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ジョン・フォード監督の不思議な映画〜「タバコ・ロード」

しつこくジョン・フォード監督ネタである。名画座「シネマヴェーラ渋谷」で、9月10日〜10月7日に“蓮實重彦セレクション 二十一正規のジョン・フォードPart II“という特集が上映された。折角なので、一本くらい見ようと、週末のプログラムを見ると、例の蓮實重彦“ジョン・フォードこの20本!“に入っている、「タバコ・ロード」が上映される。この映画は、配信では見ることができない。

映画の冒頭、「タバコ・ロード」の舞台版(原作はこちら)は、1933年12月にニューヨークで初演され、その後ロングランとなり、アメリカの劇場における長期公演記録を塗り替えたことが示される。この事実が、映画を見る間中、私の頭の中に留まっていた。

そして画面に映し出されるのは、ケンタッキー州のタバコ・ロード。かつては、タバコの栽培で富んだ土地だが、今や荒れ果てた土地となっている。そこに住むレスター家族、老夫妻と息子・娘の四人暮らし。貧困のどん底にあるが、映画はそれを喜劇的な姿として提示する。息子はちょっと頭のネジが外れているし、娘はむさ苦しい姿。演じるジーン・ティアニーの美しさがなければ、ただただ惨めな人々である。

巻き起こる出来事は、笑うに笑えないことばかりである。これは喜劇なのだろうか、それとも時代に取り残された、アメリカの田舎町に住む老人が直面する悲劇なのだろうか。1941年の映画であり、原作は1932年、舞台版は前述の通り1933年、100年近くの時を経ているが、この映画が取り上げる光景は、形を変えて今も現実なのではないだろうか。

ジョン・フォード監督は、厳しい日常を軽やかに描く。したがって、重苦しさは感じない。かえってそれが心の中にぐっと残る。決して、明るく楽しいドラマではないが、何か崇高なものが存在している。

「タバコ・ロード」の舞台版には観衆が詰めかけ、ロングランとなった。もちろん、舞台版がどのような演出かは知らないし、映画とは違っただろう。それでも、アメリカの農村地帯における悲劇的な状況を、喜劇として描いた構造は同じだったろう。

どのような気持ちで、舞台の監修、そして1941年当時の映画の観客はこの作品を受け止めたのだろう。

この映画は見るべき作品であったと思う。それはなぜなのか、私は明確な回答を持ち合わせない。想像するに、劇場があるのは都市である。ただし、そこに集う多くの人々には故郷があり、そこに残した両親がある人もいるだろう。そんなことにも思いを馳せながら、「タバコ・ロード」は観られたのかもしれない。

蓮實重彦著「ジョン・フォード論」を買ったので、「タバコ・ロード」に関する記述を探してみた。

ジョン・フォードは、“Shall We Gather at the River“という曲が好きで、様々な映画に使用しているが、<その曲が最初に主要な作中人物によって歌われたのは「タバコ・ロード」だ>と書いている。さらに、<映画の終わり近く>、この曲は老人ホームを目指す老夫婦のバックに、<過度の抒情には行きつくことのない穏やかなメロディーとして>流れる。そして、この場面について<フォードの演出がもっとも冴えわたり、もっとも充実した瞬間>と書いている。

終演後、出口付近でマスク姿の柄本明を見かけた。柄本一家は、映画フリークだが、この小さな映画館で開かれている“ジョン・フォード特集“に柄本さんが来ていて、なんだか嬉しくなった


*同曲が使用された、8本のフォード作品から編集されている。冒頭に「タバコ・ロード」で歌われるシーン、後半に老夫婦のシーンが登場する。後半のみを切り取ったものもあった


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