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【小説】〜スピンオフ〜伊知子物語

お見舞いの帰り

「どうだった?真奈美ちゃんの様子」
と、車の外で出迎えてくれた石田が聞いた。

石田は、真奈美の病院へ来るため、車で送迎してくれた友人だ。
真奈美とも会ったことがあるが、自分は遠慮しておくよと、病院の駐車場で待っていてくれた。

久々に会った石田と亜弥は、挨拶を軽く交わし、亜弥のスーツケースを石田の車のトランクに詰め込んだ。

亜弥は、真奈美のお見舞いのために、電車とバスで来た。
病院で、亜弥に会ったことを石田にメールしたら、帰りは乗せて行くよと言ってくれたので、同乗することにしたのだ。

「それがさぁ」
と私が言ったところで、亜弥が
「また真奈美の勘違いだったんよ」
と言って、後部座席に乗り込んだ。

「え?勘違い?」と石田が聞いたので、私も
「そう。勘違い。ただの尿管結石だって」と答えて助手席に乗り込んだ。 

石田も運転席に乗り込み
「亜弥さん、東京駅まで?」と石田が聞いた。
「うん。これから大阪行かなあかんねん。だから、東京駅から新幹線で行くわ。新幹線でビール飲みながら行こう思ってる」と、ビールを飲む素振りをしながら亜弥が答えた。
「っつうか、私まで送ってもらって悪いね」と続けて亜弥は言った。

「いやいや。全然ですよ。なんなら、大阪まで送ってあげたいですけどねぇ」と石田が言うと
「いや、ここ神奈川やし。東京駅まででもめちゃくちゃ助かるわ。」と亜弥が言った。

「亜弥、明日から大阪公演?だっけ?」と私が聞くと
「あ、明日はゲネ。明後日初日。先週は仙台公演やったし。バッタバタや」と亜弥は答えた。
「まぁ、けど、大阪行く前に、真奈美に会えて良かったわ。ちょうど今日は何の予定もなかったしな。3人で会えたのも久々やったし」と亜弥が言ったので
「そうだね」と私も答えた。

「亜弥さんは、まだ芝居続けてて凄いよね。俺らは、もう全然やってないし…」と石田は言った。

すると亜弥は
「舞台は面白いし、やめられへん。私の歳でしかやられん役とかあるやろ。そこが狙い目や。年々、セリフ覚えるのがしんどくなってきたけどな」と言いながら、バックからファンデーションを取り出し、化粧を直し始めた。

「っていうか、伊知子と石ちゃん、ええ歳なんやから、もう一緒になったらええやん」と亜弥が急に言いだした。
「いや、だから、それはないんだって」と、私と石田は同時に答えた。

「そうか…。まぁ、ええけど。私も独り身やし…。気楽やしな…」と亜弥が言い、ファンデーションをバックに戻した。

そうそう。気楽気楽と私は心の中で思った。

「伊知子と俺は、そういうのなしなんですよね。なんていうか、仲間っていうか、親友っていうか…そういう…同士?みたいな?そんな感じなんだよね」とナビをいじりながら石田は答えていた。
「そうだね。仲間だね」と私も同調した。
「それに、俺、伊知子と一晩一緒にいてもそういう関係にならない自信あるし」と、亜弥に向かって意気揚々と自慢げに言う石田。
「いや、それ逆に私に失礼なんですけど。私に女の色気がないみたいじゃん。これでも数々の…」と言ったところでやめた。

やめたのに2人が
「数々の男運のなさ!」
「ダメンズばっかり引っかかる」と、笑いながら言った。
「あれはないわぁというやつばっかり行くからねぇ」と亜弥が言い出した。

ダメンズの話になりそうだったので、急いで話題を変える。
「いやぁ、けど、せっかくの休みに車出してもらって申し訳なかったよ。ありがとうね。石田」と、私が言うと
「どうせ何にもすることないし」と、石田が私の話に乗ってくれたので、ホッとした。

「いいドライブになったよ…って、ドライブなんて言ったら失礼か…。友達が大変な時に…」と、石田が申し訳なさそうに言った。

「あ、いや。違うの。さっきも言ったけど、真奈美の勘違いで、ただの尿管結石だったの。余命わずかなんかじゃなかったの」と慌てて私は言った。

ナビのセットを終えた石田が
「よし、じゃあ、出発するよ」と言って車を動かし始めた。


「え?で、なに?勘違い?」と、石田が聞いてきた。

「そうそう。そうなの。ただの勘違い。真奈美は、ただの尿管結石を癌だと勝手に思って、私らにメールしてきたんだよね」と答えた。
「なんや、研修医と医者がコソコソ話してたの見て、これは癌なんちゃうかって、思たんやて。真奈美って、しょっちゅう勘違いするからなぁ」と亜弥も付け足した。

「けどさぁ、尿管結石って痛いんだよ〜」と石田が痛々しい顔で言った。

「石田、尿管結石になったことあるの?」と聞くと
「ある。あれは泣く。男でも泣く!転がり回って泣く!俺、救急車に乗ったわぁ。けど、石さえ出れば大丈夫だし。良かったな。命に関わらなくて」と優しく言ってくれた。

「せやなぁ」と亜弥も同調した。

「救急車と言えばさ、映画の撮影の時、真奈美が盲腸になってさぁ、倒れたじゃん。あの時、私らどっちが救急車に乗るかで揉めたよねー」と私が言うと
「せやったなぁ。結局、桜孝次が乗ってったけどな」と亜弥が言いながら笑った。
すると石田が
「凄いよね。撮影の日っていったら、友達になってからそんなに日が経ってない頃でしょ?なのに、救急車に乗って付き添いたいって揉めるなんて…」と言ったので
「違う。違う」と、私と亜弥は否定した。
「え?」と言う顔をしている石田に
「救急車って、滅多に乗ることないやんか。だから、乗りたくて、乗りたくて…なぁ」と、亜弥が運転席と助手席の間に顔を出して言った。
「なんだよそれ」と石田は苦笑いをした。

「けどさぁ、真奈美、本当に死ぬかと思って、お世話になった人に手紙を書いたりしてたんだって。でさ、私らが行った時に、何かノートに書いてたから、何書いてるのか聞いたのよ。そしたら、半生を綴った手記だって。そんなの書いてたんだよ。」と、私は言った。
「へぇ。手記?凄いね」と石田が相槌を打った。「うん。びっくりしたよ。びっくりしたけどさ…、私たちももう50近いじゃん。ちょっと前までは『人生80年』とか言ってたじゃん。そしたら、もうその半分、余裕で過ぎてるわけよね?人生100年だとしてもさ、後半分だよ。ほぼ半分生きてきたんだよ。なんかさぁ、いろいろ考えちゃうよねぇ」と私は言った。

少し車の中に沈黙が流れた。

赤信号で止まっていると、横断歩道を小学校低学年くらいの女の子とベビーカーを押している母親が渡っていた。
横断歩道を渡り終えた母親が、なかなか渡り切らない女の子に
「早く来なさい!ホントにあんたは鈍臭いんだから!いい加減にしてよ!」と、怒鳴っていた。
歩行者用の信号機はもう点滅していた。
女の子は、急いで渡り切った。

こちらの信号が青になり、車をゆっくり走り出す石田。

通り過ぎる時に横目で見ていると、まだあの母親は、女の子に怒っているように見えた。

「あの女の子、かわいそう…。あの母親、あんな風に言わなくても…」と私が言うと
「まぁな。けど、危ないと思ったから、ちょっときつめに言ったんじゃないか?」と石田は言った。

ふぅん…と、返事をしたようなしないような感じで聞き流し、私は遠くを見た。

また少しの時間沈黙が続いた。

「私さぁ、あの子くらいの歳くらいかなぁ?母親嫌いになったの…。いや、もっと前からかな…」と、ポツリと言った。

「あぁ、伊知子、おかんとあんま上手くいってなかったもんなぁ。電話くると具合悪くなるとか、言うてたもんな」と亜弥が言った。

「あぁ、そんなこと俺もチラッと聞いたな。青森は私にとって鬼門だとか、伊知子言ってたな」と石田が言った。

「うん。今でも実家に電話する時…ちょっと…緊張する…」と言ってから、チラホラと昔のことを言い出した。


幼少期

青森生まれの私は、じいちゃん、ばあちゃん、父ちゃん、母ちゃん、私。3個下に弟、その2個下に妹、さらにその5個下に妹がいる8人家族だ。

じいちゃんは、昔漁師だった。
そして、父ちゃんには、8個だか10個だったか、ちょっと歳の離れたお兄さんがいた。そのお兄さんも漁師だった。

だけど、そのお兄さんは、若い頃に亡くなった。

家にある仏間に、父ちゃんのお兄さんの写真は飾られている。
ひいじいちゃんやひいばあちゃんたちの横に並んでいる父ちゃんに似ているお兄さんの写真。
若い父ちゃんみたいな顔をしていた。
なんで父ちゃんの写真があるのか、幼い頃聞いたら、お兄さんだよと教えてくれた。
けど、父ちゃんのお兄さんがどうして亡くなったのかは、ばあちゃんも父ちゃんもあんまり話したがらなかった。
船に乗っていた時に、海で亡くなったとしか言わなかった。

そのお兄さんが亡くなったことで、ばあちゃんの愛情は、父ちゃんへ一心に注がれるようになったという。
ばあちゃんは口癖のように
「あんたは漁師にはならんでいい」
「陸の仕事、ちゃんとやればいい」と言っていたらしい。

父ちゃんは、そもそも漁師になるつもりはなかったから、工業高校を卒業して、家の近くの工務店に勤めた。

そこで、事務をしていた母ちゃんと出会って結婚。
1年足らずで私が生まれた。

まだ母ちゃんも若かったこともあって、私の子育てと家事、それからばあちゃんと上手くいかなくて大変だったみたい。
よく1人で夜中泣いていたって、聞いたことがある。

父ちゃんも仕事が忙しい時期で、母ちゃんにかまってられなかったみたいだし。

昭和の男だから、そんなものだったのかもしれないし、面倒なことに巻き込まれたくない父ちゃんの性格から、知らないふりしてたのかもしれない。

私が3歳になる頃、弟が生まれた。
弟を妊娠中、母ちゃんはつわりがひどくて、その頃から私にあまり構ってくれなくなった。

ばあちゃんは、男の子が産まれたことが嬉しかったらしく、あからさまに私より弟を可愛がっていた。

ばあちゃんがあんまりにも可愛がるから、母ちゃんも弟を取られまいと、負けずに弟を溺愛していた。
ばあちゃんと母ちゃんで、弟の取り合い。
私は孤独を感じていた。

けど、それを見せないように、幼いながらに『優しいお姉ちゃん』を演じてた。
その方が「助かる」とか「ありがとう」って言ってもらえたから。
認めてもらえたような気になってた。

ただ、ベビーパウダーを弟の顔にパタパタとつけて、弟が死にかけたことあってさ。
弟がアップアップしてたの。
息できなくなって。
めちゃくちゃ怒られた。
私は手伝ってるつもりだったのに、弟殺すとこだった。

そこに、また2年経って妹が生まれた。

ますます私を構ってくれなくなり、私の孤独はますます強く感じるようになっていった。

私はその時幼かったから、あんまり覚えてないんだけど、父ちゃんは、その頃よく家にいないことがあった。

女の人がいたんだと思う。

たぶん相手は、母ちゃんが抜けた後に入ってきた事務の若い女の人。

父ちゃんと母ちゃんが夜中にものすごいケンカをしたことがあって…と言っても母ちゃんが泣いてわめきちらかしてただけなんだけど…。
その数日後に、その事務の人は、工務店からいなくなった。

けど、父ちゃんの浮気は、それだけで終わらなかった。

その後に事務員として入ってきた、ダンナさんも子どももいる人とも浮気した。
今度はそんなに若くない人。

その時も何回も帰ってこないことがあったから。
母ちゃんにもすぐ気づかれてた。

父ちゃんも何回も事務員に手をつけるって、芸がなさすぎるよね。

まぁ、事務員だけじゃなく、他にも浮気したみたいだけどね…。

父ちゃんは、家で面倒なことあるとすぐ逃げ出すのに、外では優しくて、面倒見がよくて。
優しくされた女の人はその父ちゃんの優しさにやられちゃうみたい。
父ちゃんも初めは相談を受けて、同情してたのが、それを愛情と間違えるのか、ふらふらっと、その女の人の方にいってしまうんだよね。
わかんないけど。
ただの、男のサガなのかもしれないし、家のゴタゴタから逃げたかっただけかもしれないけど。
父ちゃんは意外とモテたし。

父ちゃんが帰って来なくなると、母ちゃんの機嫌はめちゃくちゃ悪くなって…。

私が、ちょっとただをこねたり、ご飯を残すとか、こぼしたりすると、すんごい剣幕で怒ってさ。
ホント、鬼みたいだった。
何かが取り憑いてるみたいな、母ちゃんとは違う顔に見えた。

弟や妹がこぼした時にも私が怒られてさ。
あんたがちゃんと見てないからこんなことになるんでしょ!って怒られたこともあった。
ひどいよねぇ。
よく叩かれたりもしたよ。

私は、それでもいい子にしてたら母ちゃんが喜ぶと思って、一生懸命弟たちの面倒みたり、家の手伝いもしたんだけど、どうにも上手くいかなくてね…。
タイミングが悪いというのか…、やることなすこと空回りしちゃったりさ、いい子にしても怒られてたよ。

だから、母ちゃんの顔色ばかり伺ってた。
母ちゃんが喜べば、自分も嬉しくなったし、母ちゃんが悲しそうにしてると自分も悲しくなった。

…悲しくなったというより、悲しまなきゃいけない気がして、ドリフ見てても笑っちゃいけない気がして、我慢してた。
弟たちが無邪気にゲラゲラ笑ってるのを見て、羨ましくも思ったし、ムカついてもいたな…。

父ちゃんがいなくなってる数日間は、母ちゃんに寂しい思いをさせないようにって、ますます張り切ってたな。
母ちゃんのマッサージをしたりとかね。
悲しくならないで。怒らないでって祈りながら。
なのに、ばあちゃんが
「あの子が他に行くのは、あんたに責任があるんだ」とか嫌味を言うもんだから、ますます母ちゃんの機嫌は悪くなって、ヒステリーを起こしてた。

けど、不思議なのは、そのヒステリーを起こしてストレス発散するのは、必ず私だけだったってこと。

弟や妹たちにはそんなことしてなかったんだよね。

父ちゃんが久々に帰って来ると、母ちゃんは、すっごい笑顔になって、父ちゃんを迎えいれるの。
ご馳走も作って。
笑顔も作って。

それが私には、逆に恐怖でしかなかったけどね。
笑顔が怖いって最悪。
しかも母ちゃんの機嫌の良さはあからさま過ぎて、父ちゃんも引いてたと思う。
「やってあげてますよ」みたいな。
「あなたのためよ」みたいな。
媚を売るみたいな感じ。

私は、わざと、めいっぱいはしゃいだ。
父ちゃんがいると、嬉しいんだよ、楽しいんだよっていうことを、身体を使って、めいっぱいアピールした。

けどね、ものすごく頑張っている私より、弟や妹たちに父ちゃんは優しかった。

膝の上に抱っこするのは妹。
ゲームしたり、キャッチボールするのは弟。

一回、私も父ちゃんの膝の上に座ろうとしたんだけど、その時タイミングが悪かったのか、父ちゃんタバコ吸っててさ、
「あぶねーだろ!熱いんだぞ!」って言って、タバコの火を私の足に当てたことがあったんだよね…。

長い時間じゃなかったし、じゅう〜って押し当てた感じじゃなかったから、火傷とか大したことなかったけど、それでも熱かったのと、怖かったことは覚えてる。
悲しかったこともね…。
自分は受け入れられないんだ…って。
けど、なんでか、父ちゃんのことは嫌いになれなかった。


母ちゃんの機嫌のいいのは2、3日くらい。
そりゃそうだよね。
ムリして父ちゃんに媚び売ってたんだから。
疲れちゃうんだろうね。
すぐヒステリックになってた。
怒ったり泣いたり…。
私を理不尽に怒ったり…。
情緒不安定だった。

あぁ、今思い出したことがある。

2回かな?3回かな?
なんか、母ちゃんとどっか出かけたことがあったんだよね。
2人きりで。
何歳くらいだったかな?
8歳くらいだったかな…。

2人きりで出かけるなんて、滅多にないことだから、嬉しくてさ。

ついて行ったら、なんか、宗教?みたいな、不思議な集まりみたいなところだったんだよね。

女の人がたくさんいて、なんか、お経?みたいなのを唱えてた。
ちょっと異様な光景だった。

で、このことは絶対、他で言っちゃいけないって言われて。
それがなんか、母ちゃんと私だけの秘密のような気がして、特別みたいな、それが嬉しくてね。

けど、2回行っておしまいだった。

たぶん、お金だろうね。
寄付金とかお布施?とかが高くて通えなくなったんじやないかな?
まぁ、それはそれで良かったけどね。
怪しい集団だったから。

母ちゃん、たぶんその時、いっぱいいっぱいだったんだろうね。
精神的に。
誰かにすがりたい、何かにすがりたいって思ってたんだろうな…きっと。

また2人で出かけてさ、3回目行くのかと思ったら、海に着いたんだよね。

あぁ、そうだ。
私、そこで母ちゃんに殺されかけたんだ。

首を絞められた。
抱きしめられるのかと思ったら、首を絞めてきた…。

母ちゃんは、泣いてるような、怒っているような、よくわかんない表情で…。
私の首をぎゅーって…。

苦しくなってきて…。
苦しくて苦しくて…。

やめて…ってやっとの思いで声に出して言った。

そこで母ちゃんが我に戻ったのか、手を緩めてくれて…。


コーヒータイム

「コンビニあったから、コーヒーでも買う?」
石田が言って、現実に戻った。

話しながら私は泣いていた。

「あ、ごめん…。こんな話…」
と言うと
「あぁ、いいよ。伊知子の手記だろ」と石田が言った。
「書いてないけどな」と亜弥が言ってから車から降り、
「半生語るのもええんちゃう?」と言った。

私もコンビニに行こうと、涙を拭いていたら
「買ってくるよ。コーヒー、ブラックでいいだろ?」と石田が言ったので、うなづき、私はそのまま車で待つことにした。

人に話しているうちに、忘れかけていたことが思い出されてきた。
自分がどんなふうに思っていたのかも、母親に殺されかけたことも封印していたのかもしれない。
ただ、嫌だ、嫌いだとしか思っていなかったけど、本当は自分は、母親に愛されたかったんだって思えてきた。

それでもまだ、そんなことないという思いもある。

長年のこの苦しみが、母親から愛されたいという思いだなんて、思いたくもない…。
そんなふうにも思っていた。

この家に自分の居場所はないと思って、中学を卒業してすぐ上京したんだ。
弟たちに危害がいかないか、不安もあったけど、家にいるのが辛かった。
中学の先生からの勧めもあって、東京で働きながら定時制学校に行くという選択をしたんだ。

私が東京に行って、働きながら定時制の夜間高校に行くことは、初めは驚いていたけど、誰も反対はしなかった。

これが弟だったら、皆一斉に反対するのかなとも思ったけど、そんなこと確かめる気にもならなかったし、家を出ることだけに希望を持っていた。

あの時、東京を勧めてくれた先生に感謝した。

美容師になるという夢もなかったけど、日中美容院で働いて、夜定時制高校に行くことになった。

夢なんて、考えてもいなかったし。
家から出れればそれで良かった。


「はい。コーヒー」
亜弥が手渡してくれた。

「まだ泣いてんの?」と言われて、また自分が泣いていることに気づいた。

「あ、ごめん。なんか、色々また考えちゃってて…。」
慌てて、涙を拭きながら答えた。
涙を止めるためのコーヒータイムなのに、まだ泣いてるなんて…と思っていたら
「ええやん。泣いたら。ほんで?続き聞かせて」と亜弥が言った。

「いいの?こんな話」と言うと
「いいよ。伊知子の半生、聞かせてよ」と石田も優しく言ってくれた。

「スルメとチョコどっち食べる?」と亜弥が言ったので
「はぁ?スルメ?コーヒーとスルメってどういうこと?合わないでしょ」と笑って
「チョコ、いただきます」と言って、亜弥が買ってきた一口チョコをもらい、口に入れた。
甘くてとても美味しかった。
コーヒーの香りが車の中に充満した。
癒される気持ちになった。

「ほな、スルメは、新幹線で食べるわ」と言って亜弥はスルメをバックの中にしまった。

最初からそのつもりだったんだろうと思ったけど、そこは突っ込まず、上京した頃の話を話し出した。


上京

上京して驚いたのは、あんなに嫌だと思っていた実家だったのに、ホームシックになったことだ。
数日間、不覚にも泣いてしまった。

東京に慣れるためと、早く家を出たくて、入学する少し前に上京してきた。
友達もいないし、どこに行くにも全くわからなくて、不安だらけだった。

夜になると涙が出てきた。
そりゃそうだ。まだ中学を卒業したばかりの田舎者だったんだから。

4、5日してから実家に電話をしてみた。
電話には弟が出た。
電話の後ろでは、賑やかな声がしていた。
「あぁ、やっぱり、私はそこにいなくてもいい存在なんだな。何も変わらない日常なんだな」って、改めて思わされた。
弟たちに危害が及んでいないことの安心感もありつつ、寂しさもあった。

1番下の妹が
「お姉ちゃんと電話するー」と騒いで、電話を代わった。
1番下の妹は、家の中で唯一私の中で癒しだった。

年が10も離れているせいもあるのか、可愛かった。
弟たちに対する思いとは違う感情があった。

東京から青森に公衆電話から電話したら、テレフォンカードは、すぐなくなってしまい、妹がよくわからない話をしてるうちに、切れてしまった。

けど、それで良かったのかもしれない。
あの時、母ちゃんと電話代わってても何話していいかわかんなかったし。
泣いてしまったら、それこそ悔しかっただろうし。

私のホームシックは、その日を境におさまった。
そして、仕事も学校も始まって、バタバタしだしたから、ホームシックになってる暇はなくなった。

仕事は、初めの頃は、とにかく雑用だった。

早めにお店に行って掃除。
お客さんの髪を切った後にすぐ掃除。
タオルやらなにやらの片付けうんぬん。

シャンプーをさせてもらうようになったのは、もう少し先のことでね…。

シャンプーするようになると、手荒れが酷くなった。

あぁ、そうだ。
マサトとの最初の会話も手荒れからだったな…。

私が18歳くらいになった時に、マサトは私が働いていた店に来た。
チェーン店だったから、他の店から異動してきたの。

私より4つ上のマサト。
ザ・美容師って感じで、チャラチャラしてた。

あ、これ、私の勝手な美容師に対する偏見だね。
石田みたいにチャラくない美容師もいるからね。

夜、閉店してからマサトに、何か手渡したんだよね。
その時、私の手を見てマサトが
「手、荒れちゃってるね。かわいそう」って言って触ってきたの。
優しくそっと。

今思えば、キモッって思うんだけどさ、15で上京してきて、仕事と学校に明け暮れて、恋愛もしてこなかった私にしたら、王子が現れたかと思ったんだよね。
初恋だね。

マサトは、次の日、ちょっと高級ないい匂いのするハンドクリームを私にくれたの。

びっくりしたよ。
今まで人からプレゼントされるっていうこともなかったし、ハンドクリームなんて、ニベアくらいしか知らなかったから。

いい匂いがする、ちょっと高いハンドクリームをつけては、マサトを思い浮かべて、ニヤニヤしてた。

店でもマサトを目で追いかけるようになった。
マサトは、誰にでも優しかった。
お客さんにも、店で働く仲間たちにも。

自分だけが特別じゃないんだって、少し寂しくも思ったな…。

少しづつ使っていたハンドクリームがなくなる頃、閉店後のお店でマサトと2人きりになることがあった。

私は、カットの練習とかしてて、マサトは、お客さんにダイレクトメールみたいなのを書いてた。
1人1人、何か一言づつ手書きで書いてるの。
「ショートヘアもお似合いですね」とか「その後、髪の調子はどうですか?」とか。

チャラチャラしてるだけじゃなくて、マメなところもあって、それがお客さんの心も掴んでいるんだなって、感心したし、尊敬した。

「凄いですね」とかなんとか言って、色々マサトと話をした。
じっくりゆっくり話したのは、この時が初めてで、なんか、楽しくてね。

東京の人っていうか、ノリなのかな?それともマサト特有の何かなのかな?すごく居心地良くなったんだよね。会話してて。
こう…話をするとポンッと返してくるんだよね。
会話術があるの。
まぁ、そりゃそうか。
接客業だし。
とにかく、相槌のタイミングも、話のセンスもあって、楽しかった。

もう、そしたら、そっから私の恋が動き出したよね。
ただ、相手はモテモテだし、見てるだけで精一杯。時々、話をして幸せな気分になるのが精一杯だった。

けど、どんどん自分の気持ちを抑えられなくなってきてね。
半年くらい経った頃かな?
あぁ、19歳になった頃だ。
いきなり告ってしまったんだよね。
自分でもびっくりのタイミングで。
「好きです」って。

そしたらさ、マサトなんて言ったと思う?

「あー、うん」って。

え?それだけ?って思ったよね。

あれ?告白って、どうするんだ?この後…ってちょっと考えた。
初めての告白だったし。
「付き合ってください」っていうのかな?とか思ったけど、付き合うとかマサトにはないのかなとか、そもそも彼女いるのかな?とか、ぐるぐる考えちゃって…。
うわうわっ!私、何言ってんだ?
どうしたらいいんだ?って。

ってか、彼女からいたら、「彼女いるから」とか言うでしょ。それも言わないし。
私がムリなら「ごめん」とか言うでしょ。

それも言わないで「あ、うん」って言って、沈黙って、どうよ?

もう、背中にも額にも変な汗出まくってきたよ。
魔女の宅急便のジジみたいに、犬に見られてダラダラしちゃうあんな感じだよ。わかる?


沈黙が流れた後、マサトが時計をふと見て
「あー、飲みにでも行く?」
って。

え?
だったよね。
私、今、告ったよね?
で、返事が飲みに行く?
って、どういうこと?
これが東京人の返事?みたいな。
しかも、私その時19になったばかりだったし。
飲みに?
え?え?みたいな…。

けど…行ったよね…。
行くよね…。

マサトに合わせて、ちょっとビール飲んでみたけど、苦くて。
その後も酎ハイとか飲んでみたけど…美味しくなかった。
あの頃は、今みたいに居酒屋に、カクテルとかもなかったじゃない。
酎ハイを頼むと、ジョッキに焼酎と氷が入ってて、テーブルの片隅にある、レモンとか、グレープフルーツとか、梅とか入れるスタイルでさ。
かき氷にかけるシロップみたいなやつ。
あれを入れてたじゃん。
あれもまずかった〜。
レモンなんか、トイレの芳香剤の匂いがしたよねぇ。
あの、昔学校とかにあったトイレにぶら下がってるレモンの形をした芳香剤。
あの匂い。
知らない?
うっわっ!くさっ!まずっ!って思いながら、それでも合わせなきゃって、ムリして飲んでた。

飲みに行ってからもマサトは、告白の返事をすることもなく、普通に会話してた。

私の化粧についてとか、美容についてとか、もう少し女子力あげた方がいいとか。
美にこだわれって。
美容師は、そういうところにも気を使わなきゃないだよって。
そんなことばっかり話してた。

なんか、軽く振られてる感じになったんだけどさ…。

持ち帰りされた。
私の処女、マサトに捧げた。
告白の返事もないままね。

私は彼女になったと思ってたんだけど、違った。
マサトには、他にも女がたくさんいた。

けど、それを知ったのは後になってから。

知ってからも私は関係を切ることが出来なかった。ズルズルズルズル。
2年半。
ズルズル。

今日こそ別れようと思ってもマサトに会うと、ダメだった。
そのままズルズルだった…。

来るもの拒まず、去るもの追わずなんだろうね。

私からさよならしなければ、この恋は終わらないのね。ずるい人…大人のやり方ね…ため息ひとつまたわなかける…って、中森明菜になってたよ。

他の人愛せたらいいのだけれど、それはちょっと出来ない相談ね…
『禁句』カラオケでよく歌ってたな。

その頃だよね。
石田がうちの店に来たのは。


別れ

石田と同じ店で働くようになって、数ヶ月した頃だっけ?
石田が芝居見に行かない?って言ってくれたんだよね。
小さな劇団の旗揚げ公演でさ。 
興味なかったけど、なんとなく行ったんだよね。

あの芝居は、面白かった。

面白いと思ってたら、その劇団で『団員募集』っていうチラシ配っててさ、なんかわかんないけど、私、入団しちゃったんだよね。

マサトとの関係も切りたくなってた頃だったし、ちょっとしてから店も辞めて、劇団員になった。

で、そのままマサトとも別れられた。

それからは、バイト生活。
バイトして、夜稽古して、楽しかった。
マサトのことも考える暇ないくらい充実してた。


1年くらいそんな生活が続いて、時々石田も芝居に出たりしたよね。
石田は、仕事の傍ら、趣味で芝居に参加してさ。
楽しかったよね。

そんな時、私のセカンドラブが始まったんだよね。

恋も2度目なら少しは上手に愛のメッセージ伝えたい…あなたのセーター袖口摘んでうつむくだけなんて…ってな感じの恋ではなかったけどさ。

抱き上げて連れてって時間ごと…ってさ、あの遊助を連れてって欲しかったわ。

バイト先で知り合った遊助。
私のアパートに転がり込んできてさ、2週間くらいしたら、バイトにも行かなくなって…。
私のアパートにずっといた。
ずっとずっとゲームしてた。

お金がなくなると、私が1000円とか渡してた。
遊助に渡した額、いくらになったんだろ…。

光熱費、家賃、食費全て私が払ってて、その上での毎日1000円だからね…。
半年くらいそんな生活だった。
出て行ってって言っても出て行かないし。ってか、出ていけなかったのかもしれないけど。

ホント、抱き上げて連れてってって感じだったわ。どこかへ運んで欲しかった。


その頃じいちゃんが亡くなって、青森に帰ったんだよね。
上京して初めて帰ったのかもしれない。

遊助には、私が青森に行ってる間に出て行くように行った。
バイト仲間の力も借りて、新しい仕事と住むところを遊助に提供した。
それでやっと遊助を追い出すことが出来た。


久しぶりに帰った実家は、やっぱり居心地が悪かった。

葬式から初七日までずっと頭痛がしてた。
なんとか体調不良の中、終わらせて、東京に帰ってきた時には、帯状疱疹が出た。

しばらくバイトも休まなきゃならないくらい体調が戻らなかった。
熱は出るし、身体は痛痒いし。

居酒屋のバイトも楽しかったけど、辞めた。
辞めて、パン屋のバイトを始めた。

そこでも私は年下の彼氏を作って、ダメンズを作った。
甘え上手な光くんに、私はどんどん世話を焼いて、お母さんみたいになった。
だから、光くんも働かなくなったし、浮気までした。
完全にお母さんだったんだろうね。
「彼女が出来ました」って言われた時には、え?じゃあ私って何?って思ったよね…。

ダメンズを好きになるのか、私がダメンズを作るのかわかんないけど…。
とにかく女癖悪い、働かなくなる、金せびってくる…そんなんばっかだった。


転機

自分の劇団の舞台にも出てたけど、他の大きな劇団の芝居にも出たくてオーディション受けたり、映画のオーディションにもよく受けに行ってた。

26.7くらいだっけ?
真奈美と亜弥に出会ったのは。

亜弥は、今と変わらず…いや、今よりもっと派手な服着てたから目立ってた。
いつも私が受けるオーディションにいるし、気になってた。

だから、声かけたんだよね。
その次のオーディションでは、真奈美に声かけた。

なんか、気になる2人だったんだ。

私、男見る目はないけど、友達見る目はあるから。

オーディションの後、3人で飲みに行ったのも楽しかったし、映画撮影の夜も楽しかった。

あの時勇気出して声かけて良かったって、心から思ったな。


そういえば、あの時の映画、ばあちゃんも母ちゃんも見に行ったって、弟から聞いたな。

ばあちゃんが映画を見に行くなんてことなかったからびっくりした。
ばあちゃんとは違う日に、母ちゃんも映画を見に行ったみたいで、家にパンフレットが2冊あるって弟が言ってた。

パンフレットに私の写真も名前もないのにね。
なんか、嬉しそうだったって。
弟がさ、言ってきたよ。

その時は、は?って思ってたけど、今思えば、それはそれでありがたいことだったなって。

だって、うちの家から映画館って、かなり遠いし、決心して行かないと行ける距離じゃないからね。

ばあちゃんなんか、耳も足も悪くなってるのに、わざわざ行ってさ。
弟が車に乗せて行ったみたいだけど。

弟ばっかり可愛がってたと思ってたけど、私も愛されてたのかもしれないな…って思ったよ。
いや、単に弟の車に乗せられて出かけたかったっていうのだったかもしれないけどさ。

真実なんて、どうでもいいかなって。
ばあちゃんがどう思ってたか、本当のことはわかんないけど、私がどこをどう感じるか…が大事でさ…。

母ちゃんもいっぱいいっぱいで、私にかまってくれなかったり、理不尽に怒ったりしてたけど、ちゃんとご飯食べさせてくれたしね。
それも愛かもね…。


東京駅の近くに着いた。

「亜弥さん、時間大丈夫ですか?新幹線」と、石田が亜弥に聞いた。
「あぁ、大丈夫。ビール買う時間もあるわ」と亜弥が答えた。

「私ばっかり話してごめんね」と言うと
「ええよ。伊知子の半生、おもろかったで。あ、いや、おもろかった言うたら言葉悪いな。なんか、色々考えさせられたわ。うちら、まだ親離れしてないんやな」と亜弥が言った。

「え?親離れ?してるじゃん…」と言うと
「いや、してへんわ。それに、今、ムリに感謝の言葉、言わなくてもええんちゃう?あんたはええ子すぎるわ」と亜弥は言った。

私は、亜弥の言っている意味がすぐにはわからなかった。

そして、車を止められるところに行き、トランクから亜弥の荷物を取り出し、亜弥とは別れた。
別れ際、
「石ちゃん、今日は、ほんまありがとうな。感謝やで。これ、心ばかしや。ええか?おかんに言うたらあかんで」と言って、石田に飴玉を握りしめさせた。

石田も笑って、飴を握りしめたまま、手を振った。

私が、後部座席に亜弥の忘れ物がないか確認すると、封筒が置いてあった。
あ、忘れ物と思って手に取ると、中にはお金が入っていた。

「忘れ物〜」と言ったが、亜弥はそのまま後ろも向かず、手を振って行ってしまった。

そこにメールが来た。
亜弥からだ。
「それは石ちゃんに。今日の運転手代や」と。

「ありがとうって、石田から。
来週の東京公演、石田と観に行くからね。大阪公演頑張って」と返信した。

車に乗り、石田と話をしながら、うちまで送ってもらった。

「ばあちゃんが亡くなって3年経つんだ。ばあちゃん100歳まで生きたの。大往生だよね。私、お葬式行かなくてさ。今度の休み帰ろうかな…」と、ポツリと言った。

「送ってく?」と、石田が笑いながら言った。

「青森だよ。新幹線で行くよ」と言い、外の景色を見た。

なんだか、さっきまでの景色と違って見えた。
外の緑がものすごく緑色に濃く、色づいて見える。
街並みがキラキラして見える。
雨上がりのような、キラキラした世界に見えた。

どういうことだろう…。

そうか。
泣いたからか…。

今まで心に蓋をしていた気持ちを吐き出して、友達に聞いてもらい、涙を流したことで、過去が浄化されたのかもしれない。

私はそんなことを思っていた。

そこへ実家の母から電話が来た。
出ていいよと、石田が言ってくれたので、電話に出た。

母の電話によると父の体調が悪くなっているという話だった。
「今度の休みに帰るよ」と言って電話を切った。

まだ、電話を受ける時には、チクンと胸が痛かった。
ドキドキもした。
それでも頭痛はしなかった。

「やっぱりこれは青森に行けってことだね」と言った。
「そうかもな。伊知子の過去を清算する時がきたのかもな」と石田が優しく言ってくれた。


…清算か…。
亜弥の言っていた親離れが出来ていないっていう意味を確かめる時がきたのかもなと思った。

50歳を手前に、やっと過去を見つめて、前に進んでいけるような気がした。


家に着き
「石田、今日は色々本当にありがとう。救われたよ」とお礼を言って別れた。

石田は
「おう!じゃあまた。亜弥さんの東京公演の日に!」と言って帰って行った。

青森に石田についきてもらおうかと一瞬よぎったが、それはすぐ打ち消して、家の中に入った。

家に入ると真奈美からメールが届いた。

「石が出ました。明日退院します。私の第二章が始まります」と。

「おめでとう」と返信した。

伊知子の第二章もそろそろ始まる。





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