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どうしようもないこと〜映画「イニシェリン島の精霊」

「イニシェリン島の精霊」、好き嫌いが分かれる、いや“嫌い“な人が一定数いる映画だろう。私は妻から「どうしてこんな映画に連れてきたのか」となじられた。私の後方に座っていた女性は、途中で退席した。しかし、高評価も散見され、週刊文春2月9日号の“CINEMA CHART“で、芝山幹郎氏は五つ星満点をつけている。

そのことを表す指標をもう一つ。ROTTEN TOMATOESを見ると、批評家のスコアは97%がポジティブだが、観客の方は75%。批評家のコンセンサスとして、こうコメントされている。

Featuring some of Martin McDonagh's finest work and a pair of outstanding lead performances, The Banshees of Inisherin is a finely crafted feel-bad treat.


監督のマーティン・マクドナー(前作は「スリー・ビルボード」)の手腕と、主演の二人、コリン・ファレルとブレンダン・グリーソンの好演に触れた上で、<美しくそして巧みに作り上げられた、“気分が悪くなる“楽しみを与える>とされている。

本作は、ゴールデングローブ賞の、ミュージカル/コメディ部門を受賞した。音楽は重要な位置を占めるが、ミュージカルではない。“ブラック・コメディ“と言われているようだが、とても笑える話ではない。

ではどんな映画なのか。ごく親しい友人がいるとしよう。日常的に、頻繁に接しているが、ある時その存在が疎ましく感じるようになる。少し距離を置こうとするが、その友人は無遠慮に一線を踏み越えてくる。無理に遠ざけようとすると友人を傷つけることになる。しかし、それはどうしようもないことである。

人間同士は、この距離感を微妙に測りながら上手く付き合っていく。それが、一般的な状況である。しかし、その間合いが掴めない人、相手に近づかなくてはいられない人がいるのも現実かもしれない。こうした、“空気“の読めない、狂的とも言える状況はなぜ作られるのか。性格なのか、環境なのか、それとも別の要素があるのか。

そんな二人の男の話だと、私は感じた。どうしようもないこと、それは時にはとても辛いことである。

時代は、アイルランド内戦の時代。本島では、“どうしようもない“理由から、争いが続いている。映画の舞台は、イニシェリンという架空の島。内戦からは遠く離れているが、なんとも淋しい場所である。“平和“である場所は、必ずしも幸福ではない。

そうした空間に漂うのは、何か良からぬことが起こる空気であり、見るものは“気分が悪く“なる。

原題は、“The Banshees of Inisherin“。“Banshees“を“精霊“と訳しているが、“バンシー“の意味はこうである。

<家に死者が出るとき、恐ろしい泣き声でそれを知らせるという女の妖精>(新英和大辞典)



なお、本作はアカデミー賞作品賞等、主要8部門の候補作にもなっている


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