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多和田葉子作品を初めて読む〜「地球にちりばめられて」

今年のノーベル文学賞はノルウェーの劇作家ヨン・フォッセに決まった。これを受けて朝日新聞誌上で対談が掲載された。翻訳家・文芸評論家の鴻巣友季子と東大准教授の阿部賢一によるものだ。

この中で鴻巣は、今後の期待としてアジアからは中国の残雪と日本の多和田葉子の名前を挙げている。阿部も多和田については英訳も増え「もう条件はそろったという感じ」と話している。

多和田葉子、これまでもノーベル賞候補として名前があがっているのを目にしたことがある。大学卒業後、ドイツに渡り日本語・ドイツ語で創作活動、今も欧州在住で、私の一つ上の1960年生まれ。一冊も読んだことがない。

なにか読もうとAudibleに入っていたのが「地球にちりばめられて」(講談社文庫)、これを聴いてみた。したがって、正確には「聴いた」だが、面倒なので読んだと表現する。

ロンドンに海外赴任し、最初に感じたのは「英語が分からない」。英語にはそれなりに自信があったが、ミーティングやパブで交わされる会話は、自分に向けて発信されるものではなく、かつ話の背景についての説明もないので、一つ一つの言葉の意味は理解できても、何の話だか分からないのである。

こうして周囲で日本語がほとんど話されない世界に身を起き、改めて異国の地に来たことを肌で感じた。そうは言っても、まわりには私と同じ立場で駐在している日本人は多数いて、日本語の会話も交わすことができる。家には妻もいる。それでも、イギリスでの生活に慣れるべく、ある程度の努力は必要だった。そんな頃のことを、この小説を読みながら思い出した。

さらに、8歳と5歳でイギリスに連れてこられ、ほとんど英語ができないのに現地の学校の放り込まれた二人の娘の境遇にも思いをはせた。ちなみに次女は、1年間学校でほとんど話さなかった。担任の先生は、「ハッピーそうだから大丈夫じゃない」と言っていた。1年が経過し、彼女は突然英語を話しだした。

この小説の語り手は、目次に従うとクヌート、Hiruko、アカッシュ、ノラ、テンゾ、そしてSusanoo。Hirukoは北越出身だが、国はこの世からなくなり、彼女はヨーロッパで生活している。母語を話す機会はない。彼女を含め、欧州で同じ時を過ごす若者たちは、地球上のさまざまな場所で生まれている。彼らが、それぞれの視点から語っていく。

言語というのが、一つのテーマだと思う。イギリスは島国、そこから欧州大陸に渡ると明確な違いを感じる。それは、国境の曖昧さである。もちろん国際法上は明確なのだが、車や電車で移動する場合は、それを意識することはない。各国は地続きで、出入国手続きも原則不要である。さらに、同一言語圏においては言葉もつながっている。

こうした世界で暮らす人々と、日本人のメンタリティは異なって当然である。この物語の語り部たちも、千差万別、それにも関わらず彼らが醸し出す、ゆるやかな共感はどこにルーツがあるのだろうか。

娘たちにも勧めている。日本語の本は読まず、読むとしたら英語版を読む彼女らはこの小説をどう感じるのだろうか。そうそう、英語版には収録されていないだろうが、文庫の解説(池澤夏樹)も味がある。

この物語には続編があるようだ。「星に仄めかされて」(講談社文庫)、また彼らに会える


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