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ダンナの実家と私の実家の違い

明日、2年ぶりにうちの実家に行くことになった。

そこで、今回、ダンナの実家とうちの実家の違いについて書きたいと思う。

私の家は貧乏だった

小学生の頃も大変な貧乏を味わったけど、父が再婚して大家族になった中2からの生活も貧乏生活だった。

それでも今思えば楽しかったけどね。

クリスマスに、親戚の方から、ケンタッキーフライドチキンの骨つきお肉1本をいただき、家族9人でどうやって分けて食べるか、色々工夫したのも思い出。

そういう貧乏生活に慣れているせいか、食べ物がたくさんあることに、私はあまり慣れないのかもしれない。

飲み会でも結婚式でも、最初からテーブルにたくさんの食材があると、見てるだけでお腹がいっぱいになってしまって、いっぱい食べられなくなる。
次から次と出てくるシステムの方が好き。

中2から住んでいた実家は、小さい畑もあったり、その頃は田んぼもあったので、貧乏でも食べるものにはそんなに困らなかった。
近くに住む親戚やご近所さんからの頂き物もあったし。
お肉やお魚はそんなに出ないし、豪華なものは出ないけど。

キャベツの千切りだけが続いて、その上にサバ缶が乗ってた時には「今日は、豪華だね!」と言って嬉しくなったりもした。 

なので、ダンナと付き合っていた時に、ダンナの実家へ遊びに行った時「ごめんね。カニしかなくて」と言って、タラバガニの大盛りを出された時は、ギョッとした。

「キャベツしかないけど」との違いにびっくりだ。

「アワビは食べれる?」
「ウニは食べれる?」
「ほやは食べれる?」
「いくら食べれる?」
などなど他にも色々と聞かれたけど、食べた事がないものだらけだったし、『高級な物を食べると次の日死ぬ』という私の中の謎の思い込みがあったので、沿岸に住んでいるダンナの実家の食べ物に対して、もったいないけど、ほとんど食べる事が出来なかった。

海産物は、沿岸だから、違いがあっても仕方ないかと思っていたけど、その他でも違いはあった。

結婚してから気づいたけど、年末年始の食べ物の量がハンパない。

うちの実家の10日分くらいが、1食として食卓に上がる。

お正月って、あまり家事をしないために、お節や煮物などがあるイメージだったんだけど、それらの食べ物がたくさんたくさんあるのに、その他に、お刺身、お寿司、しかも人数分プラス予備プラス巻き物数人前。さらにお肉、お餅などなど。
いっぱいあるのに、次々と出される新しい食べ物。

見るだけで気持ち悪くなる量。
いやいや、ありがたいことなんですよ。
なんですけど、20年以上経ってもなかなか慣れないもので…。

さらに、親戚の家から届けられる大量の手作りクレープ。

頑張って食べなければ、みな腐ってしまうので、やっつけ仕事のように口に運んだ。

正月休みは、私の胃腸にとって、かなりのブラック企業となる。

そのくらい本当に沢山の量の食事が用意される。

平日の出来事

平日の出来事でもそうだ。

例えば、ケーキやドーナツなどのお土産を買う時。

うちの実家では、人数分だけ買う。
これが普通だと思っていた。

色んな味のドーナツを人数分買っていくと、親も混じってジャンケン大会が始まる。

そこに遠慮や容赦という文字は存在しない。

ジャンケンで勝ったものから好きな物を選べるシステムだ。
ジャンケンではなく、トランプ大会で決めることもあった。

それが世の常だと思っていた。

それがどうだ。

ダンナの実家では、親は最後に取るのだ。
びっくりした。
私だけ1人ジャンケンポーズをしていた。

「いいから、好きなの取って」

こんなシステムがあったのか!

しかもしかもケーキなども人数分✖️3くらい買うのだ。
なので、迷って迷ってこれ!ということなく、これを先に食べて、次はこれとこれにしようみたいな、バイキング方式だ。
まさか、家でケーキバイキングができるだなんて、想像出来ただろうか…。

ただ、私はケーキが好きだけど、2個食べると確実に胸焼けを起こし具合が悪くなってしまうため、どの1個にするかは、結局迷うけど。

実家では、昔、パンをたまに買うことがあった。
あのスーパーなどで作り立てを売っているあれ。
匂いにやられて、そのスーパーに行くとついつい買ってしまう誘惑のあれ。
色々な種類のパンを選び、人数分しか買わない。
スーパーに行った者が吟味して1人1つ分を選んで買っていくのだ。

「どれにする?」と聞くということ、聞かれるということは、ジャンケンで負けた時、不利になる場合がある。
「これ、お姉ちゃんが食べたかったやつでしょ」と言って取られてしまう事がある。
ポーカーフェイスも大事だった。

そんな環境で育った私なので、ダンナの実家は、まさに、富豪としか思えなかった。

ダンナやダンナのお母さんは「お金がない」や「貧乏だから…」と言っていたけど…。

人の基準とはわからないものだ。

親戚の家

ダンナの親戚の家に行った時のことだ。
お父さんたち、男の人たちが居間で飲んでいた。

すると、私も呼ばれたので、なんの疑いもなく、コップを受け取り、ビールを飲んだ。

いいくらいに飲んで気づいた。

女の人で座って飲んでいるのは、私だけだと。

他の女の人たちは、台所にいて「まだあの人たち飲んでるよ」という面構えでいた。

ギョッとした。

うちの実家やうちの親戚の家では、女の人たちも飲みながら楽しんでいるから。
飲むのが普通だったから。

やってしまった…と思ったが、後の祭りだ。

そうか、よその家では、女の人は飲まずにお父さんたちが飲んでいるのを怪訝そうに見ながら、台所で、立ってご飯を食べるのか…と、初めて知った。

はっ‼️
立って食べる…これも一種のバイキング方式だったのか…。

今気づいた。

おまけ

カニが好きなダンナ。

昔、サラダに「オホーツク」という、カニカマを入れて出した事がある。

するとダンナ(その時は彼氏)は、全く食べなかった。
なので「あれ?カニ好きだよね」と言うと「俺、かまぼこ嫌いって言ってたよね」と言った。
私にはハテナだった。
なので「かまぼこなんか入れてないよ」と言うと「これ!」と言ってオホーツクを指差した。

えっえっえーーーっ‼️
オホーツクがカニではなく、かまぼこだということに初めて気づいた26歳の私。

うちの実家では「カニだぁ‼️」と、大喜びして食べていた、ご馳走のオホーツクが、カニではないという、衝撃の事実‼️

そのことをダンナがお義母さんに言ったところ「そんなの間違える人いないでしょ」と笑っていたが、私がモジモジしてるのを見て、一瞬で笑顔が消えた。
「え?マジか⁉️」と、驚きのご様子。

まとめ

そんな貧富の差があった私とダンナ。

今でも大量の食べ物に引いてしまう私。

幸せなことなんだけどね。

育ってきた環境が違うので、やっぱり価値観の違いは否めない。

『受け入れるのは負けることとは違います
 受け入れるとはただそれを認めるということです
 そこに理由はいりません
 ただ認めるだけでいいのです』

私に必要な言葉。

認めるだけの人になるぞ💪

最後までお読みいただきありがとうございます😊

幸せをありがとうございます🥰

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