死んだ「スキ」

それ、本当のスキですか?

noteを始めて5日が経った。ありがたいことに拙作にスキを頂けることがある。嬉しい。メールでスキの通知が来るたびにちょこっと心が上向く。

でも、僕のようなねじくれた人間は疑問に思ってしまうのだ。これは本当のスキなのかと。いや、もちろんスキの持つ意味なんて人それぞれ違うと思う。そしてそれでいいと思う。既読感覚でつけたっていいし、手当たり次第スキしまくって、記事の作者に自分のプロフィールを見てもらうのを狙っていたって誰に責められることもない。

しかし思うのだ。これは「無差別スキ爆撃」ではないか?と。

太古の昔、Twitterで手当たり次第にふぁぼ(今はいいねだが)する、「ふぁぼ爆」なるものが流行っていた。ふぁぼ爆された方は承認欲求が満たされまくる。そして今度はふぁぼ爆し返す、みたいな承認欲求無限満たし永久システムが構築されることもあった。しかし裏を返せば、本来のふぁぼの意味はこの時失われているのだ。お気に入りとはかけ離れた、虚無の承認欲求システムがそこにはあった…!

と、ここまで思い返してさらにふと疑ったのだ。今僕がもらっているスキも、この形骸化したふぁぼと同じようなものではないか、と。

冒頭でも述べたように、スキをもらうことは嬉しい。嬉しいのだが…めちゃくちゃ傲慢なことを言わせてもらうと、好きだ、いいな、と思って押したスキと、それ以外のスキでは価値に大きな差があると思う。さらにさらに傲慢の波に乗ってぶっちゃけると、僕は前者のスキしか必要としていない。

気になってしょうがないのでTwitterでちょっと検索をかけたら、「スキbot」なるものがいると巷で噂になっているらしい…。botからのスキはいらない。虚しくなるだけなので。

ここまでベラベラとスキの価値について語ってきたが、何を思ってその人がスキしてくれたのかなんて知る術がない。今まで書いた記事についたスキも、もしかしたら誰かがくれた「本当の」スキかもしれない。だとしたら申し訳ないので、ここで謝っておきます。疑ってごめんなさい。

あともう一つの本音として、スキがつかないとやっぱり少し寂しいので、僕の記事には軽率にスキしてください。最後の最後で承認欲求の悪魔に負けてしまいました。

無差別スキ爆撃、ただの思い過ごしだといいな。てか始めて4つ目の記事でスキを殺して大丈夫かな。大丈夫じゃない気がする。






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