台所に立つ母の後ろ姿はスーパーサイア人
母は仕事が忙しい人だった。毎朝わたしよりも早くに家を出て、夜遅くに嵐のように帰って来る人だった。仕事での殺気を残したまま帰宅する母。母の車の音が聞こえると、帰って来てくれた嬉しさよりも、少し緊張していたのを今でも覚えている。
母は帰宅すると、どこにも座ることなく台所へ向かう。そしてそのまますごい勢いで夕食作りを始める。その後ろ姿からはドラゴンボールのスーパーサイア人のようなオーラみたいな、湯気みたいなものが、たっているように見えていた。こういう時には話しかけてはいけないということを、小学校へあがる頃には心得ていたわたしは黙ってその姿を見ていた。
我が家には“夕食は全員そろって食べる”というルールがあったのだ。そのルールに縛られて母は必死に料理を作り、疲れてしまうのではないかと思ったが、全然揃わない家族が唯一揃うひと時だと、母は譲らなかった。
結果、スーパーサイア人のように必死に料理をし、それに少し気を違う家族。という構図が出来上がっていたのだが、今思うと母なりに家族を繋げる大切なルールだったのだと思う。
今自分は母となった。母親だけが必死に頑張る必要なんてないし、便利な家事家電や色んな外部サポートに頼ればいいと思う。
でも、わたしのなかに残っているのは家族を思う必死な台所の母で、、、必死な親の姿というのは子どもの心にやっぱりなにか響くのかなと思う。
なんでもスマートにはいかない、必死に向き合っているかっこ悪い自分の姿を息子にも見せたいと思う。そして、こういう姿は未来になにか繋がっていくと信じたい。
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