伊丹十三の映画が観られる‼︎(その5)〜宮本信子を礼賛する「あげまん」
日本映画専門チャンネルの伊丹十三劇場、3月11日の放送は「あげまん」(1990年)である。男に運をもたらし、成功に導く女、“あげまん“は“マルサ“に続いて、伊丹十三が世に出した流行語となった。
改めて、この映画を見ると、伊丹十三からとの妻、宮本信子へのラブ・レターのようにも見える。今、NHKBSで1981年の朝の連続テレビ小説「本日も晴天なり」が再放送されている。主演は原日出子、彼女の母親役に宮本信子、父親には伊丹十三作品には欠かせない津川雅彦である。なお、宮本信子が主演する、伊丹十三監督第一作「お葬式」は1984年である。
「本日も晴天なり」の頃、宮本信子は30代半ば、主役でもおかしくない年齢である。それでも、母親役、老け役を見事にこなしている。かかる状況の中、伊丹十三は、脇役中心の宮本信子を自身の映画で主役につけ、さらに「うちの女房は、本当はこんないい女なんだぞ!」とアピールした映画が「あげまん」のように思える。彼女のバストトップが映る場面(なんの“必然性“もない)があるのだが、まさしくその証左のようなショットである。
宮本演じるナヨコは、幼くして芸者の置屋に身を置き、半玉(芸者見習い)となり、僧侶に水揚げされ、囲いものとなる。すると、その僧侶の地位はトントン拍子に上がっていく。その後、僧侶は他界しナヨコは堅気の世界へと転身するのだった。
独身となったナヨコに、コンピューターを利用したマッチング会社の男(橋爪功)がアプローチする。彼が、相手をすすめるに際して放つ言葉がいい。出てきた相手に驚愕するナヨコに対し、「問題はね、あなたの好みの男じゃないの、あなたに必要な男なの」。名言であり、ここを間違える人が結構多い。
それにしても、マッチングアプリで出会うことが普通になっている現在から考えると、これまた伊丹十三の先見性が現れた場面である。
しばしば、字幕を挟む作り方は、無声映画へのリスペクトのように見えるし、フェデリコ・フェリーニへのトリビュートのような白黒シーンも登場、名作映画へのオマージュと思しきシーンも楽しい。
政治と金の問題、そこに関与する金融機関など、社会性もチラホラ見せて、興味深いのだが、メインテーマは“男と女“である。そして、宮本信子が三味線をつまびくシーンを見ると、彼女は伊丹十三にとっての“あげまん“であり、そのことを全面的に礼賛したのがこの映画であると思うのだ
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