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94回目の「牡丹灯籠」@本多劇場と三遊亭圓朝(その2)〜志の輔が導く“原作“の世界

(承前)

“志の輔版“として演じられた、三遊亭圓朝作の「怪談 牡丹灯籠」。“原作“つまり、圓朝の口演はどのようなものだったのか。

岩波文庫の「怪談 牡丹灯籠」、奥野信太郎の解説によると、圓朝二十三〜四歳のころの作品とされている。圓朝は1839年生まれ、したがって、1862〜3年の頃に作られたとすると、1867年の大政奉還に向けて、日本が大きく変化していく時代である。

なお、圓朝はすでに新作を作っていたが、後世にまで残る有名作としては最初のものと言える。この作品が今も書物として残っているのは、明治十七年に速記本が出版されたからであり、そのことについて立川志の輔は、若林かん(王ヘンに甘)蔵・酒井昇造という速記者の名前を挙げて舞台で語っていた。二人は、人形町末広における十五日間の興行に通い、圓朝の落語を速記した。落語を速記するという初めての試みであり、さぞや苦労があったと考えられる。

また、明治十七年〜1884年に出版されたということは、「牡丹灯籠」が圓朝の十八番として長年演じられて来たことを表している。つまり、速記本を出してみようと思わせた人気作だったということである。なお、日本最初の言文一致体で書かれた小説と言われる二葉亭四迷の「浮雲」の第一編が書かれたのは1887年であり、圓朝「牡丹灯籠」が日本の近代小説の最初とも言える。

「牡丹灯籠」はもちろん“落語“の記録であるが、小説として読んでも、滅法面白い。

「牡丹灯籠」は2つの流れから構成され、前半、圓朝はこの二つの流れを交互に語っていく。一つは、“怪談 牡丹灯籠“から始まる、お露・新三郎、伴蔵・おみねを主要人物とする怪異譚である。つまり、昨日書いた「圓生百席」始めとする“現代落語版“で演じられる流れである。これを速記本の章立てに従って、「偶数章」と呼ぼう。

そして、もう一つが旗本・飯島平左衛門に仕える黒川孝助の仇討ち物語である。こちらは「奇数章」である。

お露というのは飯島平左衛門の娘であり、直接的なつながりがあるのだが、両方の流れに登場する人物は、一見無関係のようだが、さまざまな因縁でつながり合い、また医者の山本志丈という狂言回し的な存在により結びつき、後半は2つの流れが一つに合わさり、クライマックスのへと転がっていく。これが、「十七章以降」である。

“現代落語版“は、仇討ちの流れをカットするため、「偶数章」と「十七章以降」の前半が演じられ、勧善懲悪のクライマックスが演じられないのだ。

志の輔は、「牡丹灯籠」が単なる怪談ではなく、それを一つの見せ場としつつ展開される仇討ち物語であると知り、この面白い長編を現代へと持ち込んだのである。

志の輔は、圓朝の話のダイジェスト版を語るのではなく、まず前半で「奇数章」の部分を抜き出して、登場人物名がレイアウトされたボードを使って、聴衆の頭の中にインプットする。それは、後半を楽しむ上で、重要な情報である。その上で、後半は落語として「偶数章」「十七章以降」をクライマックスまで語る。回数を重ねることによって、脇役である山本志丈を志の輔的キャラクターに仕立て上げたことも、書いておこう。

今も「牡丹灯籠」の中核として演じられる、死んだお露が愛する萩原新三郎の元に通ってくるというエピソードは、中国の書にあると言われている。それでは、圓朝がその話をなぜ仇討ち物語で包んだのか。怪談だけで一編としなかったのか。

そのことについては明日


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