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立川談春・柳家三三が起こす化学反応(その2)〜「俺たちの圓朝を聴け!」第一部

(承前)

中入り後、柳家三三は、談春が切場を間違い、新三郎が三崎村の墓地でお露とお米が葬られていることを発見、墓の前に牡丹灯籠が雨ざらしになっている場面まで演じてしまったことを話す。自分の出番の最初のつかみの箇所を話されてしまったのだ。

ここで、場内にアナウンスが流れた。談春の声で、「業務連絡、業務連絡。三三さんごめんなさい」と。三三も「話の途中で、業務連絡が流れたのは初めてです」と受ける。

さて、毎夜通ってきていたお露が幽霊だったこと、このまま契りを結び続けると死に至ることを知らされた新三郎は、新幡随院の良石和尚に相談に行く。

三三が演じた、この良石和尚が素晴らしかった。和尚は、お露が<口惜しくて祟る幽霊ではなく、ただ恋しい恋しいと思う幽霊で、三世も四世も前から、ある女がお前を思うて生きかわり死にかわり(三遊亭圓朝「牡丹灯籠」より)>、つきまとう存在であると話す。三三も同様の演出である。

ちょっと余談だが、この場面を聴くと、佐藤正午の小説「月の満ち欠け」を思い出す。

さて、三三はこれに続けて、良石和尚に「こうした恋する思いが強くなると、醜いものに変わる」と言わせた。

この言葉が怖い。

人を思う気持ちがあまりにも強すぎると、それは醜いものに変化し、ついには行き着くところまで行ってしまう。お露は幽霊となり新三郎のもとを訪ね、体を合わせる。このままでは、新三郎は冥界へと誘われるのだ。これは、現実にも通じることのように感じられ、お露の本質的な恐ろしさを表現している。

良石和尚は、幽霊を退散させるためのお札や観音像などを新三郎に授け、新三郎はその指示に従う。夜になり、訪れてきたお露とお米は、家に張り巡らされたお札により、中に入ることができない。

おつきのお米が、「お嬢さん、新三郎さんは心変わりされました」と。

三三は、この場面で噺を切った。

事前の告知では、第一部は談春が“お露と新三郎〜三崎村まで“、三三が“三崎村からお札はがし〜お米談判まで“とされていた。

この後、伴蔵・お峰という、二人の演出では登場して来なかった人物が出現し、お米は新三郎の家に入ることができるよう、伴蔵と談判をする場面に続くはずだった。しかし、三三は通称「お露新三郎」と言われるところで止めた。

後に上がった談春は、「おっかなかったね」とし、「本来は続きの『お札はがし』の前半三分の一くらいを演じる予定だったが、三三があそこで切りたいと言ったので」と話した。確かに、第二部に余韻を残すとしたら、三三の判断は正解だと思う。(残念ながら、私は第二部のチケットを持っていないのだが)

柳家三三、上手い。改めて感じた高座だった。談春は小本「俺たちの圓朝を聴け!」の“はじめに“の中で、二つ目時代に三三が演じた「鰍沢」について触れている。これは、2004年春風亭小朝がプロデュースした大銀座落語祭である。銀座周辺の様々な会場で、同時並行的に落語会が開催された。その一つの企画が、圓朝作品の上演で、三三が「鰍沢」、談春が「札所の霊験」を演じた。そこからの、圓朝・談春・三三の関係である。

私は、その場に居合わせ、談春同様、三三の「鰍沢」に度肝を抜かれ、当時三十歳のこの人は落語の将来だと思った。もう一方の雄は立川談春である。

二人のコラボは2006年以来とのこと。ようやく来た、貴重な機会である。前述の“はじめに“で、談春は三三を間近に見ることによって、<立川談春がどう変わっていくかを己れ自身が見てみたいのです>と書いている。この三三を聴いて、談春の中で何かの化学反応は起こっているのだろうか。

第二部・第三部とどのような展開になっていくのか。

落語を未来に残すためにも、二人の大圓朝への挑戦は、重要なプロジェクトである

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