おあとがよろしいようで(喜多川秦・幻冬舎)を読んで
落語のおあとがよろしいようで、というのは自分の話の終わり(オチ)がよかったという意味かと思っていたが、次に出る人の準備ができているという意味だと知った。
暖平は、なんとなく大学に入って、落語に出逢う。出会いが人を変える、という事を強く感じる。出会いがなく、ただ講義を聴くだけならつまらない大学生活になっていた事だろう。
暖平も個性的なんだけど、出会う仲間も個性的でいい人ばかりで、だから、別れは、より一層寂しく悲しい。それでも、時が経てば、いい思い出となるのだろう。
明日を楽しむためには、楽しむ準備をすればいい、というのが勉強になった。
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