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「月に一度の散髪」

子供の頃から好きではなかった。

小学6年までは、「坊ちゃん刈り」
中学3年までは、「坊主」
高校3年までは、「普通」
大学3年までは、「よしだたくろうカット」
大学4年以降は、「普通」

今日に至っている。

床屋さんの椅子に座ってしまうと選択肢の余地はない。
任せるしかないのである。

「今日はどういう風にしますか。」と一応希望を聞かれる、

「刈り上げは、低く、上は長さを揃えてください。」
「もみあげはそのままで、お願いします。」

と希望をいうのだが、その通りやってもらったことはない。

椅子に座れば、もうまな板の鯉である。
カットが終わるのを待つしかない。
「早く終わってほしい!」と願うのみである。

「バリカン入れてもいいですね。」
「はい、お願いします。」

バリカンのスイッチを入れるや否や、迷いや躊躇は一切ない。
後頭部上まで、一気に刈り上げる。

「あっ」小さな声を漏らす。
それに反応して「大丈夫ですよね。」と声をかけられる。
「はい。」もう後の祭りだ。
刈り上げられた大事な髪の毛は、床に落ちている。

もみあげを剃る。
耳の上から剃っている。「もみあげがない!」心で叫んでいる。

もう後は、床屋さんの独壇場である。
鏡に映る頭にほとんど髪は残っていない。
年齢が10歳老けて見える程だ。

それでも、今日は何とか前回よりも前髪が残っている。
安堵の笑みを浮かべる自分が、鏡に映っている。

私の前の客が、スポーツ刈りで終わっていれば、
間違いなく、その刈り方に近いカットになってしまうのだ。
毎月、その様な思いをしている。

カットが終わると、頭を鏡に映し「よろしいですか。」
と最後に確認の問いかけがある。

「良い訳ないだろう」と心で叫んでいるが、
「はぃ。ありがとうございます。」と小さい声になっている。

刈る人は強者、刈られる人は弱者なのである。
その立場をよく考えて、「相手が願う」仕事をして欲しい。

1ヶ月後また同じ思いをするのだろう、、、。



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