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“猿若祭“にふさわしい「籠釣瓶花街酔醒」〜勘九郎・七之助の名コンビ

早いもので、今年は十八世中村勘三郎の十三回忌。二月の歌舞伎座は名優を偲んで「猿若祭二月大歌舞伎」である。

このところハマっている幕見席で、昼の部最後の演目、「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべ さとのえいざめ)」を観た。

勘三郎は、2005年の襲名披露興行、そして2010年の“歌舞伎座さよなら公演“でも演じている。残念ながら、私は観ることができなかった。いずれも、共演が坂東玉三郎と片岡仁左衛門。2010年の方は、シネマ歌舞伎になっている。

この演目を、勘三郎の息子、中村勘九郎と七之助が演じる、嬉しいのは仁左衛門がいること。幕見席も満杯である。

勘九郎が演じるのは、佐野の商人次郎左衛門、悪い言い方だが“田舎者“、しかもあばた顔の醜男である。江戸に出てきたので、吉原見物と出かける。そこで遭遇したのが、全盛をほこる八ツ橋(七之助)の花魁道中、次郎左衛門はすっかりのぼせあがる。

その後、次郎左衛門はせっせとハツ橋のもとに通い、容姿のハンディを克服、その人柄にお茶屋の人々も好感を抱き、八ツ橋を身請けするという話になる。

ところが、ハツ橋には繁山栄之丞という間夫がいる。これを演じるのが片岡仁左衛門である。栄之丞は八ツ橋に次郎右衛門と別れろと迫る。仁左衛門の演じる“色悪“は最高である。女は悪人だと分かりながらも、切ることができない。見物は、この松島屋の色気を感じ、「そりゃそうだよね」と納得する。

そうして、意気揚々と吉原にやってきた次郎左衛門を八ツ橋は袖にする。この場面が見事。七之助の八ツ橋の美しさは、これなら次郎左衛門が入れあげ、栄之丞が縁を切りたがらない気持ちよくわかる。そして、別れ話の迫力。八ツ橋は良心の呵責を感じながら、そして“色悪“の言いなりになることが不幸につながることを知りながら、次郎右衛門にそして自ら言い聞かせるように言葉を発する。七之助の演技が素晴らしい。そして舞台は、悲劇的な結末へと展開していく。

次郎左衛門。冒頭の“見染“における“田舎者“、吉原に慣れたお大尽ぶり、振られる場面における哀れさ、そしてエンディングと、一人の人物の劇的な変化を表現しなければならないが、勘九郎の次郎左衛門は素晴らしい。勘九郎は父・勘三郎とは違う、それは誰もが感じざるを得ないことであり、勘九郎に課された重い課題は、その“違い“をいかに強みに変えていくか。この日の舞台に、その答えを見た気がする。次郎左衛門のような屈折した人物を演じるには、勘九郎しかいないのではないか。

私が「籠釣瓶」を観るのは今回が初めてなので、あれこれ言うのもおこがましいのだが、勢いでコメントする。過去の歌舞伎座での上演歴によると勘三郎のほか、二代目中村吉右衛門、九代目松本幸四郎(現・白鸚)。この舞台に引っ張られているせいか、勘九郎が一番ぴったりくるように思う。失礼ながら、播磨屋・高麗屋の兄弟は、格好良すぎる気がするのだ。

中村歌六、中村時蔵、尾上松緑、中村児太郎など、脇も熱演で、勘三郎も嬉しかろう。中村屋ご両人の当たり狂言になったのではないだろうか。

色街の女と客の関係は、江戸時代から“ばかし合い“。それなのに、現代のキャバクラ、ホストクラブでも、入れ上げる男女がいまだにいるようだ。「籠釣瓶」は、そんな現実にも警鐘を鳴らしている


撮影は先日他界された篠山紀信

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