『未知を放つ』対談シリーズ vol.0 前編
『未知を放つ』の5つのテーマ「婚活」「家族」「終活」「分断」「生活」。
著者のしいねはるかさんと一緒に、他者との対話を通じてそれぞれのテーマを深堀りしていく『未知を放つ』対談シリーズ。
今回はVOL .0と題して、地下BOOKS小野寺伝助との文章でのやりとりです。前編では『未知を放つ』に至るまでのこと、ZINEを作ることのきっかけや動機など、『未知を放つ』前夜の話をしいねさんに聞いてみました。
ZINEをつくり始めたきっかけ
小野寺:
まずは『未知を放つ』の元になっているZINE「tonarinogofuzine」について、教えてください。僕が初めて「tonarinogofuzine」を知ったのは2019年12月にライブハウス下北沢THREEで開催されたイベントでしいねさんと共演した時でした。確か会話の中で「最近こんな ZINE作ってるんだ。よかったら持っていって」という感じでいただいたのがきっかけです。まず良いと思ったのはZINEのフォーマットです。すごくシンプルな作りですよね。8等分に折り畳まれたA3のカラー用紙に手書きの文章。暖かくて人間味があります。
最近のZINEはデザインに凝ったものが多く「ZINE=お洒落」みたいなイメージも世の中的に認知されつつあるように感じています。その反面、ZINEはもっと自由で色んな形があってもいいのになぁという思いもあったのですが、「tonarinogofuzine」はZINEの自由さを体現しているように感じて「こんなZINEが読みたかった!」と思いました。
しいね:
ZINEのフォーマットまで、そんなふうに捉えていただきありがとうございます。凝ったデザインのZINEも素敵だなと思うんですよ。作れるならそういうものも作ってみたいです(笑)。わたしはPCの操作が苦手なので、たまたま自分にできる範囲だとこうなっちゃった。という感じで、とくに意味があるわけではないんです。でも、自由さを体現、暖かくて人間味がある、はうれしいです。
元々、ZINEという存在を知ったのは高校生のとき、地元のライブハウスです。ライブスケジュールが書いてあったり、四コマや下ネタ、地元のバンドや美味しい店が書いてあったり、踏まれてグシャグシャになっていたり、あまりオシャレなイメージはなかったかもしれません。一人でライブハウスに行っても、手持ち無沙汰にならなかったのはZINEのおかげです。次の号が楽しみだったりもして。わたしにもできそう。とZINEを書けたのは、あれが入口だったからなのかな。東京に出てから出会ったZINEはクラストの方々が作ったものとか、デザインがかっこいいものもたくさんありました。その頃はパソコンで作られたものはなかったけれど、おそらく手で切り貼りしていて器用な人しか作れないというか、文字の配列や写真の選び方などセンスがいい感じがありました。はじめにあれを見てしまったら、ZINEを書いてみようとは思わなかったかも?
小野寺:
圧倒的なセンスで「自分にはとてもできないなぁ」と感服してしまうようなZINEも好きですが、親しみやすくて「自分にもできそう」「自分もやってみたい」と思わせてくれるようなZINEに惹かれます。読んでほっとしたり、安心したり、勇気づけられたり。パンクという音楽に惹かれたのも「自分にもできそう」と思ったからな気がします。「tonarinogofuzine」を作り始めたキッカケはあるんですか?
しいね:
はじめからZINEを書こうと思っていたわけではないんです。はじめは歌詞を書けるようになりたいな。と思って俳句を書いてみたら、5.7.5におさまりきらなくて。やむをえず短歌にしてみたのですが、やっぱりおさまりきらなくて。文字数を気にしないことにして、A3の紙を半分に折って書いてみたら、歌詞にするには長すぎました。
俳句はあんなに浮かばなかったのに、日常のことを書いてみたらスラスラ書けました。長くなってきて、8等分に折り畳みました。せっかくなのでZINEにすることにしました。手書きで白い紙だとあまりにも普通だったのでA3のカラー用紙に。歌詞を書く予定が、どんどん長くなってしまい戸惑いました。結局歌詞は書けず。
そこで気づいたのは、どうやらわたしは、見落としそうな細かいニュアンスを大切にしているようだ。ということでした。そんなことにフォーカスできる場ってなかなかないし、これがわたしの性質なら、人間のさまざまさのひとつとして記録しておこうかなと思いました。
本や映画に触れると、少しだけ人間のさまざまさに触れたような気持ちになりませんか?この人は78億人のうちのひとり!と思うと面白い。人と話しても、もっと知ってみたい!もっと話してほしい!と思うことがあります。それもあって、先に自分の話をすることにしました。わたしもさまざまさのひとつだと思うと、自分のことを書く恥ずかしさのような気持ちも薄まっていきました。
そんなかんじで勢いよく書き始めたものの、完成品を前に急に恥ずかしい気持ちになってしまい、はじめは袋とじにしました。名前も「fukurotozine」でした。2015年7月だったかな?10人くらいに渡しました。でも閉じてる。(笑)
ライブ会場でZINEを手渡し・物々交換
小野寺:
ZINEの流通については積極的に本屋さんやイベント出展などで売り出していくのではなく、しいねさんが出演されるライブの会場で手渡しで、物々交換というとても原始的な方法ですよね。作ったZINEの流通についてはどのように考えていたんですか?
しいね:
自分のなかでは大切なことに向き合っているつもりなのに「こんなことをしていて、どうするの?なにかの役にたつの?」と言われることが度々あって、わたしが気になることはそういうことばかりだな、むしろ生き方も、それだらけだな。と思っていたので、流通にのせたところで見た目も地味だし、手に取る人は少ないだろうと感じていました。
卑下しているわけではなく、うまく言えないのですが、、手に取る人は少ないだろうのニュアンスは、万人受けするものだとは思わないというようなかんじです。
ホームページの音日記にもそのようなテーマで文章を書いていて、そのページがすきだと言ってくれる人もいたので、すきなひとはいるのかもしれないとも思っていました。(友人が、日記を読みながら即興演奏を聴けるようにとホームページを作ってくれました。)
ZINEには世界のさまざまさのひとつとして体験を書きましたが、名もなき人間が見落としてしまいそうなちいさなことだったり、そのひとの体験を書いたところで、積極的に売り出しても手に取る人は少ないだろうと。
それは見せ方の問題かもしれないけれど、伝わりづらいようなちいさなニュアンスや言葉にしきれないことなど、わたしが大切だと感じていることをもう少しわかりやすく書いてみたい。納得度を高めたい。という気持ちはいつもありました。名もなき人間だからこそ書けることもありますし(笑)。
値段をつけるほど納得しきれていなかったこともあり、物々交換にしました。互いにこうかんする、ってなんとなく面白いかなと思って。物々交換は地元の名産や、王将の餃子、普段手にとることがないものなどなど、予想外の出会いが楽しかったです。ライブの日はドリンクをご馳走してもらうこともありました。紙一枚なのに500円のドリンクは申し訳なさ半分ありがたさ半分、、!
読んだひとが、そのひとを切り離すことなく自分ごととして捉えていること、そのひとの体験を聞かせてくれること、やりとりが生まれることがうれしかったです。よくわからないまま感じたり、考えたり、いびつなままやりとりをしていく。って面白いですよね。未知の話をたくさん聞かせてもらいました。物々交換にしたことで、読み終えた方と話す時間ができました。
ライブの会場で手渡しにしたのは、ライブも万人受けするライブではないと思っているからです。伝わりづらいようなちいさなニュアンスや、言葉にしきれないことなど、大切に感じていることを話して、それをピアノ即興で弾く。というライブをしています。盛り上がったりオチのある話を聞くライブを期待した人は、つまらないと思うんですよ。オチもないし歌もないし。
そんなライブをみて、さらにZINEを読みたいという人がいたら、ほんとうの言葉で話せるかな? という淡い期待もありました。普段、なかなかうまく話せなかったりもするので。
わたしの関心ごとがつまらない、苦手な人もいるかもしれませんが、ちいさな関心ごとたちをわたしまで見なかったことにしたら、なかったことになってしまいます。それもあって、読んだ方とやりとりができることはとてもうれしいです。感想を小耳にはさむだけでもうれしい。
ひつようなところに、ひつようなタイミングで届いてやりとりができたらいいなという気持ちから、今はこのようなかたちにしています。今の自分にできることがこのくらいなので、そうなってしまっているだけで、こだわりがあるわけではありません。
物々交換というスタイルだと、欲しくても手に取りづらい人もいるだろうから値段をつけてほしいと言われたこともあります。言われてみるとそんな気もします。どうしたらいいかな、と考え中です。
ZINEを作り続ける動機
小野寺:
僕が「tonarinogofuzine」をライブハウスでもらった時点で既に14号まで作成されていて『未知を放つ』の元となる内容が書かれていました。「いつの間にこんなにたくさん作っていたんだ!」という驚きもさることながら、内容の素晴らしさに感動しました。婚活や介護のこと、銀座での仕事や自身のコンプレックスのことなど、個人的な内容でありながら、内に向かうのではなく、外に開いていくような印象を受けました。
しいね:
そうでしたか。心身に向き合うときに、おおきな力は反発や萎縮をうむ。ちいさな力は互いに影響を及ぼし合い、波及する。という考え方あって、その考え方がとてもすきで。わたし自身も、その人にしかない体験や視点を共有してもらったことだったり "あなたの体験や心情はわからないけれど あなたの言うことはわからなくないよ" という言葉だったり、あたたかいものを受け取りながら少しずつ行動できるようになっていきました。
内に向かうのではなく、外に開いていくような印象は、互いに影響を及ぼし合って広がる、ちいさなやりとりの力のおかげかもしれません。うまくいかないように見えることを書いた理由は、内に向かう気持ちというより、困っている場面に立たされたひとが誰かに話しやすくなるといいなという気持ちで書きました。そのようなことは話しづらいかもしれないけど、そういう人の存在を知る機会になります。
起こることに対処できる自分になっていけるとうれしいし、困った人の存在をちいさくしないでいられることもうれしいし、さまざまな体験を知るキッカケになるとうれしい。と言いながらも、自分のなかで書くことに抵抗を感じる部分もありました。そのような部分は内に向かいきってから書くようにして。そこは頑張ったので、そう言ってもらえるとありがたいですね!わーい
小野寺:
『未知を放つ』を刊行後も作り続けていて、2021年10月の時点で21号まで作成されていますね。作り続ける動機は何なのでしょう?
しいね:
はっきりとした理由があるわけではなくて、なんとなく、としか言えないのですが、、
異なる人間が異なるまま存在する世界を想像したときに、こんな人間も存在しますよ、ここにいますよ、とさまざまな存在を認識し合えるようなものを作ってみたかった。うーん、作りきれていないから作っているのかな?
異なる人間の存在を感じることや、ちいさい、見落としてしまいそうなことを ただ見ることとか、何かを感じ合うこと、いつのまにか影響し合う様子は、心身のことにも似ているんですよね。興味深いです。
世界にはさまざまな人間がいるけれど、ほとんどの人は主観的なものの見方しかしたことがないと思うんです。「tonarinogofuzine」VOL.15、16、17(2019) に、ある映画の話を書きました。後ろ姿の写真を撮るシーンがあって、その写真には頭の後ろや背中がうつっていました。実際に見えているものは人それぞれだし、わたしは自分の目で自分の頭の後ろを見たことがないんだよな。と思いました。それはわたしだけではなく、他の人も。さらに、人によって、体験によって、ものの見方やフォーカスも異なりますよね。個人の経験から思い込みやこだわりをうみだしてしまうこともあるような気がします。
感じたことをそのまま言葉にして伝えているつもりでも、それがほんとうに感じたことなのかはわからなくて。正直に話しているつもりのことでも、自分なりの解釈が入っているかもしれない。そういうところをひとつひとつ片付けて、視点を持ち寄って、他者と対話できたらどうなるのだろう?という興味があります。それが動機になるのかはわからないけれど、それぞれがイメージするほっとした暮らしを、風通しよく対話したらどうなるのだろう?という興味も動機になるのかな。
パーソナルな物語を通して
小野寺:
主観的な視点からのまなざしは自分の内面(コンプレックス)だけでなく、社会へも向けられています。だから、「tonarinogofuzine」で描かれている個人的な物語を通じて自分の内面にも向き合うきっかけにもなるし、他者の視点から社会を考えるきっかけにもなりました。それに、主観的なまなざしを客観視しようとする視点も持ち合わせていて、それが重くなりすぎないユーモアに繋がっていると感じます。ZINEに取り上げる内容の選択や、書くにあたって意識したことはありますか?
しいね:
『未知を放つ』の元となる内容、婚活や介護のこと、銀座での仕事や自身のコンプレックスのことなどは、とくにトピックスとして取り上げたかったというわけではないような気がしています。トピックスとして取り上げようとしていたら、もしかしたら内に向かっていたかもしれないなとも思います。
パーソナルな物語なので、読む人の状態によってはエネルギーを持っていかれてしまうかもしれない。内に向かったまま書いてしまわないように気をつけました。わたしがそのようなエネルギーを受けやすい傾向もあり、それを他者に向けないように気をつけたのですが、結果的に自身のこだわりやコンプレックスを癒していくことにもつながりました。
婚活のテーマは、たくさんの体験をしたわけではないけれど、体験を通して感じられたことがありました。レッテルを貼ること、貼られること、さまざまな人間がそれぞれに異なる視点を持っていること。コンプレックスや思い込みから、そのひと本来のまなざしが歪むこと。など気付きが興味深かったので、それを書きたくて。映画の、後ろ姿の写真の話にもつながります。
そのように感じたことは自分の話でありながら、せかいの誰かの話でもあるような気もしたのです。せかいの誰かの話になると、自然にやりとりがうまれていきませんか?自分はこう思う。自分はこうしたい。など、共感しなくてもやりとりがうまれる。"この人の話でしかない" と切り離すと、やりとりをすることは難しくなるような気がします。
もしわたしが正解を持っていて、オチのある話をしていたらやりとりはうまれなかったかもしれないです。婚活はこうしたらうまくいく。とか言っていたかもしれません。いや、ないか(笑)。 たまたまこうなったおかげで、やりとりがうまれました。人間なのに回転寿司の寿司皿の動きをしていたことは、ちょっと面白かったです。男性が高いお金を払うこと、それなのに水しか飲めなかったことも色々考えちゃいましたね。こんなことがあたりまえのように通っているのかと。
銀座での仕事、介護、自身のコンプレックスのことも、体験した人が伝えないと知られないエピソードだろうし、さまざまさの記録として書きました。「tonarinogofuzine」という名前なので、大きなくくりで捉えてしまうと入りづらいことも、入れそうだな。と思えるようなものにしたいと思いました。愛とは!というテーマだと果てしないような気持ちになりますが、婚活してみました。なら入口が近くなるような?ってこれも考えてそうしたわけではなくて、、
入れそうだな。と思えるようなものにしたかったという気持ちは、高校生のときに読んでいたZINEの体験からくるものかもしれないし、語彙力や文章力が高いわけではないからたまたまそうなったのかもしれないし、「tonarinogofuzine」という名前にひっぱられたのかもしれない?
人それぞれきっと、無意識のうちに気になってしまうことやどうしてもそうなってしまうこと、たまたまそうなっていったこと、よくわからなさ、体験した人が伝えないと伝わらないエピソードなどがあると思うので、他者のそのようなZINEも読んでみたいです。読んでみたいから作っているのかもしれません。こっちが動機になるのかな?笑
【後編(近日公開)に続く】
今後の出版活動へのサポートをお願いします