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94回目の「牡丹灯籠」@本多劇場と三遊亭圓朝(その1)〜立川志の輔、圧巻の総合話芸

2006年から続いてきた、下北沢夏の風物詩、立川志の輔による「志の輔版・牡丹灯籠」。今年でファイナルとなる。私は数年前に観ることができたが、最終回となったので、再見しようと出かけた。本公演は千秋楽で百回となるため、それを一つの区切りとした。私が観た8月12日は。第94回となる。

落語ファンはご存知の通り、「牡丹灯籠」は江戸時代から明治期に活躍した名人、三遊亭圓朝の作になる。圓朝は、「真景累ヶ淵」「文七元結」「死神」など、今も古典落語の大ネタとして演じされる作品を自作自演し、そのいくつかは歌舞伎の演目にもなっている。

彼を題材にした評伝・小説もいくつか書かれており、私は奥山景布子の「圓朝」を面白く読んだ。

「牡丹灯籠」は、圓朝が寄席で“続き物“として連日口演した作品、30時間近い大作だが、志の輔はこれを一回の公演で全編を披露するという試みを始めた。それが、17年前のことである。

前半、志の輔は立ち姿で、下北沢での若き修行時代のエピソード、“下北沢と私“を軽く話す。そして、「牡丹灯籠」に登場する数多くの人物名を配したボードが降ろされ、本題へと入っていく。

「牡丹灯籠」の世界の全体像を観客に理解させ、キーとなる人物の相関関係を説明していく。“説明“と言っても、それは講義のようなものではなく、あくまでも“話芸“となっている。

後半は、高座に座っての、いわゆる落語となる。一般に「牡丹灯籠」の名場面と言えば、 美女と美男の馴れ初めから、タイトルの“牡丹灯籠“が登場する怪談噺へと発展する、通称“お露新三郎“から“お札はがし“。志の輔も、ここから始める。

ちなみに、昭和の名人、三遊亭圓生が後世の手本となるよう録音した「圓生百席」「牡丹灯籠」は、前述の有名場面から、栗橋宿における“おみね殺し“、“関口屋ゆすり“までで、前半で志の輔が解説した部分、及び物語のフィナーレはカットされている。志の輔が前半でダイジェスト口演した部分を知らなくとも、楽しめる構造になっており、現在「牡丹灯籠」として演じられているのは、圓生が取り上げた部分がほとんどである。

ただし、「圓生百席」で録音された部分だけでは、 本作のメインテーマが分からない。志の輔が全編を演じる、一つの動機でもある。

それでは、なぜ全てが演じられないか。一番大きな要因は、圓朝の時代のように、長い続きものを毎日寄せに通って聴くというライフスタイルが消え去ったことだろう。加えて考えられる理由については、後日記載することにする。

志の輔の凄いところは、落語という枠組みから一旦離れて、一回の公演で完結する“総合話芸“(私が勝手に作った言葉だが)として、楽しめる作品にするにはどうすれば良いかを考え、実践したところである。もちろん、志の輔の企みは、観客に刺さり、100回を数えるロングラン公演へと作り上げた。

3時間半近くに及ぶ、 密度の高い“総合話芸“に満足しない観客がいるのだろうか。同行した妻も、感心することしきり。

志の輔にとっては94回目、我々にとっては2回目の「志の輔版・牡丹灯籠」。名演だった。

明日は、原作つまり圓朝の高座はどのようなもので、メインテーマはなんだったのか。志の輔はこれをいかに換骨奪胎したかを書く


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