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法螺貝談義(第46話)

「薫習(くんじゅう)」

 焚いたお香の香りが物や衣服に移り、だんだんといつまでも残り香が残るように、繰り返した行為が習慣となって身に付くことを薫習と言います。

日常の様々な事も繰り返しによって、当たり前のように出来ていきます。

今ではあまり意識せずとも歩いたり、車を運転したり、携帯電話を操作したりと、最初は慣れなかったことが出来るようになっています。

良かれ悪かれ普段の癖が体の動きや心の動きを癖付かせています。

だから仏道修行でも昔から変わらず繰り返しが基本です。

法螺貝も身体に馴染むまでは、とにかく繰り返しが基本。

最初は考えながら身体の感覚を観察します。

それがだんだんと意識せずとも出来るようになっていきます。

隣の人の音を聴いて、早くそこに行きたいと焦る事もあります。

焦るのを捨てろと言っても無理でしょう、それが人です。

そう言う思い自体は自然な事だから焦ってもいいし、それが楽しいを支えていると言うことでもあります。

課題があるということは楽しいという事。

無くなったらつまらなくなるし、無くなったらそれはそれで人は無意識に新しいのを探しはじめます。

いつかその音が出せている自分を想像する事で頑張れるし、だから続けられる。

思い通りにならないから面白い。

繰り返しというけど、呼吸、歩行、睡眠、食事、その他もろもろは、

ただ同じことが繰り返されているわけではなく、厳密には毎度違っています。

例えば今日は1月24日
毎年1月24日は来るけど
去年の1月24日と今年の1月24日
そして来年の1月24日は違います。

違うどころではなく、とんでもなく違う。

そもそも自分もどんどん変わっている。

繰り返すけど同じではない。

世の中の色々は円を描くよう繰り返し、円だからまた元に戻っているように見えるけど違う。

実は円ではなく、螺旋です。

法螺貝の中の螺旋も一度そこを通った音は同じ場所に戻ってきません。

例え、まだ上手く音が出せなくても、今のこの瞬間の音や状態は2度と会えないという事です。

そう思えば、今まで以上に今を丁寧に扱えるはずです。

上達のペースは人それぞれ、これも同じということはない。

とにかく焦らず楽しみながら薫習する事です。

YouTube「立螺」


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