法螺貝談義(第32話)
練習してもなかなか進まなく手こずっていると感じた場合には、
「吹けなくてもいいや」「良い音が出なくてもいいや」というリラックスした状態で臨むと、良い音が出るかもしれません。
「吹けなくてもいいや」という言葉は、吹きこなせることが前提の発想なので、なんとなくゆとりが生まれます。
逆に「吹けるかな…」という言葉は吹けないが前提にあり、これによって不安になったり、気合が入ってしまうと身心が力んで収縮し、硬くなることにも繋がります。
身体の各部位や唇が硬直しますと、唇の振動数は減り、収縮しますと空気の通り道も狭くなり空気量も限定的になります。
いずれは「吹けなくてもいいや」すらも無くなり、日常の風景と同じ感覚で臨めるようになってくると思います。
「吹けなくてもいいや」とは言っても、これは誠心誠意の心持ちを捨てることではありません。
さらに言えば、思いや計らいそのものが悪いという訳ではありません。
バランスの問題です。
人間は「身心一如」です。
元々切り離せないもので、相互に関係し合っています。
意識的な思い次第でも身体に自由性が生まれます。
逆を言えば、身体を先に緩くする事で、心も緩くなります。
現代文明は考え過ぎの生活に傾いていて、これだと五感も鈍くなり、見事に身体感覚を忘れがちな生活を送ってしまっています。
アタマの計らいが出しゃばり過ぎると、身体の声や感じていることを拾えなくなり、無視しやすくなります。
アタマの仕事を少しだけ引っ込めて、かと言って意識を消すわけではなく、身体が本来の仕事を気持ちよくしている状態であるかを観察する事。
人間は状況に合わせる対応力をきちんと持っています。
ある程度まで来たらアタマの計らいを捨て、あとは身体を信じて、任せる事が大切かと思います。
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