サッカー少年が『クール・ランニング』をきっかけに「全国を旅する映画館」館長に。映画を愛する男がつくりたい「飲みやすいコク深ビール」とは【HOPPIN’ GARAGE キノ・イグルー 有坂塁さん】
ビジネスパーソンや常連と思われる親子連れ、講義終わりの学生。ひっきりなしに客が訪れるここはJR田町駅から徒歩5分のところにあるコーヒー専門店「PASSAGE COFFEE」(パッセージコーヒー)。ここで待ち合わせしているのが、今回の取材相手・有坂塁さんです。
「自分と向き合える環境を日常に増やしたい。他人同士違って当たり前なのに、人と違う自分を出してはいけない空気がこの社会にはあるんじゃないかな」
有坂さんは中学時代の同級生とともに、全国を旅する移動映画館「キノ・イグルー」を2003年から運営。映画館ではない場所に、映画館をつくる活動をしています。
1日1本の映画を見るのが日課で、見る前には必ずコーヒーショップでエスプレッソを飲むという有坂さん。映画の世界へ足を踏み入れることになったきっかけや、活動を続けている理由について伺いました。
カフェ、博物館、サーキット場、お寺、離島……。どこでも映画館にしてしまう
有坂さんの活動は「映画館ではない場所に、映画を見るための場所をつくる」こと。拠点は東京ですが、依頼があれば全国を巡ります。これまでどんな場所で上映してきたのでしょうか?
「規模がいちばん大きかったのは東京国立博物館。映画を見に6500人のお客さんが来てくれました。上映前はお客さん同士の話し声でザワザワしていても、映画が始まる瞬間、会場にいる全員がシーンとなる。6500人がじっと静かにしているさまは異様な光景です。
御殿場にある富士スピードウェイで24時間耐久レースがあったときは、大きいドーム型のイベント広場で一夜限りの野外シネマを開催したこともあります。そこでは宮崎駿監督の『ルパン三世 カリオストロの城』を上映しました」(有坂さん、以下同)
上映作品はマニアックなものから、誰もが知る王道のものまで多種多様。上映場所や空間に合わせて決めています。
「滋賀県にある浄教寺というお寺の本堂で20人くらいの上映会をやったり、熱海市にある初島という離島で1泊2日の星空シアターを開催したり。
恵比寿ガーデンプレイスの広場に芝生を敷き、ピクニック気分を味わえるイベントで上映したこともあります。美味しいものを食べて飲んで、日が暮れたらみんなで映画を見るんです」
静岡県御殿場市・富士スピードウェイ「スピードウェイシネマ Supported by TOYOTA」
滋賀県草津市・浄教寺「お寺でレトロな映画を。Produced by キノ・イグルー」
静岡県熱海市・初島で行われた「星空シアター」
恵比寿ガーデンプレイス「ピクニックシネマ2019」Produced by キノ・イグルー
北海道上川郡・層雲峡温泉「氷瀑祭り2018 氷の映画館」
有坂さんは移動映画館の活動を「まちづくりと似ている」と話します。
「東京国立博物館で行った上映会では、敷地内にある池の淵ギリギリまでお客さんが入れるようにしました。博物館は普段から警備員さんが入り口に立っていて、雰囲気がピリッとしている。なんとなくかしこまっていて、敷居が高いイメージがありますよね。
上映イベントでは博物館を利用したことがない人にファンになってもらいたい、という狙いもありました。
だから普段は解放しない場所までお客さんに入ってもらうことで自由度を高めて、解放的な雰囲気を持たせました。その自由な感じが、後日『また行ってみようか』と博物館を訪れるきっかけになるかなって」
上野・東京国立博物館で開催された「博物館で野外シネマ」
映画の世界へ。扉を開けてくれた『クール・ランニング』
有坂さんは「1日1本の映画鑑賞」がルーティンというくらいの映画好き。でも19歳までは映画をほとんど見なかったそうです。
「僕が最初に映画を見たのは6歳のときの『グーニーズ』。もう感動して感動して……。また見に行きたいと母にねだったら今度は『E.T.』を見せてくれました。ただこれがハマらなくて……。E.T.の姿形が怖かったんですよね。そのあと10年以上映画を見ることはなくなってしまいました。
それから13年経った19歳のとき、ひょんなことから『クール・ランニング』(1993年)を見たんです。その次の日からですね、映画を見るようになったのは。この映画を見たことが人生のターニングポイントだったと思います。
『クール・ランニング』は起承転結がハッキリしているので話が分かりやすく、映像もカラフルで集中できる。笑える要素もたくさんあって、これが映画なのか! と感動しました。前向きなメッセージを与えてくれるので、それまでサッカー漬けだった自分に響く部分もたくさんありました。
当時、同じ時期に『パルプ・フィクション』や『フォレスト・ガンプ』が公開されていましたが、どちらかを最初に見ていたとしたら、内容を理解できずに映画にハマることはなかったかもしれません。
19歳というタイミングで、そのときの自分の状況と映画の内容が奇跡的に繋がったから、僕の場合は人生が変わった。別のタイミングだったら同じ反応は起きない。作品そのものじゃなく、見る側の状況で価値が変わるのが映画なんだなあと思いました」
「好きなことをやりなさい」変わらない母の言葉に助けられた
19歳のころはサッカーに熱中していた有坂さん。そのころは映画の道に進むとは思ってもいなかったようです。
「中学・高校と続けていたサッカー。進学はサッカーの専門学校を希望していました。でも僕の家は母子家庭で裕福ではなく『行きたい』とはいいづらかったんです。
それでも思い切って母に相談したら『行きなさい』と即答してくれて。そのときの母の反応は拍子抜けするぐらいあっさりしてましたね(笑)。
母は『好きなことを見つけて、とことんやりなさい』と言ってくれる人。母の言葉のおかげでお金のことは心配せず、サッカーに集中できました。もし『ちょっと考えさせて』と言われていたら遠慮して、僕の気持ちはまた違っていたかもしれません」
その後、プロテストを受けたものの契約できず「何を仕事にするか」でいったん立ち止まったという有坂さん。
「指導者になるか、サッカー専門店で働くか……。考えてみたものの全然興味を持てなくて。そんなとき、ふと『映画はどうだ?』と思いました。
『クール・ランニング』で感動して以来、映画が大好きになったし、映画に関わる仕事をしたらどうかな? そう考えたら、なんだかワクワクしてきて。それでまずはレンタルショップでアルバイトをすることにしたんです」
サッカーではなく映画への道を歩みだした有坂さんに対し、お母さんはびっくりした様子だったといいますが、意見を言ったり否定したりすることもなく、何も口を挟むことはなかったといいます。
恐怖! 新宿のレンタルショップで接客した、コワモテお兄さん
新宿のレンタルショップでアルバイトを始めると「オススメの映画はありますか?」とお客さんから聞かれるようになったそう。相手の好みや状況に合わせ、良さそうな作品をすすめていた有坂さんですが……。
「ある日、お店にコワモテのお客さんが来たんです。その人はビデオのパッケージを眺めては床に投げつけるという行為を繰り返していました。
どこからどう見てもやばくて、関わりたくないなと思っていたら『おもしろい映画はないか?』って声をかけられて。好きな映画を聞いたら『仁義なき戦い』とか『ゴッドファーザー』というので、その人のイメージ通りで、分かりやすいなと(笑)。
僕はそういう映画が好きなら同時代のアメリカ映画『イージー・ライダー』や『俺たちに明日はない』がおもしろいだろうと思い、紹介しました。でも『絶対におもしろくない』って借りてくれなかったんです。
悔しかったですね。それで小規模なインディーズ系のマフィア映画ならどうだろう? と考え直しました。提案したら『それならいいか』と借りてくれて。
それから1週間ほど過ぎたころ、彼がお店にやってきました。
僕のほうにいつも通りの雰囲気でズンズン歩いてくるので、まずいぞ……と思ったんですけど、目の前にきたら『この前の映画、おもしろかったです! また教えてください!』って。急に敬語になってたんですよ(笑)。
前回紹介して断られたアメリカ映画を改めて紹介したら借りてくれました。そのあとは何を提案しても借りてくれるようになりましたね」
「あなたのために映画をえらびます」
有坂さんは全国を巡る移動映画館のほかに、もうひとつ別の活動をしています。
「移動映画館のキノ・イグルーは、いろいろな場所で映画を上映します。それは場所に空間を合わせる作業です。でも映画を選ぶ仕事の究極形態は『あなたのために』ということ。
僕はレンタルショップでお客さんにしていた『相手に合わせた映画をすすめること』をイベント化したいと思っていました。そこで始めたのが1対1の映画カウンセリング『あなたのために映画をえらびます』だったんです」
有坂さんは誰もが陥りがちな「主観による好き嫌い」という要素を一切排除し、相手にとことん合わせた映画を選んでいます。相手の視点で選ぶ。それは簡単なようで難しいことではないでしょうか。
「人って、みんな違いますよね。それはみんな分かってる。分かっていても、難しいときがある。僕が主観にあまりとらわれず相手に合う映画を選ぶのは、一卵性双生児のひとりとして生まれたことに関係があるのかもしれません。
双子はひとりでいるようでふたりでもある、不思議な関係性があると僕は思っています。シンクロし合う経験もたくさんしてきました。だけど、これほどまでに同じなのに、それでも違うところがある。
一卵性双生児でも違うところがあるなら、他人で考えれば違って当然。違いは個性に見えるんです。どんなに評判の悪い映画も探せば良いところが必ずある。そんなふうに世界を見ることが、相手目線の映画カウンセリングで役立っているのかもしれません」
有坂さんが活動を続ける根底には、どんな思いがあるのでしょうか。
「社会の中で、いろいろな自分を演じながら生きるうちに、どれが本当の自分なのか分からなくなって苦しんでいる人が多いと思います。
僕が行っている映画カウンセリングは暗幕で仕切られた、テーブルとイスだけの部屋で1対1で話します。この時間は目の前の相手と向き合うしかありません。
そこでは、自分が話す言葉に自分自身で驚く人がいます。たとえば10年間誰にも言えなかった言葉をようやく吐き出せたことで涙を流す人もいる。話し終わったあとの表情を見ると、その違いに僕が驚くんです。
自分と向き合える環境がもっと日常にあれば、この人はここまで苦しまなくて良かったはず。自分を出してはいけない空気が、この社会にはあるんじゃないでしょうか。
人と違っていい、それが当たり前です。こんな自分でも愛してくれる人がいる、楽しんでくれる人がいると分かった途端、人生はすごく前向きになるかもしれない。元の自分に戻れる体験を、映画を通してやっていきたいなと思います」
人生をビールにたとえるなら「飲みやすいコク深ビール」
エスプレッソと同じように、ビールも身近な存在だという有坂さん。一緒にイベントを乗り切ったメンバーたちと飲むビールは最高に美味しいそうです。そんな有坂さんに自分の人生をビールにたとえていただきました。
「コクがあって飲みやすいビールかな。僕は映画オタクだけど、社交的でありたい。レンタルショップで働いていたときから、そう思っています。
知識がある人って堅苦しいイメージがあって『聞きにくい』と思われることもある。だから自分と同じ目線で教えてくれる人がいたらいい。そんな人がひとりいるだけで映画の世界はもっと良くなると信じています。
たとえるなら奥深いけど、飲みやすい。そんなビールですね」
全国を巡り、映画館のない場所に映画館をつくる試みはすでに18年目を迎えています。取材を始めた当初、どこかクールに感じた有坂さんの印象は、取材を終えるころには「気さくな映画好きのお兄さん」に変わっていました。
「違うのは個性。当たり前の自分を愛そう」
取材を終えて帰っていく有坂さんの背中から、そんな声が聞こえてきそうでした。
HOPPIN’ GARAGEでは、今後ビールになるかもしれない魅力的な人々の人生ストーリーを紹介しています。今回紹介した有坂さんの人生ストーリーがビールになる日が来るかも⁉ 今後のHOPPIN’ GARAGEにもご期待ください!
イベント写真提供:有坂塁さん
場所提供:PASSAGE COFFEE(パッセージコーヒー)
****
2018年10月に始まった『HOPPIN’ GARAGE』。
HOPPIN' GARAGE(ホッピンガレージ)は、「できたらいいな。を、つくろう」を合言葉に、人生ストーリーをもとにしたビールづくりをはじめ、絵本やゲームやラジオなど、これまでの発想に捉われない「新しいビールの楽しみ方」を続々とお届けします。