手塚治虫文化賞は受賞しなかったが〜近藤ようこ「高丘親王航海記」
今年も手塚治虫文化賞が発表された。一昨年の高浜寛「ニュクスの角灯(ランタン)」、昨年の山下和美「ランド」と大いに楽しませてもらったので、注目していた。
候補作の中の近藤ようこ「高丘親王航海記」は、随分前に気になって購入してあった。残念ながら、マンガ大賞受賞とはならなかったが、そろそろ読まねばと寝かせてあった本を取り出した〜電子書籍なので正確にはダウンロードした。
1970年代後半から80年代にかけて、漫画雑誌「ガロ」を毎号買っていた時期があった。近藤ようこは、「ガロ」に書いていたので、その作品には触れていた。つげ義晴の影響を感じられる、ちょっと不思議なタッチの絵で独特の世界が描かれていたと記憶する。ただ、単行本を買うまでには至らず、その後は疎遠になっていた。
その近藤ようこが、澁澤龍彦の最後の小説「高丘親王航海記」をマンガ化したという記事を目にし、惹かれたのである。ただし、私は澁澤龍彦の本は一冊も読んだことはない。漠然と、フランス文学との関わり、幻想的な小説といったイメージを持ちつつ、興味はあったが触れることはなかった。
好意的に書かれた記事が近藤ようこについての記憶を呼び起こし、澁澤の世界を彼女の作品を通じて覗いてみたいと思ったのだ。
高丘親王は、平安時代初期の809年、嵯峨天皇の皇太子に立てられるが、翌年の“薬子の変”で廃される。その後、出家し空海の弟子となる。高丘親王は仏教を深掘りするため、唐にわたるが、さらに天竺を目指し旅に出る。それを描いたのが、「高丘親王航海記」である。なお、薬子は重要な登場人物である。
こんなシーンがある。なぜ天竺を目指すのか問われた親王は、<仏法を求めるにきまっている>と思いつつ、薬子との会話を思い出し、<はたして自分は本当に求法のために渡天をくわだてたのだろうか>、<天竺への好奇心のためだったのでは>と自問自答し、<「求法は渡天はわたしにとって同義なのである」>と応える。
まさしく仏法を極めるた目に、好奇心と偶然の導くままに、高丘親王は、様々な国を訪れ、現地の人々と交流し、不思議な生き物と遭遇する。その世界は現実のものなのか、夢物語なのか、終始ふわふわと浮遊するかのように、高丘親王とその一行を旅を続ける。
例えば、こうである。<マライ半島中部>にあった盤盤国に一行は到着する。太守は仏教を大事にしているのだが、ひとり娘の体調が悪い。バラモンの意見では、よい夢ばかり食べている獏(バク)の肉を食わせよと。夢見役として白羽の矢が立った親王は、薬子の夢を見る。その夢を食べた獏は食肉となり、姫は元気になる。薬子、親王、姫が夢と獏を介してつながるのである。
近藤ようこの、無駄を排した絵と、物語の世界がマッチし、なんとも言えず心地の良い読書体験となる。彼女にしか表現できない世界であり、改めてマンガの可能性の広さを感じさせてくれる。
澁澤龍彦の原作、ちょっと読んでみたくなったのだが、作者のインタビュー記事にコメントされていた
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