撃を受けるでしょう。

僕もずっと日本的な「ストイックに物事を突き詰めていき、しかも周りにも同じクオリティーを求める」というスタンスで生活していたので、随分ともめました。

今は、仕事を失って駄目駄目な僕を、そんな事は微塵にも気にしないで沢山のエジプシャンに助けられながら生きさせて頂いていて思うのですが、

昨今の日本のギスギスした環境で追い詰められて行き場の無く、自ら命を立つような方々が多い日本はやはり「本当に豊かな良い国」だといえるのだろうか?些細なミスをたたかれて、自身を失い行き場を失いミスを恐れて何も出来なくなってしまったような方々は、やはり一旦、そんなことはどうでもいいことなんだという間逆の価値観の世界に身を置いて「生き方というのは、考え方というのは、様々なんだ、自分は自分でいいんだ、ミスは誰しもするし、それはみんなあるのが当たり前で、互いにフォローしあえばいいじゃないか」という感覚を自分自身で体感として「自ら悟る」まで、どっぷりとこの異世界につかってもらいたいと思います。100円もあれば余裕で一食食べられるほど生活費も安いですし。今はコロナ時代で移動が難しいですが、少し心にとどめておいてもらいたいです。自分自身を追い詰める前に。

コロナ時代にだってに出来る「逃避」もあります。

インターネットも「お金」や「食事」と同じで「あるから使っちゃう」んです。なければ「使わないんです」、無ければ心の無い「誹謗中傷」なども見なくて済むんです。

リアルに世界を移動できない今でも「SNS」という仮想の世界からは、自らの意思で離れる事は可能です。傷つき自らを攻めるくらいなら「SNS」を閉じてから離れてみませんか?お勧め動画張っておきます


では、またなにかしら書きますね。

皆様にとって、一度しかない大切な限りある人生を、みなで助け合って笑顔で過ごしていけるように願っています。

堀江努

PS:そんなこんなでこれを書き終えようと、最初から読み直している所に、友達のご実家からお断りしたはずの「暖かく美味しい食事」がまた届きました。僕がご実家の方で居候していた時に沢山種類を食べた中で、僕が好んで食べていたおかずだけが揃っている・・・・

これはお届け物のこのご飯が適当に見繕った物ではなく、ちゃんと僕のことを考えて特別に用意されている事が伺われるメニューだ、泣けてきた・・・

感謝してありがたく大切に頂くことにします。

本当に本当にやさしい人達に囲まれて、本当に僕は幸せ者です。

このご恩はしっかり返して行くぞ!!

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