三谷昇を悼んで〜黒澤明監督「どですかでん」
俳優の三谷昇、今年の1月に90歳で亡くなった。極めて特徴的な風貌で、脇役として多くのドラマや映画に出演、“怪演“と言える芝居も多く見せてきた。
爆笑問題の太田光が、ラジオ番組「火曜ジャンク爆笑問題カーボーイ」で、三谷昇の思い出に触れ、映画「どですかでん」での彼の演技について触れていた。
「どですかでん」(1970年)、未見だったのでU-NEXTで観た。貧しい集落で暮らす様々な人々。家中に電車の絵を貼る六ちゃん(頭師佳孝)は、運転士として電車を走らせる夢想の中で生きている。「どですかでん」というのは、彼が発する電車の走行音である。
原作は山本周五郎の短編集「季節のない街」。この中のいくつかのエピソードを使って、社会の底辺で生きる人たちの群衆劇に仕上げている。
1963年、黒澤明は「天国と地獄」を世に出す。誘拐事件を描いたこの作品は、何度見ても面白い名作だと思う。面白いだけではなく、ドラマの裏側にある“天国“と“地獄“、つまり社会の中での格差を浮かび上がらせている。
続く作品が1965年の「赤ひげ」。やはり山本周五郎原作で、貧しい人々を診療する医師“赤ひげ“ を演じる三船敏郎と、その養生所に見習いとして派遣される加山雄三。私には、「どですかでん」はその延長線上、“地獄“をさらに掘り下げようとした作品に見える。さらに、本作は黒澤の初カラー作品。映画美術的なものが、これまで以上に加わる。
肝心の三谷昇だが、地獄のさらに下にいる浮浪者の役。浮浪児の少年とともに、残り物をもらって暮らしているが、素晴らしい居宅を作ることを夢見ている。三谷昇追悼で観ているせいなのか、彼らのシーンがとても印象に残る。居宅のイメージ画像は、初のカラー作品で黒澤明は、その絵心を投影している。
もちろん、三谷のみならず、芥川比呂志始め、役者陣の個性・迫力は凄まじい。その中で、奈良岡朋子の美しさが際立つ。音楽は武満徹。
観終わって、小林信彦が黒澤作品をリアルタイムで観た体験を中心に語った、「黒澤明という時代」をチェックした。
<「赤ひげ」から「どですかでん」までは 五年間の《空白》がある。黒澤明にしてみれば、五十五歳から六十歳までが作家としての《空白》になるわけで、映画監督としてはこれは苦しい。>
サラリーマンの五十五歳は、ある種最後の仕上げの時期、経験・体力ともにピークに達するタイミングであり、それを考えると、そのタイミングで作品が作れなかったのである。
なぜなのか、日本から海外に進出しようと考えた黒澤は、アメリカで機関車が1時間40分にわたって暴走したという事件にヒントを得て、「暴走機関車」という映画を企画したが失敗。さらに、1968年、真珠湾攻撃を描いた「トラ・トラ・トラ」の監督を解任される。
そうした中での、「どですかでん」である。伴淳三郎、三波春夫らコメディアンも登場したが、<《明るく、軽く、楽しく》という黒澤明の狙い通りにはゆかず、元画家志望だった監督らしく、原色カラーが前面に出ている。興行成績は不調だった>。
公開の翌年、1971年<テレビは、黒澤明の自裁未遂を報じた>。
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