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三浦文彰x清水和音 ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会II(その1)〜「ハイリゲンシュタットの遺書」

若き天才ヴァイオリニスト三浦文彰も30歳を超えた。今年、彼が取り組んでいるプロジェクトの一つが、ピアニスト清水和音と組んだ、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会。会場は、サントリーホール。

1回目は先約があり聴けなかったのだが、今回は無事に席に着くことができた。

ステージに登場した二人は、黒を基調にした装い。三浦君はいつもの通り、リラックスした感じで位置につく。

最初の曲は、ヴァイオリン・ソナタ第3番 Op12-3 変ホ長調。ベートーヴェンは1797年から翌年にかけ、3つのヴァイオリン・ソナタを作るがその最後の曲。ベートーヴェンは27歳前後、モーツァルトやハイドンら先達の影響も受けながら、ピアノ協奏曲1・2番、ピアノ・ソナタなどの作曲を進め始めた頃である。

この第3番は、まだベートーヴェン的な深刻はさほどないが、印象的なフレーズが散りばめられ、ちょっとした遊び心も感じられる。何度か、こうしたライブでも聴いているが、とても心地よい曲である。(こちらは、クレーメル/アルゲリッチが演奏する第1楽章)

三浦文彰は、美しいポスチャーで、バイオリンから自然に音を奏でる。この日弾いているのは、グァルネリ・デル・ジェス(イエスのグァルネリ)、良い音である。それを、清水和音のピアノが、しっかりと支えている。

本作の頃から、ベートーヴェンは聴力の低下が始まる。1800年のヴァイオリン・ソナタ第4番、翌01年第5番“春“を経て、1802年31歳の年に作られたのが、作品30の第6〜8番である。

この頃、ベートーヴェンの耳の状態は悪化を辿っていた。ヴァイオリン・ソナタの三つの連作は春頃に完成したようだが、同じ頃に養生のためウィーンを離れ、郊外のハイリゲンシュタットに移る。

ベートーヴェンは、この年の秋、二人の弟宛てに「ハイリゲンシュタットの遺書」を書く。そこで、<他の人々にとってよりも私にはいっそう完全なものではならない一つの感覚(聴覚)>(ロマン・ロラン著 片山敏彦訳「ベートーヴェンの生涯〜ハイリゲンシュタットの遺言」より、以下同)が失われていくことを嘆く。

<人々の集まりへ近づくと、自分の病状を気づかれはしまいかという恐ろしい不安が私の心を襲う>、そして<みずから自分の生命を絶つところまでにはほんの少しのところであった>。

第6番イ長調は、そんな不安を押し殺すかのように、穏やかな作品である。そして、第3楽章の変奏曲は、ベートーヴェンの豊富なアイデアが披露される。

ベートヴェンは生きた、ヴァイオリン・ソナタ第6番に続く連作を完成させた後も。<私を引き留めたものはただ「芸術」である。自分が使命を自覚している仕事を仕遂げないでこの世を見捨ててはならないように想われたのだ>。

200年以上の時を経て、東京の地で二人の日本人音楽家がベートーヴェンの想いを再現している。一種の奇跡ではないだろうか。

コンサートは休憩に入る(続く)


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