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春馬くんの未来はまだまだ続いていく

またしても今日も、春馬くんに関して聞きたくもない記事が出ていた。

春馬くんがいなくなったあの日以来、どんどん春馬くんにはまっていくにつれ、ネットで「三浦春馬」を検索せずにはいられなかった。2020年のGoogle検索ランキングの1位に春馬くんが上がっていたが、私も票を稼いでいた一人だと思う。

春馬くんの過去映像やインタビュー記事やファンの方のブログや・・・とにかく検索にヒットするものは片っ端から見た。

こんなことになる前の私の春馬くんのイメージは・・・

とにかくイケメン!!イケメンの男性の多くがそうであるように自信満々でちょっと斜に構えてて、いつでも余裕で、女の子なんかすぐに落とせるからちょっと傲慢で、小さい頃からチヤホヤされてきてイケメンてだけで5割増しいや10割増しに評価されてきたから意外とほんとは中身そんなでもなくて・・・でも、かっこいいだけでその笑顔で世界を幸せにするから、それだけで人類に貢献してるから、いいのよね(笑) そういうの嫌いじゃないの、私。

・・・という・・・ほんとに何も知らなかったものだから、まるでイケメンに対する偏見のイメージ。

でも、いろいろ見ていくうちに、まったくもってほとんど180度真逆の人だと思い知らされた。

特に、過去のバラエティや舞台挨拶、インタビューの映像など見ていると、もう、清らかさ、謙虚さ、優しさ、可愛らしさの塊なのである。

そして、今までドラマやCMの春馬くんしか知らなかったけど、舞台も、歌も、なに!?本まで出してるの!?しかも、どれもすごいプロフェッショナル&ハイクオリティじゃん!

また、春馬くんの周りの人たちのコメント見ると、春馬くんがどれだけ気遣いの人、優しい人だったのかがわかる。

驚きの連続。見る見る私の春馬くんに対するイメージは覆されてしまった。

これが、偏見通りの俺様イケメンだったなら、こんなに春馬くんにはまることはなかったと思う。

春馬くんにはまっていくと同時に、週刊誌などが発信する春馬くんの死に関するさまざな憶測も目にすることになった。読んでいて辛くなるものもたくさんあった。

私は、それなりに大人の年齢なので、それらを鵜呑みにすることはほとんどないのだが、それらを読んで鵜呑みにしてしまう人がたくさんいるだろうということに心が痛んだ。

昨日、今日もそのような記事が出ていた。

確かに、春馬くんの不在は、ふと目が覚めた朝絶望的な気持ちを連れてくることはあるけど、そして、やはり解を得られない「どうして去ってしまったの?どうして?」という疑問は、時折無限のループとして襲ってくるけど・・・

私たちは、春馬くんのリアルな日常には触れていない。真実は、春馬くんしか知りえないし、憶測はやはり憶測でしかなく・・・

春馬くん自身がもし知られたくないことがあるのならば、それを暴くことは、やはり春馬くんの意志に反しているわけで、やはり私はそうしたくはないと思うのだ。

春馬くんがいなくなってから数日後に、目にした記事にとても救われた。そう、私が見たいのはこういう記事。CDBさん、ありがとう。

冒頭、このように切り出されている。

彼の死ではなく、彼の生について書こうと思う。彼がなぜ死んだのかではなく、彼がどう生きていたのか、僕が最後に見た舞台のことを書きとめておこうと思う。

その後、春馬くんが、最後の舞台『ホイッスル・ダウン・ザ・ウィンド』の千秋楽で語ったことの事実が述べられている。どれだけ共演者に敬意と感謝を込めたか、そして、エンターテイメントに対する想いと未来をどれだけ熱く真摯に語ったか。

こうも書いていた。

もしかしたらこれから先、各社の報道は彼の死の理由を探るのかもしれない。僕らの知らない「このような理由があって死んだ」という報道は、まるでラストシーンが映画の意味を決定するように、彼の人生の意味を塗り替えようとするのかもしれない。 でもそれは間違いだ。2020年の7月18日に起きたことは、彼が30年生きた日々のたった1日でしかない。その死は確かに彼の人生の一部だが、それは大きなジグソーパズルの一片でしかなく、オセロゲームの終端に置かれたコマのように、人生の意味をパタパタとひっくり返して色を変えていくものではない。死は逆算して生を定義するものではなく、生の最後の一部として片隅に置かれるべきものなのだ。

そうだ、そうなんだ。この死によって、春馬くんの人生の意味を塗り替えるのは間違いなんだ。春馬くんの生きてきた30年間のきらめきと残してくれた作品を色褪せさせるものではないのだ。

最後のページに書いてあったこと。

これからも新しいファンが三浦春馬に出会う

多くのファンが彼との別れを悲しんでいる。でも多分、もっと多くのまだ見ぬファンがこれから初めて三浦春馬に出会うのだ。2020年のネットフリックスで、旧作を上映する映画館で、21世紀生まれの少年少女がオードリー・ヘプバーンやリバー・フェニックスや、松田優作や夏目雅子に初めて出会い恋に落ちるように、今ここで彼の死を悲しみ、別れを惜しむファンの何倍もの新しいファンが、これからの未来の時間で再生される過去の作品の中で、初めて三浦春馬に出会うだろう。

かくいう私も、春馬くんの新しいファンである。聞くところによると、私のように、春馬くんがいなくなってからファンになったという方がたくさんいるらしい。そして、これからも、動画配信サービスやテレビのロードショーやいろんなところで春馬くんに出会い、恋をする新しいファンがたくさんいるに違いない。なんだか希望の光が見えた。春馬くんには、未来がある。春馬くんの未来はまだまだ続いていくんだ。

そして、最後の文。

だから少しでも多くの人が、SNSやメディアや、あるいは日常の場所で、彼の死ではなく彼の生の記憶を語り続けてくれることを望む。未来のファンたちが道に迷わないように、彼が何者であり、何者でありたいと願ったのか、彼が生きた目印をできるだけ多く残してくれることを望む。30歳で死んだ俳優としてではなく、30歳まで生真面目に、そして懸命に生きた俳優として、三浦春馬を僕たちの社会が記憶するために。

この方の言うように、どうか、どうか・・・。誰かへの誹謗中傷や悲しい憶測ではなく、春馬くんの作品がどれだけ素晴らしいか春馬くんの軌跡を語ってほしい。春馬くんの作品をたくさん広めてほしい。そして、春馬くんとリアルに接した方たちは、春馬くんとの思い出を、春馬くんへの愛をもっと語ってほしい。

そういう希望に触れたくて、今日も私は「三浦春馬」を検索する。


いただいたサポートは三浦春馬くんの作品鑑賞や媒体購入に充てさせていただき、更なる春馬くんへの愛につなげたいと思います。