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元図書館員が考える「図書館の静けさ」のこと

(見出し写真は7月1日にオープンした黒石市立図書館の館内。内覧会参加時に撮影したものです。同館はある程度なら会話OKという方針です)

さっき、朝日新聞DIGITALのこんな記事↓を読みました。と言っても有料会員ではないので肝腎なところから読めないのですが。本記事は、同記事全体の趣旨に則ったものではなく、あくまで途中までの内容にインスパイアされただけということを最初にお断りしておきます。

僕の前職は公共図書館員。元職場は、今の日本にいまだ多く存在する「館内ではお静かに」方式の図書館でした。

静かじゃないとダメという利用者像

約9年間働いてきた経験から誤解を恐れずに言うと「図書館は静かでなければならない」と感じている利用者は、実はそんなに多くないのではないかという実感があります。

また、あくまで元職場の環境しか知らないので一般化はできないのですが、「うるさくて読書に集中できない」と言ってくる利用者は、どちらかと言うとすごく神経質でややクレーマーっぽい人がほとんどでした。

僕自身はそういう言葉をかけられたことはなかったのですが、元同僚によると書籍資料を書架に戻していると、ほんの少し音がするだけで「もっと静かにしてくれよ。気が散るよ」と言われたりしたそうです。もちろん、聴覚過敏の方である可能性もありますが。

叱る親御さんの矛盾

「図書館は静かでなければ」ということに関しては、次のような事例もたくさんありました。館内でお子さんが大声をあげたとします。すると親御さんがそれ以上の大きな声で「静かにしなさいっ!」と怒鳴るようなことがほんとに多いのです。本末転倒ですよね(笑)

これも一般化はできないですし、あくまで僕の想像にしかすぎませんが、その子はきっと、親が大声で話す家庭環境にいるから大きな声をあげるんだろうなと思ったりしていました。

ただ、親御さんも「図書館は静かにしないといけない」と考えているから怒鳴りつけてでも静かにさせようとするわけですよね。自分自身の声の大きさについての認識も持ってほしい、と思いつつも、一方で「こうまでして図書館は静かでなければいけないのだろうか」とも考えていました。

携帯電話問題

あと、心の中で「携帯電話問題」と呼んでいる状況もありました。ガラケーでもスマホでもいいのですが、マナーモードにしないで図書館に入ってくる人の9割くらいは、着信音が鳴るとそのまま館内で電話に出ちゃうんです。館外に出ていくとかあわててマナーモードに切り替えるなどにしたりしないのです。

すると僕たち図書館員も「館内で電話はやめてください」と注意しに行かなくてはいけません。個人的肌感覚の統計ですが、そのうち7割くらいはすぐに切ってくれません。一通り話が済むまでそこで話し続けるか、良くて話しながら外に出ていきます。

なので再度「すぐに切ってください」と注意すると、たいてい「うるさいな、すぐに切るよ!」と怒られます。とにかく「今すぐ静かにしてほしい」という注意の内容が伝わらない。そして、その怒る声や図書館員が続ける注意も静かな環境を乱しています。

はっきり言って、すごいストレスです、これ。ここまでして守るべき「図書館の静けさ」とは何なんだろう?と感じることがとても多かったです。

もちろん中には「図書館では電話に出てはいけないのだ」ということを前もって知らなくて、そのことをお伝えすると恐縮して次からは守ってくださる方もいます。でも、すごく少ない。

注意する側も疲弊するんです

図書館の静けさを守るというのは意外と手間がかかるもので、当たり前にある状態ではないのです。そしてそこには当然現場の図書館員への心理的負荷がかかります。現役時代から、そのことについてはあまり知られていないように思っていました。

もちろん図書館員側の手間暇を語ることは、ユーザー目線に立つこととは真逆のベクトルで、それはどうなんだという批判もあるとは思います。しかし同時に、図書館の静けさはそこまでして守られるべきものなのかどうかということについてももっと具体的な議論が必要なのではないでしょうか。

雑音があるほうが集中できるかも?

あとは図書館を辞めてからの僕の体験についても書きます。ライターとしての僕は、カフェなど適度な雑音に包まれた環境のほうが断然執筆がはかどります。従来の「静かな図書館」的なところでは逆に気が散るのです。だからどうしてもしっかりと書き進めたい時は家を出てカフェやファーストフード店で執筆するようにしています。

個人的な感覚なのでやはり一般化はできないのですが、人はひょっとしたら「作り出された空間」よりも、雑音や会話がふつうにある「自然なところ」のほうが集中力を保ちやすい可能性もあります。図書館もそうなのかもしれないですよね。

図書館の利用法としては一般的に、調べ物をしたり本を読んだり勉強をしたりといったところが挙げられますが、それらに「もの静かな環境」が必要不可欠なのかどうか。これまであまり真剣に問われてきていなかったように思っています。

すぐ近くにおしゃべりしたりする人がいる時に、利用者が「静けさが破られたな。なんか集中できないな」と感じることがあるとします。でも実はこれは「卵が先か、鶏が先か」的なことだと僕は考えます。

「図書館は静かなものだから」というある種の思い込み、刷り込まれた社会常識が前提としてあるために、ほんとうは集中力を乱される環境ではないのにそう感じてしまうという可能性も否定できないのではないでしょうか。

近年の取り組み「ゾーニング」

近年は新しい図書館の開館事例が相次いでいます。それらの多くで「図書館における音環境の多様化」に取り組んでいます。その一例が「ゾーニング」だと思います。

ゾーニングとは、おしゃべりや電話OKのエリアと私語NGの部屋を分けたりすることです。上で書いたように、しずかーな状態でないと落ち着いて利用できない!という人は意外と少ないです。そういう人のためのスペースをある程度用意しておけば、あとは自然のままに任せるという方針で充分ではないかと思います。

一方で現場的な懸念を書くと、勉強だけをしたいという学生利用者はほんとうにたくさんいるので、どんなにゾーニングしてもあらゆるエリアにその子たちが居座ってしまうという問題もあります。必要な人に必要な空間が行き渡らないことも出てくるでしょう。

個人的には、潜在的な利用者層として「勉強する学生」を見込むのは、これからの「たくさん利用される」図書館のありかたとしてはちょっと疑問視しています。というのも「それは図書館でなくてもいいのでは?」と思うからです。これも図書館員としての経験から書くのですが、勉強する学生は図書館機能(例えば蔵書など)をほぼ全くと言っていいほど利用しません。

図書館は読書や調べものだけの施設?

同時に「図書館を使うということの定義は、読書や調べものに限っていいのか?」とも思います。サードプレイスとしての意義や、コミュニティや地元文化のつながりプロデュースなどなど、これまであまり意識されてこなかった図書館の新しい役割を作り出していくことが、地元に必要不可欠な施設だという認識につながっていくだろうからです。

「図書館の静けさ」はどうしても守るべきものなのか否か?という設問も、そうした新しい流れの中で改めて問われ続けていくことになるでしょう。個人的にはここまで書いてきたように、静かな図書館環境の保持は利用者にとっても図書館員にとってもそんなに良いことではないと考えています。

「静かなのが当たり前」と思われていた図書館が、これからどう変わっていくのか、あるいはそんなに変わらないのか、これからも注目していきたいと思っています。

(おわり)

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