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興奮、怒り、そして・・・〜伊澤理江著「黒い海 船は突然、海へ消えた」(その1)

ずっと気になっていた本の一つ、ジャーナリストの伊澤理江が2022年12月に上梓した「黒い海 船は突然、海に沈んだ」。大宅壮一ノンフィクション賞などを受賞した本作を読んだ、一気に読んだ、そうさせる内容の一冊だった。

出版した講談社は、本作に次のような惹句をつけている。

<本書は実話であり、ミステリーでもある>

私も、読み始めは、“ミステリー“という側面からの興奮に押されてページを進めた。しかし、この本はもっともっと奥深いものだった。

本作の幕開けは小説のようである。千葉県銚子沖の海にいた漁船、第58寿和丸(すわまる)は、パラシュート・アンカーによる漂泊に入る。荒天の時でも、安全にしのげる「パラ泊」といわれる方法である。宮城県塩釜港を出て、約3週間の間カツオを追いかけ、疲労が蓄積してきた20人の乗組員に休息を与えるための休日に入ったのだ。2008年6月23日のことである。

<パラ泊中の船内に、やや気が緩んだような時間が流れていた。午後1時10分ごろ。〜(中略)〜右舷前方からの「ドスン」という衝撃を感じた。わずかに、静かに、船体が右へ傾く。>

さらに、2度目の強い衝撃、昼寝をしようとしていた船員の一人、豊田はこれまで経験したことのない異様な音を耳にし、<「これはやばい。沈む」瞬時にそう直感した>。

豊田ら、3名の乗組員は、油で真っ黒になっていた海の中を、奇跡的に生き延びた。そして、17人が不帰となった。

もちろん、これは小説ではなく、実際に起きた海難事故である。なぜ、第58寿和丸が沈んだのか。国は、波が原因だとした。

11年後、著者の伊澤理江は、<ちょっとした偶然>でこの事故を知り、同船を所有していた酢屋商店の社長、野崎哲と対面する。野崎は話した。<波だっていうけど・・・納得できねぇよな。>

こうして、伊澤の取材が始まり、私はそれに引き込まれていった。

最初は、“ミステリー“を読むような興奮だった、しかしそれは“怒り“に変わっていく。

例えば、事故当時、野崎社長は、運輸安全委員会に署名を持って潜水調査をお願いする。しかし、調査官はこう言う。<1番は旅客の事故です。2番は商船です、3番目に漁船の事故がきます>。つまり、漁船の事故は優先順位が低いので、潜水調査はできないと言うのだ。

「板子一枚下は地獄」で表現される水産の時代は終わっている。命の価値に差をつけるような差別は不当だと言い返した野崎社長に、官僚は<「はははは」と声を出して笑ったという>。

野崎の悔しさも受け、著者は当時の調査に関わった人々に粘り強くアプローチする。難しい立場にも関わらず、話してくれる関係者もいるが、国側に残る資料は、“守秘義務“の名の下、ことごとく開示されない。

「民は由(よ)らしむべし、知らしむべからず」という言葉がある。<民衆には、支配者につごうの悪いことは知らせてはならない、ただ服従させておけばよい(三省堂国語辞典第七版)>という意味で、また日本の官僚の得意な隠蔽かと、私は思った。

しかし、著者が書き綴るのは、そんな“単純“なことではなかった

(続く)


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