法螺貝談義(第45話)
「摩尼(まに)、自ら宝に非ず、工人(こうじん)能く瑩(みが)く」
空海が著した秘蔵宝鑰の一文にこのようにあります。
これは「ダイヤモンドのような宝石(摩尼)は、はじめからその形をしているわけではなく、原石のままでは輝くことはない。職人が磨くことによってはじめて輝く宝石となる。」という意味合いです。
これは法螺貝を作る時にも大切な意識ですが、吹き手の側の技術の研鑽にもこの意識は大切かと思います。
きちんとチューニングされた法螺貝であれば誰しも必ず良い響きを出せるかと言えばそうではありません。
技術に見合った法螺貝、法螺貝に見合った技術の両輪があってこそで、片一方だけでは成り立ちません。
吹き手の技術の質を磨く事で法螺貝の良さを引き出せば、護摩や法要は更に良いものになります。
だからこそ、磨くのは法螺貝だけではなく、吹き手の側の技術を磨く事が大切。
そして、あまりチューニングが良くない法螺貝は吹かれる事なく放置されることがよくあり、新しい法螺貝がついつい欲しくなったりします。
放置された法螺貝でも、手を加えてキチンと再加工を施せば、素晴らしい音の出る法螺貝に蘇ったりもします。
これも法螺貝を摩尼へと仕上げる一つ。
法螺貝のポテンシャルをチューニング(加工作業)で引き上げるには、作り手の吹く技術と吹ける領域を広げること。
最適なチューニングは貝によって見事に違います。
だから加工にチャレンジすることは結果的にいろんな面でプラスに繋がります。
自分で加工をすることでいろんなことが観えてきます。
それは法螺貝のためにもなるし、その法螺貝の持ち主が気持ちよく楽しく吹けるためにも大事です。
だからこそチューニングはもちろんのこと、微妙な音の判断をするこちら側の身体の研鑽も積みたいところです。
上を目指す心はもちろんですが、それに加えて近くに適切なアドバイスをくれる先達や、見せ合う仲間がいる事も不可欠になります。
法螺貝と吹き手、どちらも摩尼のように磨きたいところです。
YouTube「立螺」
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