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久方ぶりのハードボイルド小説〜ロス・マクドナルド「動く標的」

高校から大学時代にかけてが、ハードボイルド・ミステリーを一番読んだ頃だろう。当時は、読むべき三大巨匠として、ダシール・ハメット(1894-1961)、レイモンド・チャンドラー(1888-1959)、ロス・マクドナルド〜通称ロスマク(1915-1983)と認識していた。三大探偵は、それぞれが描いた、サム・スペード、フィリップ・マーロウ、リュウ・アーチャーである。

ハメットは、「マルタの鷹」、「血の収穫」、「ガラスの鍵」を読んだと思う。チャンドラーは、ほぼ全ての長編。一方、ロスマクは、 「さむけ」を読んだのみで、むしろ対象は、ミッキー・スピレインのシンプルな小説や、これらの世界を蘇らせた“ネオ・ハードボイルド“、「名無しのオプシリーズ」のビル・プロンジーニ(1943ー)などに広がった。また、北方謙三が1981年「弔鐘はるかなり」で和製ハードボイルド作家としてデビューし、そちらにも興味が移った。

最近は、ハードボイルド小説と言えば、村上春樹訳のチャンドラーの一連の長編新訳で、これは全て読んでいるが、その他となるととんとご無沙汰だった。

そんな時、創元推理文庫で、ローレンス・ブロック作品の翻訳などで知られる田口俊樹氏が、ハードボイルドの名作を新訳で出し始めたことを知った。

「血の収穫」、チャンドラーの「長いお別れ」、それらに先立ち最初に手がけたのがロスマクの「動く標的」である。

「動く標的」は、探偵リュウ・アーチャーが初めて登場する作品で、ポール・ニューマン主演で映画化もされた、代表作である。

ちょうど良い機会と、読み始めた。

探偵リュウ・アーチャーは、依頼人ミセス・サンプソンの住むカリフォルニアの海沿いのお屋敷街へと赴く。 大邸宅で、彼女から依頼された事案は、主人サンプソン氏の失踪である。ラスヴェガスの別荘から、自家用ジェットでロスアンジェルスに着いたサンプソン氏だが、<お抱えパイロットをまいてどこかへ消え>たとのこと。

物語は、アーチャーがサンプソン氏の居場所を突き止めるという、シンプルな軸を保ちながら(それは、アーチャーの探偵としての矜持を保つことでもある)、その鍵を握る人物=標的が変化する、つまり「動く標的」、原題The Moving Targetを突き止めていく。

ハメットの小説は、ほとんど記憶にないが、再読したチャンドラー作品に比べると、ストーリーが分かりやすい。

とは言え、単純な謎解き小説という感じではなく、チャンドラーと同様に印象的な表現が散りばめられる。

例えば、重要な登場人物の一人、サンプソン氏の娘、メリンダを乗せ、自動車を運転飛ばすシーン。メリンダは自分も車を猛スピードで走らせることがあると話し、その理由についてこう語る。<「退屈なときにやるのよ。何か出会えるかもしれないって自分に言い聞かせて。何かまったく新しいことにね。道路上にあって、剥き出しで、きらきらしている、いわば動く標的に」>

あるいは、ロスアンジェルスの郊外、ブエナヴィスタにあるレストランをアーチャーが調査のために訪ねる。うらぶれた感じの店を、アーチャーは一人称で書かれた小説の中で、こう表現する。<戦争特需でよかった頃を思わせるのは、靴に踏まれてすり減った床と、ぐらぐらするテーブルと、酔っぱらいの思い出が壁にしみついたにおいと、酔っぱらいの希望のようなぼろぼろの飾り付けだけだった>。

ミステリー小説として楽しめたと同時に、ハードボイルド特有の空気を吸い込めた。そのような読後感だった


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