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談志の好きな世界を演じる〜「談春五夜」二日目

GW期間中に浅草公会堂で開かれている、立川談春の独演会「談春五夜」は、意欲的な5日間である。「紺屋高尾」、「居残り左平次」「慶安太平記」の連続語り、圓朝もの「札所の霊験」、歌舞伎にもなっている人情噺「髪結新三」、そして怪談話「妲己のお百」である。(5月6日、「札所の霊験」の日は、チケット販売していた)

私は二日目に行った。先行抽選に応募した時は、演目は知らず、5月2日、GW中だが平日で当選しやすいだろうと思い選んだだけだった。その後、判明した演目は「慶安太平記〜吉田の焼き打ち」そして「妲己のお百」。談春の口演は聴いたことのなかったネタである。

登場した談春は、さして笑いのないネタが並んだ二日目に来場してくれたことに感謝を述べ、これらは「自分がやりたいから並べている」、「教わった通り完全コピーすればよい題目」と話した。

「慶安太平記」、講談や浪曲でよく語られた演目。徳川幕府転覆を狙う由井正雪の話である。ただし、男子はこの長い物語の中で、その一味となる坊主、善達のエピソードを落語として語った。

初日に「慶安太平記〜宇都ノ谷峠」と発端を話しているので、そのパートについては談志の音源を聴いて高座にのぞんだ。「談志百席」では“善達の旅立ち“というタイトルになっているが、その冒頭で「慶安」を得意演目とした浪曲師の初代木村重松そしてその弟子のエピソードに触れる。この話は、談志が愛した講談や浪曲へのオマージュでもあると思う。

その思いを談春が引き継ぎ、落語としての笑いも取りながら演じた。

そして後半の「妲己のお百」である。これは“体験“とも言える、素晴らしい口演だった。

「妲己」というのは、悪女・毒婦の代名詞で、中国・殷の紂王の寵愛を受けた女である。民を虐げ、王を翻弄し贅沢を極めたと言われ、その楽しみ方が“酒池肉林“の語源となっている。さらに、インドで釈迦、日本で鳥羽天皇などを悩ませたという伝説がある。

その「妲己」の名を冠するのが妲己のお百、深川芸者の小さんという異名で登場する。

前半は、小さんが不幸な境遇の母娘を助ける話から始まる。事前の情報がなければ、ひょっとした人情噺かと思う展開である。しかし、聞き手はこの話は怪談であること、「妲己」と言われた小さんは決して善人でないことを知っている。故に、この優しさがいつ、どのような形で変貌するのかを思いながら聴いている。

小さんは、母娘が「良い人」だと信じうる親切心と、いつかは反転する悪心の両面が同居する存在でなければならず、 談春の演じる女はまさしくそれであった。この前半と後半の落差と、「あの小さんであれば」という納得感が感じられなければならない。

その後、ドラマは急展開していき、小さんは本性を表し、新たな悪人が巻き込まれ、鳴り物や照明の演出も入りながら怪談話へと暗転する。1時間の長講・熱演であった。

終演後、談春は客席の空気を受けて、笑いを求めていた観客に対するお詫びの言葉を述べた。確かに、GWの真っ只中にふさわしくない、重い話ではある。しかし、客席の空気はそのような反応ではなく、「凄いものを聴いた」という、貴重な落語体験に対する反応であり、それは決してネガティブなものではなく、じんわりと体に染み入るような感動だったように思う。

少なくとも私はそうである。

「妲己のお百」も、立川談志以外の落語家では聴いたことのない演目。「談春五夜」の二日目は、談志が愛した世界を、談春が自分が演りたいネタとして演じた夜だった



なお、開口一番で登場したのは、弟子の立川こはる。「岸流島」を演じた。談春は、厳しいコメントをしていたが、着実に力を付けていると思った。談春曰く、「10人弟子が入り、残ったのは2人」。厳しい修行をくぐり抜けているはず。真打も近いはずである。頑張ってほしい



*こちらは師匠、立川談志の「妲己のお百」


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