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“ルフィ“の手下の背後にある“こわいもの“〜川上未映子「黄色い家」

私が日常的に訪れる書店の平積みや、“推し“の棚で今年一番目立っていたのは、川上未映子の「黄色い家」だった。今は、もちろん村上春樹である。

川上未映子は昨年2月「春はこわいもの」を上梓、彼女の感性が輝く短編集であった。素晴らしい作品だが、ファンは長編を待ったろう。2019年の「夏物語」の次に放たれる世界は何かと。

「黄色い家」には、目を背けたくなる現実がある。

主人公の伊藤花は、若い頃に“黄美子さん“という女性と出会い、「黄色い家」で数年間同居生活を送る。そこには、彼女たち以外にも、“現実“に直面する女性たちが集まる。小説の冒頭は、それから20年近い時が経ち、花が吉川黄美子の逮捕、その裁判についてのニュースに遭遇する場面が提示される。容疑は同居人女性の監禁・暴行である。

物語は過去に遡り、花たちが懸命に生きていく姿が綴られていく。“懸命“とは、<力いっぱいがんばること。いのちがけ(広辞苑第七版)>である。

フィリピン在住の“ルフィ“が中心となり、実行犯グループを組織した犯罪集団のニュースが巷をにぎわした。その他にも、“黒幕”にあやつられ犯罪行為に手を染めてしまう人々、若者がいる。

彼らは一括りにされ、「どうしてそんなことを」、「バカな奴ら」、「人生棒に振った」などと思われているだろう。しかし、その行為は決して許されるものではないが、その背後には個々人特有の事情がある。彼らなりに“懸命“に“いのちがけ“で生きている。

その背後に光を当てようとする人は、犯罪の真因として「若者の貧困」「格差社会」「将来に対する絶望」といったことを唱えるかもしれない。こうした一般化を否定するものではないが、小説あるいは小説家の役割の一つは、全体の中の個性に焦点を当てて、人間の複雑性について提示することではないか。「黄色い家」を読みながら、そんなことを考えた。

桐野夏生と重なるようにも思った。桐野夏生の場合は、村野ミロシリーズといった、ミステリー小説からスタートし、犯罪小説を書き進むことによって、人間の奥に潜む“邪悪性“、それを発現させる環境について、これでもかとえぐっていった。

川上未映子の軌跡は、桐野とは異なる。簡単に言うと芥川賞ルートと江戸川乱歩賞直木賞ルート(桐野は両賞作家)の違いである。しかし、桐野が「OUT」「ダーク」で到達した場所と、「黄色い部屋」の立ち位置がオーバーラップしているように感じたのだ。

ただし、両者の小説の読後感は明らかに違う。それを説明することは難しいが、違う世界なのである。

「黄色い家」を書いた彼女、季節を巡ったのち、色のついた世界を書いた川上未映子は、これからどこへ行くのだろう


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