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法螺貝談義(第33話)

法螺貝の息継ぎについて。

「呼吸」の字は、吐き出す事が先に来て、吸う事が後に来ています。

法螺貝の場合は、後の「吸う」を〈あまり意識的に〉やらないこと。

理由は身体の構造上、最適な呼吸は自然に行えるからです。

例えば、坂道を歩いたり、平坦な道を走った時に呼吸が荒くなっても、身体が自ずから適切な呼吸をやってくれています。

その時はおそらく「吐こう」とか「吸おう」と意識的にはやってないと思います。

法螺貝の息継ぎの場合も同じです。

息継ぎの時の体内の空気量の残高を観察します。(図を参照)

身体内部に100の空気量があったとします。

仮に、唇を締め過ぎた状態で「乙一音」を吹いたとします。

おそらく身体内部には、唇を締め過ぎてあまり空気を使い切らなかったせいか、50くらい残ったとします。

この50の残高がある状態から、〈意識的に頑張って吸う〉という行為で、仮に70が新しく入ってきますと、残高の50と足して120となり、必要以上に肺も膨らんでいます。

これだと肺が「空気が多過ぎ」と感じます(50残ったとしても、肺に任せれてれば特に問題はありません)

そして2回目の「乙一音」に臨んだ際も、また唇の締め過ぎで次も50出ていき、120から50を引いて70が残りました。

そして次は〈意識的に頑張って〉65を吸い、残高の70に足すと次は135になります。

こういう感じですと息の出入りの割合(バランス)が、息継ぎのたびに崩れていきます。

これが呼吸の乱れになります。

たまに見受けられますが、法螺貝の音符を吹き終わった後に呼吸が乱れるのはだいたいこれが原因です。

大体は空気の残高が多くなるのは、唇の締めすぎによるもの。

呼吸というのは吐く事が中途半端だと、だんだんとしんどくなっていきます。

試しに「吐くを少なく(1秒)、吸うを多く(2秒)」した呼吸を何度かやってみると、わかると思います。

声明(仏典に節をつけた仏教音楽)や御詠歌でも、基本的には吐き切ったところで息継ぎが指定されていたりもします。

法螺貝も出た分に対して自然に入ってくる呼吸が良く、できれば吐き切る吹き方で、空気の残高も毎回「残り5」くらいになる感覚が個人的には理想です。

肺の大きさ等については個人差があるので、肺の居心地を観察されてみてください。

身体は我々が意識しようがしまいが、法爾自然で常に働いています。

胃には胃の仕事があり、食べ物が胃に入ってきたら消化液を出しますし、腎臓は腎臓の仕事を、腸は腸の仕事を、意識でいちいち指図せずとも、やるべき時にやってくれています。

呼吸も寝ている時ですら、しっかりと止む事なく続いています。

特に肺臓(呼吸)は五臓(肝臓・心臓・脾臓・肺臓・腎臓)の中で唯一、意識的にコントロール(介入)できる臓器と言われていますが〈意識的に吸う〉のではなく、肺には肺の希望があり、必要な分は肺が吸ってくれます。

ある程度慣れてきましたら呼吸(肺)を信じ、お任せすれば大丈夫です。

YouTube「立螺」


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