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根に持っていい

一般化できることなのかどうかわかりませんが、フリーランスのライターという仕事は山あり谷ありで、ほんとうに浮き沈みが激しい仕事だなと思います。ありがたいことにライターデビューしてから10年以上経っても生き長らえていますが、その間には涙がでてくるような出来事もいくつかありました。

ええ、そうなんです、大の大人が、仕事のことで泣くのです。

書けなくて泣きました

ある仕事では、いくら原稿に向き合ってもなかなか進まず、編集さんに「いい加減、書き上げてもらえないでしょうか。このままでは企画全体がダメになってしまう」とせっつきメールをいただきました。

ちょうど僕はその時、所用で夜行フェリーに乗って海の上にいて、密室に閉じ込められた状態。完全に追いつめられた気持ちになり、雑魚寝ルームの毛布をかぶって5分だけ泣きました。

一瞬「もう、このままばっくれてしまおうか。だって書けないのだから」という考えが頭をよぎったのですが、5分間絞りつくすように涙を流して、それからノートパソコンを取り出して、今度は絞りつくすように執筆をはじめました。

人間、泣くほど追いつめられればなんとかなるようで、それまで2カ月くらい頑張っても書けなかった原稿を、ほぼ1日かけて書き上げることができ、無事編集さんに送りました。逃げたい、という気持ちを封じ込めて頑張って良かったと思っています。

だって、その時逃げていたら僕はもう二度とこの業界で仕事ができなかったはずです。せっかく子どものころからやりたかった執筆業に就いたのに。

くやしくて泣きました

くやしくて泣いたことも何度かありました。ちょっといろいろ差し障りがあるので(笑)絶対に具体的に書くわけにはいかないのですが、けっこう理不尽な扱いを受けることもありまして。

あくまで僕側から見たことなので、先方にも言い分があるのかも知れませんが、かなり侮辱的な言葉とともに切られたこともあるんですよ。

「お前のやってることなんて意味ない。そんなことやっててもしょうがない」的なことを言われることも何度か。

僕らも仕事の出来でお金をいただいているわけなので、「仕事のクオリティが低くなってる」とか「ここが良くない」みたいな感じなら、こちらも納得するしかありません。

ただ、こっちも人生かけてやっていることに漠然と「あなたが普段書いていることそのものが無意味」ってあまりにひどいよなあと思うこともあります。しかもその言葉とともに仕事を失うのですから、二重のダメージですよね。

いろいろある仕事なので、仕事がなくなったり増えたりでいちいち一喜一憂しないようにしているのですが、ほんの時々、あまりにひどい言葉とともに仕事を切られて、くやしさが消化できずに家で泣くこともありました。

根に持つのって器が小さい?

ただ、そういう出来事にいつまでも拘泥していられないというのも現実のところ。と言うか、そういう記憶を引きずっていつまでも根に持つってなんかカッコ悪いし、器が小さい気がするじゃないですか。

だから、僕はそういう嫌な思い出はなるべく忘れるようにしていたんですよね。ところが最近、こういうことがありました。

とある有名人の方が、とあるところに、「〇〇でこんなお仕事したいなーって思いつきでツイッターに投稿したら、めぐりめぐってそれが実現!」みたいなことを書いていらしたのを偶然目にしたんです。

その〇〇って、僕がくやしくて泣くほど侮辱的な言葉とともに仕事を切ってきた媒体だったんですよ。いくら「できるだけ忘れるように」と心がけていても、こういうのを読むとやはりもやっとしますよね。

一緒に住んでいるパートナーには、いつもそんなに詳細に仕事上の出来事を伝えているわけでもないのですが、この時はそのもやっとした気持ちが消化できなかったので「昔〇〇にこういうこと言われて~~」と具体的に説明しました。

すると彼女がこう言いました。

「それは、根に持っていいんだと思うよ」

えっ? 根に持っていいの?

「私は君の仕事のことはよくわからんけど、それは根に持つだけの理由がある理不尽な扱いだと思うよ。そういうのは別に水に流さなくていいんだよ」

ああ、そうなのか、とその時ちょっと救われた気になりました。マンガの名言で「気にしないようにしている時点で気にしている」みたいなのがありましたが、まさに僕もそうで、過去の〇〇さんの理不尽な扱いを一生懸命「気にしないでおこう、忘れよう」と思っていたんですね。

それはそれで引きずっているし、かすかなストレスになっていたのかもしれません。彼女の言葉で、あの苦い記憶がいい感じで消化でき、忘れたわけじゃなくても新しい気持ちで「これから」が見えるような気がしました。

また、こういう出来事はなかなか他人に話すことが難しいので、自分が気にしていることが「気にしてもおかしくない」ことなのか、単に「いちいち根に持っていたらダメだろ」なことなのか判断できないんですよね。彼女が「根に持っていい」と言ってくれたので助かりました。

「いつか見返してやる」はちょっと違う

というふうに、何度か仕事でくやし涙を流した僕ですが、一つだけ誓っていることがあります。それは、理不尽なやり方をしてきた人や媒体に対する「いつか見返してやる」という気持ちで仕事はしない、ということです。

心のどこかで引きずったり根に持ったりしているのかもしれないけれど、僕は僕の大切な書く仕事をリベンジの道具にしようとは思っていないし、そういう気持ちをモチベーションにしようとも思わない。

フリーランサーには適度な野心が必要なのかもしれませんが、「見返してやる」という執念は仕事を小さくする、と考えています。野心はもっと楽しい夢のために持ちたい。

僕は、自分が書いたテキストを読む時間が読者のみなさまにとって楽しい時間になるよう腐心すべきで、そしてその腐心している時間が僕にとっても楽しいわけです。

そこに「いつか見返してやる」という気持ちは要らないです。そういう気持ちが込められている仕事ぶりは、視野の狭いものになるんじゃないかと思っています。

僕は自分の人生を楽しいものにするために執筆業に就いたと思っていますし、そんな僕が腕によりをかけて書いたテキストを読者の方に楽しんで欲しいと思っています。

もしいつか、僕がもっと売れて〇〇さんなど僕にひどいことを言った人や媒体が「お願いします」と仕事を依頼してきたら、もうそれで水に流そうかなと決めています。ただ、そのために仕事をしているわけじゃないということです。

まあとりあえず、この先流す涙は書けないとかくやしいとかじゃなくて、嬉し泣きばかりだとありがたいんですけどねえ(笑)

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