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1974年の甲子園〜銚子商業の優勝、“かちわり“と釣り堀

夏の甲子園、高校野球が開催されている。観客も入り、ブラスバンドの応援も復活した。コロナ禍で、チーム編成・調整に苦労しているチームもあるが、今年は雨の影響もここまでは少なく、順調に進んでいる。

大会前、懐かしい名前を目にした。千葉県の銚子商業である。かつては強豪で鳴らしたが、近年は私学勢に押され、最後に甲子園に出場したのは2005年。その銚子商業が、県の春季大会で準優勝。17年ぶりの甲子園出場が期待されたのだ。

残念ながら、甲子園出場はならなかったが、僕の記憶が呼び覚まされた。

甲子園で高校野球を初めて見たのは、1974年の夏、中学校1年の時である。そして、最初に見た試合が、PL学園対銚子商業の試合だった。

当時、PL学園の人文字(1987年の映像)による応援が話題で、学校の友達と朝から甲子園に向かい、PLとは反対側、銚子商業のアルプス・スタンドに座った。

あの頃は、高校野球を熱心に見ていた時代。週刊誌の特集号を買って、各校の注目選手をチェックしていた。1974年には、“高校四天王“と呼ばれるピッチャーがいた。横浜高校の永川英植(ドラフト:ヤクルト1位指名)、鹿児島実業の定岡正二(巨人1位)、土浦日大の工藤一彦(阪神2位)、そして銚子商業の土屋正勝(中日1位)である。

銚子商業は、エース土屋を擁し、4番には2年生の篠塚利夫(巨人1位)が座り、5−1でPLを撃破した。これで勢いに乗ったのか、当時“黒潮打線“といわれた打線が好調、守っては3回戦以降は1点も許さず圧倒的な強さで優勝する。憎たらしいほどであった。

僕の観戦に戻ると、第2試合は定岡の鹿児島実業と、東京都の校成学園。暑い夏の甲子園、名物は“かちわり“である。金魚すくいのビニール袋に氷が入り、ストローが刺されている。それだけのものである。でも、これを顔に当てたり、少し溶けた水をチューチュー吸ったり、甲子園以外では味わえない楽しみである。

試合の方は1−0、定岡の完封で鹿児島実が勝利する。なお、この大会では、横浜高校を破って出場した、東海大相模の1年生コンビがデビューを飾る。原辰徳(東海大学を経て巨人1位)、津末英明(ドラフト外で日本ハム)である。定岡の鹿児島実は準々決勝で東海大相模と対決、死闘の末、勝利する。続く、準決勝では山口の防府商とあたるのだが、定岡は途中で腕を負傷、チームは敗戦。痛々しい姿でベンチから見守る定岡の姿が、印象的だった。 

甲子園に戻ろう。第3試合は、静岡商と福島商だったのだが、この辺りになると野球観戦も飽きてくる。球場を出て、近くの釣り堀で遊んだ。

その後も、何度か甲子園に行ったが、朝早く行き、“かちわり“を買い、昼は球場でカレーを食べ、途中で見るのをやめて釣り堀に行くというのがパターン化した。

先日、「村上ラジオ」を聞いていたら、村上春樹も“かちわり“の思い出を語っていた。僕と同じように、“かちわり“を楽しむ。そして、試合に飽きたら甲子園の浜で泳いだと話していた。僕らの頃は、甲子園の浜で泳ぐなんてことはできなかったと思う。

時代は違うが(村上さんと私は一回り違い)、同じような行動パターンだったのだ。

社会人になってから、甲子園で高校野球を見たことはない。久方ぶりに、観戦に行きたくなった

甲子園と“かちわり“と釣り堀、夏の思い出でした


*今は袋が立派になっています

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